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13月  作者:
5/7

10の月―上―


10回この季節を繰り返せば、いつの日にかこの日々にも慣れるのかと思っていた。毎年訪れる13月、その月にしか会うことができないサツキさん。そんな彼に恋をして、けれど、私はこの日々に慣れることは終ぞなかった。会えないことが基本なのだ。13月の中でも会えないことも多いのだ。

それを理解していても、私はいつでも何度でもサツキさんに会いたくて仕方なくなる。いつまでこの日々が続くか分からない、もしかしたらある日突然失くなってしまうかもしれない。

それが恐ろしいけれど、私は焦がれる気持ちを抑えることが、ずっとずっと出来ないでいる。


彼と出会って10年がたった。



***



「…受験…紫織は高等学校へ進学するの?」


月明かりに開きっぱなしになっている参考書を照らしながら、サツキさんは首を傾げる。


「だいたい皆がそうだよ」


ベッドに寝転び、ベッドサイドのライトをつけながら英単語帳を開き、私は答えた。私は真面目に机に向かうよりも、こうして好きな格好で勉強している方が頭に入る。お母さんは「真面目にやってよ」と言うけれど、これでも私は大真面目に勉強しているのである。


中学校生活も残りあとわずか。大晦日だお正月だといっても、受験生にそんな暇はない。だから年が明けた今でも、私はこうして勉強していた。階下ではまだテレビをつけて、年越しライブを見ている音がしている。


「紫織はどんな学校へ行くの?」


サツキさんがゆっくりとベッドに腰掛けながら私を覗きこむ。


「どこって…普通の学校だよ?」


大学への進学率がそこそこ高い公立学校。今の成績のままだと合格圏内だけど、そこで気を抜いてはいられない。

サツキさんは私の答えに「ふぅん」と呟きながら、私が見ていた英単語帳を見て、ぎこちなく「ほーぷふる」と言っている。サツキさんの本来いる所では、それ程高校進学する人はいないらしい。中学校を卒業したら働く人や家業を手伝う人がほとんだと、教えてくれた。やっぱり、サツキさんの居る時代は私より確実に過去なんだろう。


こんな所を見て、また私はサツキさんとの隔たりを感じてしまう。やりきれなくて、私は無理矢理サツキさんから目を逸らした。サツキさんがここにいるなら集中できるはずもなく、勉強を諦めてふかふかの枕に顔を埋める。

そうすると、わずかに髪の毛を梳く感触。細い指先が地肌を滑っていく。心地よい、サツキさんの指だ。

私の髪は、この時肩より少し長いくらい。それを丁寧に梳るようにサツキさんは触れてくる。


「サツキさんは、よく髪の毛触るよね」


枕に顔を埋めたまま、ぼそりとそう呟くと髪を梳く手が急に止まった。


「…?」


見上げると、ふと考え込むような顔。不思議そうに私と自分の手を交互に見やっている。


「どうしたの?」


軽く開いたサツキさんの手に自分の手を這わせた。私からサツキさんに触れることはそう珍しくもない。なのに怯えるようにぴくっとその手は震えた。サツキさんの振動は私にも伝わった。


「いや…自分でも、どうしてだろうと思って」


余程紫織の髪の感触が柔らかいからかな、手触りがいいからかな、と自嘲気味にサツキさんは言った。私のベッドの端に腰掛けて笑うサツキさんに、私は見とれてしまう。

好きな人にこんなことを言われて、嬉しくない女の子が、この世の中にいるだろうか。


「…私も、触りたい」


単語帳を脇に放り出し、上半身だけを起こしてサツキさんに近寄った。懸命に背の高いサツキさんへ右手を伸ばすけれど、サツキさんはそれを許してはくれない。


「駄目」

「どうして」

「僕の我慢が効かないから」

「?何の?」

「…それを聞くかな」


その時、15歳の私には男女の駆け引きなど微塵も分からなかった。ただ単純に、サツキさんに触りたいと思っただけなのに。なのにどうして、サツキさんは許してくれないのだろう。

