14.燃える理由は小さな火種から。
皆が暗い雰囲気の中、月火は無心で仕事に逃げる。
水月と火光はしばらく動けないのでその分が月火に回ってきたのだ。
火光の教師仕事は晦と火音が分担してやってくれているので何とかなっている。
遺言書で、遺産は全て神々の貯金に入れること、葬式をやる暇があるなら仕事をしろという事が書かれていた。
法的な意味はないが、一番水哉と仲の良かった水月の意向で全て遺言通りにすることにしたので葬式は行わず、火葬式だけ行った。
月火と火音だけ先に墓参りに行ったが二人はまだ嫌がっており、まともに食事も取っていない。
もう三日目になるので食事、せめて水分だけでも取ってほしいがそんなことを言える雰囲気でもないので心配するしかない。
水月は部屋に篭もりっぱなし、火光はソファでビクともせず、火音は訓練で出掛けている。海麗は知らない。
月火が仕事を終わらせ、今度は月火グループの水月分をやっていると寮に誰かが入ってきた。
振り返ると炎夏と後ろには火音と結月も立っている。
「暗すぎんだろ」
「電気点いてるよ」
「雰囲気か」
二人の声に火光が体を起こし、泣き腫らしてまともに見えていない目を開けると炎夏は顔をしかめた。
「ぶっす。玄智がいたら逃げてくわ」
「ちょっと炎夏」
結月に制止された炎夏が写真を撮ると火光は睨んで寝転がった。
「冷やかすなら帰れ。鬱陶しい」
「火光、いつまで泣いてる気だよ」
炎夏はイヤホンをつける月火を横目にそう聞いた。
火光はさらにうずくまる。
「知らない……」
「お前は教師だろ。生徒をほったらかすな。水哉様はなんて言ってた? 何事にも本気で、辞める時はやり尽くした時だって言ってたろ」
少なくとも火光はまだやり尽くしていない。
ただ、燃え尽きただけだ。
まだ着火剤と言う名の担任職は残っているし薪と言う名の生徒も残っている。
燃える理由は小さな火種から。
水哉の受け売りだ。
初めはほんの小さな好奇心。一度の経験が火種となり、大きな火に燃え上がる。
その火を怖さで鎮火するか、火術を使って自在に操るかはその人の自由で、他人が口を出せるものではない。
少なくとも火光は自らの手で火を操り、プライベートがないまま生徒と向き合っていた、誰もが望む教師の鏡だ。
「水哉様は自分の死で孫達に迷惑をかけたいとは思ってなかったんだろ。じゃなきゃ火音先生に三人を頼んだりしない」
「……え……?」
「お前は! 神々火光で俺らの担任だろ。途中で役目放棄すんな」
自分の好奇心で生徒を振り回し、兄も妹も婚約者なんだと騒がれている晦にも迷惑かけた挙句、一番最初に嫌になったのは自分です。
いい笑いものだ。
他人を巻き込んだなら、全員が納得して全員がやり尽くせた時に同じようにやり尽くせ。
限界が来たとして、その先に生徒が、仲間が、家族が待つなら先に進め。
それが人として、教師として、全ての教師から見放された炎夏の恩師としての在り方だ。
「分かったら起きろ。怠けすぎだ馬鹿」
「口悪い」
「知るか。火音先生よりマシだろ」
「いや俺の方がマシだろ」
いつの間にか月火の向かいに座った火音に睨まれたので顔を逸らして誤魔化す。
口が悪いのは生まれつきだ。
水虎と祖父母の喧嘩を見て育ったせいかもしれない。
顔を上げた火光は目をこすると小さく溜め息を吐き、顔を上げた。
「恩師なら恩師らしくしないとね」
一歩目は貼り付けた笑みでもいい。
二歩目からはその仮面が取れるよう、十歩目になれば腹の底から笑えるよう。
火光は頬を押さえると先に顔を洗った。
人生の宝である生徒にぶすと言われたら案外傷付くのだ。
「月火、ご飯作っといて。水月起こしてくる」
「豆腐より脆いので気をつけて下さいね」
「叩き割ってくる」
いやそれは駄目だろう。
月火が止める前に火光は月火の珈琲を勝手に飲むと部屋に歩いて行った。
簡単な野菜炒めを作っている間に部屋から罵詈雑言聞こえてくるが無視だ無視。
月火が冷ご飯を温めてよそっていると火光と泣いた水月が手を引かれて出てきた。
「餓鬼大将といじめられっ子」
「意地悪な兄と泣き虫弟」
