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13月  作者:
1/7

1の月



その時が訪れるのは、1年に1回だけ。師走が終わって年が明けたその時。

私の中では1月1日にはならない。新年は来ず、13月になるのだ。

「サツキさん」がそう言ったから、そうなのだ。

13月は私の中で一番好きな時間だった。どうしてなのかというと、13月の間だけ、サツキさんに会えるからだった。

サツキさんが私の部屋に現れるのは、決まって夜。12月が終わって13月になった時、ふとした瞬間、サツキさんはそこに居る。彼は真っ白いシャツと茶色いズボンを着ている日もあれば、くすんだ色の上下が一つになった着物を着ている日もある。私が待っていることに気づくと、穏やかな目をして、私を見る。


サツキさんの素性は知らない。私にとって、サツキさんはサツキさんだから、あまり気にしたことはない。

幽霊ではないと思う。だって、触れるし、サツキさんは体温を持っていて温かいのだ。私がサツキさんを怖がるには、共に時間を過ごしすぎたから無理な話だった。


そして、13月になった瞬間、なぜ彼が私の部屋に現れるのかも未だに分からない。瞬間移動でもしてきたのか、はたまた、「時空」というものが歪んで、サツキさんと私の部屋がつながるのか。

けれど、サツキさんの素性がわからないことや、この13月が訪れる仕組みも謎であることは、私にとって些末な事だ。


私は、年に1回、13月にしか会えなくてもサツキさんが大好きだ。

例えサツキさんと私の人生が相入れないものであったとしても、私は確かにサツキさんに恋をしていた。

多分、これからもずっとサツキさんに恋をし続けていくんだろう。


『――紫織(しおる)


そう呼んでくれた声を、私はいつまで経っても忘れられないでいる。




***




12月31日、午後11時45分。

新年を間近に迎えた時間、私は、初めての自分の部屋にドキドキしながらベットの中に潜り込んでいた。もうあと15分ほどで私は5歳になるのだ。


『少し早いけど、誕生日プレゼントよ』とお母さんが言って、用意されていたのは自分だけの部屋。ピンクのカーテン、柔らかい茶色のラグ、少し小さいけど自分だけのベット、そこに生まれた時から一緒にいる白いクマのぬいぐるみ。まだ幼い私は、普段ならもうすっかり夢の中の時間なのに、全然眠れないでいた。不思議と目が冴えて、ごろごろと寝返りを打っている内に、窓の向こうから重低音の鐘の音が響いてきた。

年の瀬を意味する、除夜の鐘。

お寺は結構近くにあったから、その重たい響きは私の頭の中まで震わせた。


初めて迎える一人の夜、眠れなくて怖い、という感覚は私にはなかった。ただただ、初めての可愛いお部屋に興奮して、眠れずにいたのだ。

階下からは、なにやら騒がしいテレビの音が聞こえてくる。お父さんもお母さんもお酒を飲みながら年を越すのだろう。

『私も!』と言っても、『よい子は寝る時間よー』と軽く流されてしまった。まあ、夜中のテレビ番組は大人向けで幼児の私には全く興味も沸かなかったので、案外素直に新しいお部屋に向かった記憶はある。


さて、眠れない私は横に寝返りを打ちながら、私はお気に入りのクマのぬいぐるみを抱きしめた。除夜の鐘の音と、テレビの音をただボーっと聞いていると、興奮はいつの間にやら収まって、自然とウトウトしだしていたのだ。真っ白いクマの毛に頬を擦り付けて、一度だけ、目を閉じる。そして部屋の中心の方を向いて、ふと、もう一度目を開けた。


―――そうして、目をごしごしと擦り、見開いた。


「……」


部屋の真ん中の茶色のラグの上。さっきまで、そこには誰もいなかったはずだ。ついでに言えば、誰かが階段を上がってくる音も、ドアが開く音も聞こえなかったはずだ。

でも、一瞬だけ目を閉じて開けた後、そこには一人の男の子が立っていた。

何の気配もなしに、その男の子はごく自然に私の部屋の中に立っていたのだ。私は、思わずガバリと起き上がりもう一度目をゴシゴシと擦った。

夢を見ているのかと、何かの見間違いかと思って。でも、何回擦ってもその男の子は消えなかった。


「…だれぇ…?」


思わず口から舌っ足らずな言葉が零れる。男の子はそれに反応し、吃驚したようにこちらを向いた。私が声をかけるまで、物珍しそうに私の部屋を見渡し、同じように目をゴシゴシ擦っていたのだ。

私と目が合うと、戸惑ったようにこちらを凝視する。一番戸惑っていたのは、ほかでもない、この部屋の持ち主の私なんだけれど。

困惑気味に私を見る男の子は、私よりも少しだけ年上に見えた。

ウトウトしかけていた雰囲気など一気に覚めてしまって、私はベットを飛び降りて男の子に近づいた。

近づいてみると、やっぱり、私よりも大分背が高い。目を大きく見開いて、私は男の子を見上げた。ついでにちょっとでもよく見ようとつまさき立った。男の子の方はと言うと、びくりと仰け反って距離を取る。


「ここ、シィちゃんのお部屋だよ?おにいちゃん、どうしているの?」


5歳の私は、あまりにも無邪気すぎた。不法侵入なんて言葉も知らないし、幽霊も怖くない性質だったし、非現実的な光景に胸をドキドキさせていたのだ。男の子は、とにかく戸惑っているようだった。自分でも、何故ここにいるのか分からないとでも言いたげな表情を私に向けた。