不服そうな表情がしっかり出ていたのか、サツキさんは私の手を押しやって、代わりにサツキさんが私を撫でた。

自分はいいのに私には駄目だという。理不尽だ、そんなの。


「…サツキさんの意地悪」

「ここで僕が止まれなくなったら、きっと紫織は後悔するよ」


21歳のサツキさんは、大人っぽく子どもの私にそう窘めた。まるで5歳の子供を優しく叱るみたいに。

けれど、そんなものじゃ騙されてあげないと私は逆に奮起する。

なにかサツキさんは勘違いしてるみたいだけど、私は立派な大人になった…つもりでいた。


好きな人には触れられたいし、好きな人には触れたい。当り前のことを、何の躊躇いもなしにやろうとしていた。触れることで得られる気持ちは麻薬のようだ。

触れられない時になってから後々苦しむことになろうとも、この時の私はそれでもいいと思っていた。

今触れられないことの方が、よっぽど苦しい。


私は抵抗するように身を乗り出した。サツキさんのサラサラの髪の毛が眼前に迫って、けれど、またしてもその手は拒まれた。


「こら、紫織」

「どうして?」

「今ここで、僕が不貞を働いても?」

「サツキさんが私にすることは、不貞なんかじゃない」


きっぱりと言い切った私に、サツキさんは困ったように眉をひそめた。きっと、サツキさんは私の気持ちに気づいている。気づいていて、気づかないフリをしている。そして、彼も私を想う気持ちは少々育っているのではないかと、そう思うのだ。年々、サツキさんは苦しげな瞳で私を見るようになったから。

出会った頃の小さい紫織ではなく、女になりつつある紫織にようやく気づいたのではないかと。


けれど、自制心の塊であるサツキさんは、容易にその気持には流されてくれない。私の手を取ろうか迷って、やっぱり止めたと言うように力なく手を降ろすしてしまう。それを見て歯噛みする私の気持ちなど、知りもしないのだ。

思わずぎゅっと拳を握りしめて、私はサツキさんの胸をどんと叩いた。


「――ずるいわ」

「狡い?」

「サツキさんだけ触れることができて、私だけダメなんてそんなのずるい」


こんな言い方をするから、子どもっぽいと思われてしまうのだろうか。

けれど、10年来のサツキさんへの甘え癖で、私はサツキさんを頷かせる術を知ってしまった。

覗きこむようにして、サツキさんを見上げる。わざとらしい、上目遣い。


「サツキさん」


お願いするように、声も甘くなる。

けれど、サツキさんもしぶとかった。


「駄目」

「……もう!!」


押し問答にも、サツキさんは頑として首を縦に振らない。

後から思えば、なんて馬鹿げた言いあいだろう。

けれど、いい加減イライラしていた私は、力任せな行動に出てしまった。


「ちょっ…紫織!」


サツキさんが止める暇もなく、勢いでサツキさんの両肩を押して、ベッドに押し付けた。そう、大人の男の人を自分のベッドに押し倒したのである。

15歳の女の子が21歳の男の人にすることじゃない。でも、求める人が目の前にいて、本能が私にそうさせた。

サツキさんに触れたくて、触れたくて、そういう想いが溢れ出す。

1年ぶりに会ったのに、満足に触れさせてもくれないなんて、サツキさんはズルい大人だ。


あの時は――つい2年ほど前は綺麗になったと言って、私を抱きしめてくれたのに。

私はだから、躊躇うことなくサツキさんに触れることを覚えたのに、なのに、今になってサツキさんは私が触れることを拒むというのか。最初から触れられないことよりも、よっぽど酷い。

拒まれるのは、嫌だ。それはサツキさんが好きだからに他ならない。

好きな人に触りとたいと思うのは、当り前だから。


溢れ出して、止まらなくて、私はサツキさんをベッドに押し付けながら叫んでいた。


「…いい人になんかならなくていい!!」

「し、紫織…?」

「サツキさんは、もう大人だけど、なんか悟りを開いたみたいに、急に物分かりよくなっちゃって…!い、今更“いい人”になんかならなくていい!サツキさんが私に触れることを、私がサツキさんに触れることを、不貞だなんて言わないで!」