「気の強い幼馴染と弱虫な引っ越してきた子」
「何言ってんの」
不可解なことを言い出した生徒三人を見下ろすとまた水月がしゃがみこんだ。
どうしたものかと思った瞬間、月火がマグカップに入った水を水月にかけた。
これにはさすがに驚き、皆は慌てるが水月は気にしていない。
「立て。情を持ちすぎないよう育てられたっつったんお前だろ。自分が凹んで周りに迷惑かけんな」
「……分からないでしょ……」
水月の小さな呟きに月火はこめかみを引きつらせた。
「はっきり喋れ! うじうじうざったい! お前は! 水哉様に迷惑かけたいか!? お前の未練で水哉様に迷惑かけんな!」
月火は墓参りのため、一度だけ本家に行った。
その際に屋敷の中にも入ったが、水哉は最後まで稜稀を抑えようと死力を尽くしたのだろう。
屋敷は荒れ、あの時の稜稀は血まみれだった。
水哉がどんなに気持ちで戦ったのかは知らない。
どんな状態だったのか、瞬殺だったのか堪えたのかは知らないがとても優しい、仏のような人だった。
「お前に! 私らに被害が出ないよう抑えてくれてたんだろ!? なんで水哉様の配慮を無下にするような行動するんだよ?」
幼い頃から私欲に負けぬよう、感情で動かぬよう教育されてきただろう。
水月が一番出来ていなかったがそれでも受けには受けた。
ただ悲しいという気持ちだけを全面的に押し出し、水哉との思い出や水哉の最後の言葉を忘れているのは水月自身だ。
「最後、水哉様を唯一看取れたのは水月兄さんでしょう。最後の一瞬、水月兄さんの安心した顔を見てから亡くなったのでしょう。何故分からないのですか。……貴方が、一番思われていたんですよ」
水月は水哉と聞いた瞬間飛び付くほど水哉が大好きだった。
水哉が月火に誕生日プレゼントを渡せば拗ねて泣きわめいていたほどだ。
それに応えるように水哉もまた、水月を一番に思っていた。
感情で動きやすく、落ち着けずに弟妹ばかり心配する。
死んだ後、水月を思う気持ちで怪異にならぬよう最後の力を振り絞って意識を戻し、その安心した顔を見てから亡くなった。
水月の声とその笑顔を見たかったから、水月の温もりが伝わってきたから目を覚ましたのだ。
もしかしたら長く細く生きて、静かに死んでいけたかもしれない。最後の一瞬も痛みを知らずに死ねたかもしれない。
死んでもいいから、最後に水月を見たかったのは水哉の紛うことなき本心だ。
「貴方の馬鹿で明るい笑顔を見たかったから起きたんです。それを悔やむのは故人への冒涜でしょう。貴方が思う以上に強く思われていたんですよ」
泣き虫で、何かあればすぐ弟妹の後ろに隠れる。
なのに何かあればその身を呈して弟妹を守る、立派なお兄ちゃん。
だが責任感が強すぎる故に弟妹には吐き出せず、当主として厳しい稜稀にも信用していない湖彗にも吐き出せなかった。
唯一頼れたのが自分とよく似た水哉だった。
水哉は水月の苦労を理解し、自分の前では本心をさらけ出しても大丈夫だと、休息の場所をくれたのだ。
怖かった。
休息の場所がなくなったらどうしようかと。
寂しかった。
母よりも、弟妹も温かく優しくしてくれた水哉に二度と会えないのかと。
嫌だった。
あの優しく温かく、春の日差しよりも柔らかいあの笑顔を二度と見れないのかと思うと、受け入れられなかったのだ。
それでも前に進まなければならない。
いずれ、水哉のいるところには行けるのだから。
それはいつだろうか。
明日かもしれない。もしかしたら十二月中には行けるかも。
運良く生き残って一人で余生を満喫するかもしれないし、結局塞ぎ込んで自殺するかもしれない。
それでもいい。
世界の一秒が流れる毎に世界に存在し、生きているのだから。
水哉のところへはいつでも行けるのだ。
でも、一度行ってしまえば二度と戻っては来られない。
それならば、悔いのないよう、水哉の願う明るい未来のために進もう。
優しく頼れる弟と、厳しく守ってくれる妹の後ろで隠れながら、水月らしく影で生きていけばいい。
補佐だと言い訳をして表に立たず、弱いと謙虚に、二人を後ろから支えよう。
それが、水哉が望んだ道なら。