ふと、私はその子の着ているものに目をやる。今となっては、それが着物の類であることは分かっているのだが、その当時の私にはそれが見当もつかなかったのだろう。真っ白な着物を、帯一本で縛ってゆるく身に纏っていたのだ。私はそうとも知らず、小首を傾げて無遠慮に言い放った。


「おにいちゃん、ヘンなお洋服きてるのね」


今まで黙りとおしていた男の子も、無邪気な私の不躾な言いようにさすがに怒ったのだろう。眉毛をぴくりと不機嫌そうに中央に寄せて、更に私から距離を取った。そして私の格好を上から下までジロジロと眺めている。不審さを存分に表した目つきで、私はなんだか居心地が悪くなってしまったのを覚えている。随分長い時間をかけて私を眺め回した男の子は、ぽつりと言った。


「君も、変な格好」


それが、最初の言葉だった。高くも低くもない、夜の静寂の中に透き通るような声音が私の耳に届く。

あまりにも幼い売り言葉に買い言葉、私もカチンときて思いっきり頬を膨らませた後に叫ぶようにして言った。


「ヘンじゃないもん!シィちゃんのお気に入りのパジャマだもん!!」

「パ、ぱじゃま…?」


分からない、という風な男の子に私は鼻息を荒くした。


「パジャマも知らないなんて、やっぱりおにいちゃん、ヘン!!」


私の頭の中は、パジャマを知らないなんて変なお兄ちゃん!ということで一杯になってしまっていた。何でこの部屋に見知らぬ男の子が降って湧いたかのように現れたのかなんて、私の頭の中にはなかったのだ。男の子は一瞬怒ったようにきゅっと眉を吊り上げたけれど、こんな小さな私に本気で怒るのも馬鹿らしく思ったのか、ふっと頭をガシガシと掻いた。

そしてもう一度物珍しそうに私の部屋を見渡している。白い着物を着たその男の子は、窓から入って来る月光に照らされた壁や掛け時計、寝乱れたベットを見て、最後に私に視線を這わせた。


そして、さっき私がしていたように何度も目を擦った。本当に何度も。


よくよく見てみると綺麗な男の子だった。すっと通った鼻筋、私を見据える真っすぐな瞳、日に焼けた手足は長かった。


「…不思議な部屋だね」


私の部屋の中にあるものをひとつひとつ確かめながら、ぽつりとそう零す。心底不思議がってそう言っているというのに、おバカな私は褒められたとめでたい勘違いをして、小生意気に胸を張った。


「でしょー?シィちゃんのパパとママがね、シィちゃんのおたんじょーびプレゼントにって、くれたの!ピンクで、かわいくてね…かわいいでしょ!!」


興奮しすぎてまともな言葉にならなかった。とにかく可愛いだろう、羨ましいだろう、と自慢したくて仕方なかったのだ。


「ん…?うん…」


男の子は言葉の半分も理解出来ていないという顔をしたのに、すっかり満足した私はさっきの諍いも忘れて男の子の手を取った。その子の手は、とても温かかった。これで夢ではないのだと確信する。怖いおばけはこんなに温かくないし、柔らかくないだろう。今でも私は、彼との出会いは夢ではなかったと、自信を持ってそう言える。


「おにいちゃんに、とくべつにシィちゃんのベットにのせてあげる!」

「ベット…あの、寝台のこと?」

「うん!!」


目が冴えて眠れなかった私には、絶好の遊び相手。にこにこと微笑む私に、戸惑いながらも好奇心が勝ったように男の子は頷いてくれた。

子ども用のベットだから随分小さいし、2人も入ると窮屈で仕方がない。でもその窮屈さが楽しくて、兄弟がいない私はずっとクスクスと笑っていた。



「…柔らかいね」

「うん!そーでしょー」

「…眠くないの?」

「うん!」


満面の笑みでそう言う。男の子は私と向かい合わせになりながら、一人喋り続ける私の言葉を黙って聞いていた。たった5歳の私が喋る言葉は分かりづらかったに違いない。でも、その言葉のひとつひとつに相槌を打ってくれた。


けれどその内、とろりとした眠気はやってくるのだ。とろとろと目を瞬かせ、小さい手で今度は眠気を抑えようと擦ると、不意に前髪が優しく撫でられる。少しカサついた手が初めて自ら私に触れてくれた。


「そろそろ眠くなった?」

「…う」

「寝てもいいよ」

「おに…ちゃん、も…」

「僕?」

「おにーちゃんも、ねる、の…」

「ここで?」

「うん」


しばらく無言の時間があって、でも私がぎゅっと男の子の服を離さないと言うようにぎゅっと握りしめるから、とうとう観念して、分かったという声が聞こえた。

私は安心して目を閉じた。眠りに落ちる間際の会話は、残念ながらおぼろげだ。


『…君、名前は?』

『シィちゃんはねー、しおる、だよ』


おにーちゃんは?と聞くと、眠りを誘う優しい声音が私の耳朶をくすぐった。


『僕は…サツキだよ』

『サツキ…さっちゃん…』


私の言いように、ほんのわずかな笑みを漏らしていた、ような気がする。その時にはもう眠りの淵から底の方へと落ちていたのだ。夢は見ずに、深く深く眠った。

翌日目が覚めると、私の横はもぬけの殻だった。さっちゃんは落ちたのか、と思ってベットから床を覗きこんでみたけれど、そこには誰もいなかった。

確かにいたのに、温かくて柔らかったのに、夢のように消えてしまった。


当然の如く「夢を見たのよ」と、お母さんにそう言われた。でも、私はあの温かさや優しい感触は夢じゃない、とそう思った。

私が5歳の誕生日を迎えた日。1月1日ではなく、13月1日。

私は、サツキさんに出会ったのだ。私は5歳で、サツキさんは11歳だった。




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