言いながら、泣きそうになった。

サツキさんが遠い人になっていくみたいで、哀しかった。

何よりも誰よりも近い位置に居た、大好きなサツキさんが遠くなる。それがたまらなく嫌だった。


「紫織…」

「じゅ、15歳でも女なんだから!!ナメないで!!」


もう、声は詰まり詰まりだった。嗚咽を堪えるのに必死で、無様だった。

自分が何を喋っているのかも、定かじゃない。頭の中がごちゃごちゃして、急に私と距離を取り出したサツキさんが哀しくて、ただ、溢れるばかりの言葉をサツキさんにぶつけるだけしかできない。


ついにぼろぼろと涙が零れ落ちて、サツキさんの頬に水滴を落として行く。

相変わらず、私はサツキさんを押し倒したまま、堰が切れたように、泣き続けた。

ただ泣き続ける私を、サツキさんは黙って見ていた。時間が立つにつれて、泣きながらも、私の頭の中はどんどん冷静になっていった。


(…何してるんだろ、私)


こんな、男の人を押し倒してみっともないこと。

一度そう思い始めると、どんどん後悔してしまう。

泣きわめいてサツキさんの心を手に入れられるなら、とっくにそうしていた。

恐れも何もなかった昔なら。でも、今は怖い。サツキさんが遠い人になりそうで怖くなった。もともと遠い人ではあったけれど、でも、もっともっとその距離は空いてしまって、手を伸ばしてももう掴んでもらえないんじゃないかって。


恐怖だけが私の中で膨らんでいくと、もうそのままではいられなかった。

押し倒していたサツキさんの上から、私は身を引いた。

頬をぼろぼろ流れる涙だけは止まらない。情けなくて、みっともなくて、消えてしまいたかった。

サツキさんの本心を聞けたあの頃でさえ、こんなに怖くはならなかった。

年月を経るごとに気まずさは募っていった。でも、気まずいのはサツキさんに対する想いが特別すぎるからだ。

サツキさんに対する執着は、多分恋心と言う名の、厄介な感情だった。


ヒクッと肩を震わせていると、押し倒されたままの格好のサツキさんは緩く息をついた。そのまま腕を上げて、私がサツキさんの頬に零してしまった涙を拭う。結局、サツキさんは私に触れるのだ。心底、ずるい大人だと、そう思う。

そんなサツキさんを見て私は叶わない願いを持ってしまうのだ。


(…私をおいて、一人で大人にならないで…)