「……ありがと」
「苦難を乗り越えた分だけ先の幸せが大きいのでしょう」
誰かが言っていた気がする。
「……なんで水掛けたの?」
「その酷い泣きっ面を洗ってあげようと思って」
しゃがんだ月火が水月の腫れた顔を擦ると水月は顔をしかめた。
「痛い……」
「二人とも酷い顔なんですよ。洗っただけで治ると思わない方がいいです」
「……痛いって」
頬をジャージの凹凸で擦ってくる月火から逃げるとずぶ濡れの髪をかきあげた。
「もう……」
「火光兄さんは食べて水月兄さんは風呂に入って下さい。濡れてると鬱陶しいです」
「月火がかけたんでしょーが!」
「妹に擦り付けないでください」
暴論だ。
水月が押し付けられたタオルと着替えを持って風呂場に入ると月火は床の掃除を始めた。
月火以外の四人は昼食を食べ、水月と火光が交代する。
月火が珍しく一人用ソファで仕事をしていると結月が声を掛けてきた。
「月火ちゃんはいいの?」
「さっき軽く食べたんです。お腹が減ってしまって」
「そっか」
食べたならいい。
結月が頷いてまた食べ始めると月火は火光に仕事の確認をさせた。
その間にタブレットとスマホで仕事やメールの確認をし、パソコンを返してもらってからまた仕事を進める。
いい加減疲れてきたがまだ休むわけにはいかない。
二人の精神面が回復するまでは月火が抱え込まなければ。
一度部屋に戻った月火が持ってきた眼鏡で無理やりピントを合わせ、頭痛に耐えながら月火グループの仕事をしているとスマホをいじっていた水月が月火を呼んだ。
「月火、蓮様から連絡が来たんだけど」
「放置でいいです。どうせ役に立ちませんし」
妖力も体術も結月以下だ。
いくら伯父とは言え今、役に立たない人材に構っている暇はない。
それに一人のせいで二人三人の精神がえぐられ、これ以上仕事が滞ると月火もカバーできない。
月火の手の内で収まらなくなったということは学園や上層部、月火グループにまで影響が出てしまう。
それだけは勘弁だ。
月火の言葉に水月が頷き、決まったら教えると連絡してから無視しようとすると電話がかかってきた。
月火に確認をとってスピーカーで応答する。
「も……」
『水月!? 父さんの葬式をやらないってどういうことだ!? 稜稀は!?』
「同じことを言わせないでよ……。葬式なしは水哉様の遺言なの! 稜稀は裏切ったんだよ!」
これで三度目だ。
水月が怒鳴るように言うと怒鳴り返された。
『遺言に意味はない! 唯一残った子供がやりたいと言ってるんだからやれ! それに稜稀だって父さんが亡くなって混乱してるだけで……』
「五月蝿い! 水哉様を殺したのは稜稀だって何回言えば分かるの!? そんなに稜稀の肩を持つなら稜稀の方に行けばいいじゃん! 葬式も自分でやって!?」
水月が勢いよく立ち上がって怒鳴ると結月が肩を震わせた。
温厚な水月と冷酷の水月しか知らなかったのだろう。
水月も言う時は言う。言える時は。
『そ、そんなの誰も見てな……』
「では水哉様は稜稀以外に殺されたと言うのですか? 稜稀と一緒にいながら? 貴方なんかよりも数倍腕の立つ稜稀と水哉様を二人相手に稜稀だけ無傷で水哉様だけを殺したと?」
月火が遠くから口を挟むと蓮は黙り込んだ。
電話の向こうから養子の笑い声が聞こえてくる。
祖父が亡くなったというのに呑気すぎる。
「死んだと聞いて墓参りにも来ていない、会いに来ようともしなかった貴方が口を挟まないでください。とうの昔に貴方の外聞は貴方の大好きな姪っ子ちゃんと大嫌いな養子君が地の底に叩き落していますので」
今、蓮の外聞を周囲に聞けば自分の養子を棚に上げ、火光と言う養子を卑下する単なるクズとなっている。
「分かったら落ち着くまで連絡してくるな。お前に時間を割くだけ無駄」
月火がそう言うと水月が電話を切った。
月火はパソコンを閉じると荷物をまとめる。
「出掛けてきます」
気分転換に食堂でも行こう。
あそこには火光イチオシのフルーツパフェがあったはずだ。
糖分補給にはちょうどいい。
月火は小さく溜め息を吐くと一番上に乗っていた熟れたいちごを頬張った。