どうしてもやるせなくなって、私はついぽつりと零してしまった。それは、どうしたって叶えられない。


「…おいてかないで…」


ただでさえ、サツキさんは過去に生きる人なのに。

私たちの年は6つも離れていると言うのに。

私たちは交わることのない人生を歩む予定だったのに。

サツキさんは一人、先へ行ってしまう。


「…僕も、怖いんだよ」


私の呟きに、サツキさんは囁くように返した。ずっと鼻を啜って、サツキさんを見た。右腕で、私に覗かせないように目を隠してしまっている。

どうしようもないと言うようにサツキさんは声を零す。


「僕が紫織に本当の気持ちを言ってしまえば…君を壊しそうで怖い」


狭いベッドの上、仰向きに横たわるサツキさんと、へたり込んでいる私。

濃密な空気が、ゆっくりと2人の間を流れていく。寒いはずなのに、私の頬は火照っていた。

紡ぎ出す息が速い。それと同時に心臓の鼓動が、スピードを上げる。


のそりと動いて、サツキさんの顔を上から覗き込んだ。もう腕はどけられていて、私の瞳とかち合う。

夜色のサツキさんの瞳が私を見つめている。きっと、誰よりも美しいそれに魅せられたように、すっと顔を近づけた。


好きで。サツキさんが好きで、大好きで。だから、躊躇いなく言える。


「いいよ…サツキさんになら、壊されてもいい…」


15歳の私の、飾らない本音に目の前のサツキさんは目を見開く。この頃の私は盲目だった。恋がそうさせていた。

ありきたりな愛の言葉でも、今の私に囁ける精いっぱいを、この人に伝えたいと思った。


「…すき…」


その想いはこの言葉に全て込められた。これ以上、何が言えるだろう。


「だいすきなの…」


ふっと、サツキさんが眉をひそめた。

それを言ったら、もう元には戻れないとでも言うように。

分かってる。十分すぎるほどに。


「…時々、思う。自分はおかしいんではないかと」


眉をしかめ、どこか遠くを見つめながらサツキさんは言った。

その瞬間、彼の瞳は私を捉えた。どこかあきらめたと、そんな風に目を細めるサツキさんの表情を、きっと私は忘れられない。


「紫織をどこかに連れ去って、もう誰の目にも触れさせたくなくなる…」


狂ってる、と、自嘲気味にサツキさんは言う。

どこか苛立ったように、低く呻き声を上げた。戸惑うように、そっと左手を私のほうへと差し伸べた。

冷たい指先が私の項に触れる。それでも、サツキさんの手の平は汗でほんのりと湿っていた。


「連れ去ってよ」


叶えることはできない、私の望み。けれど、ずっとずっとそうして欲しいと思っていた。

サツキさんの隣で四六時中一緒に居れたなら、私は今死んだっていい。そうしたら、サツキさんの時代に、世界に連れて行ってもらえるのに。

不毛だ。

そんな不毛な思いを抱えながらも、私はサツキさんが、欲しいとそう思ってしまう。その思いはもう、止められないところまで来てしまっている。


「紫織」


彼の、私を呼ぶ声が好きだ。私を引き寄せる手も、抱きしめる腕も、匂いも、すべて。

私は引き寄せてくる力に抗わなかった。抗う理由がなかった。

でもその力は、やっぱり一定の距離のところで弱まってしまう。サツキさんは優しいから、きっと、自分からはもうこれ以上求めないだろうと、そう思った。

それなら、私からいく。

躊躇も、恐怖もなく、私はサツキさんの首に手を回して、顔を近づけた。

今越えようとしている壁を、禁忌を、力づくで越えてしまうことを私は後悔しない。

決して。


重ねた唇は、甘く、溶けてしまうのではないかと思うほどに心地よかった。先にそこに触れさせたのは私の方だったけれど、重なった途端にサツキさんは私の後頭部に手を回した。

きつく唇を押し付けて、貪りあうように求め合った。角度を変え、サツキさんが少し戸惑っているのが分かると、私は自分から口を開く。そして、サツキさんは私の行動をもう、止めようとはしなかった。導かれるように、柔らかな舌が私を蹂躙する。


(このままひとつに溶け合ってしまえばいいのに)


口腔を弄られながら、私はひとつ涙を零した。


「紫織の将来も何も考えずにいれたら、きっと僕は幸せだろう」


けれど、それはどうしてもできないと言う。

同時に、もう私を手放すことも、できないのだと。

矛盾した想いを、サツキさんはずっとずっと抱え続けて苦しそうに目を眇めるのだ。

キスを終えて私はきゅっとサツキさんの首に抱きついた。

ようやく触れることが叶って、そして、知る。

私もサツキさんを、どうしても手放したくないんだと。

サツキさんとのキスは、蕩けてしまうくらいに甘くて、幸せになれるのだと。


きっともう、引き返せない。私はサツキさんを愛していて、そしてきっと、サツキさんも私を愛している。

傲慢な想いかもしれない。もしかしたら、私の都合のいい妄想かもしれない。

けれど、この人に触れることが出来る至上の幸せを噛みしめていたい。あなたと出逢って、10年目の13月。


ようやく、あなたは私に触れることを許した。それは同時に、焦がれるほど苦しい両想いの始まりだった。



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