人間と魔法師
「昨日任務から戻ってから、確保しておいた邪気について調べてたんだけど」
ビビはぴょんっとソファから降りると、テレビの前まで移動する。
「邪気にわずかに残った魔力の形跡から犯人の人物像が絞れてきたんだよね」
そう言ってビビは小瓶をポケットから取り出すと、みんなに見えるように掲げる。
「あれ、いつの間にそんなの取ってたの?」
「コリーが祓った後にささっと」
コルネリスは邪気を祓ってすぐに別の階に行ってしまったため、ビビが邪気を収集していたことは知らなかった。
「で、何がわかったんだよ」
レインが急かすように口を挟む。
「まずあの男の子に邪気を流し込むために使われたのは、魔法じゃなくて魔術だってこと。邪気に残った魔力はかなり複雑な工程を経て効力を発揮した痕跡があって、あれは魔法ではありえないの」
「つまり魔法師じゃなくて魔術師の仕業ってこと?」
コルネリスは顎に手を置きながらビビに尋ねる。
「いぇす! しかも現場には黄土色の粉がちょっとだけ落ちてたんだけど、なんとクロパンズボアの皮の粉末だったのー!」
ビビは興奮したように目をキラキラさせている。
ふと横を見ると、コルネリスやレインも心なしか驚いた表情をしていた。
「クロ⋯⋯なんちゃらってのはそんなにすごい物なの?」
聞き慣れない単語の登場に頭が全く追いついていかない。
「えー! ソラ知らないの? ていうかこれはどっちかっていうとそっちの領域の生き物なんだけど⋯⋯」
「人間界の生物ってこと?」
「そうそう! ボアっているでしょ? その中でもすっごく希少なのがクロパンズボアなの。人間界にしか生息してないし、そうどこにでもいる動物じゃないからめちゃくちゃ貴重なんだよ」
ビビはテンションが上がっているのか、なんだか嬉しそうに話している。
その姿は余計に幼く見え、昨日の飲みっぷりとのギャップが凄まじい。
「そのボアが貴重なのはわかったけど、それが今回の話とどう繋がってくるんだ?」
俺は首を傾げながら尋ねる。
するとビビはそうだった、と言って手を叩き、説明を始める。
「さっきも言ったように、このクロパンズボアの粉ってすっごく貴重なものだから、一般的な魔術にはほとんど使用されないの。今回みたいな人間に邪気を流し込む魔術も、例外じゃなくね」
「つーかそれだったらそもそも魔術じゃなくて魔法でやる方が手っ取り早いもんな」
レインはいつの間にコーヒーを出現させたのか、マグカップを片手に呟く。
「そう! その通りだよレイン君」
よく気がつきましたと言わんばかりにビビは大きく頷いている。
「現場に残された不必要だけど貴重な粉か⋯⋯なんか探偵っぽい!」
コルネリスは心なしかワクワクしているかのように見える。
「まぁ普通に考えたら不必要な粉なんだけど、恐らく昨日犯人が発動させた魔術は、旧式のものだったんだよ」
「はぁ? 誰が今時好き好んで旧式の魔術なんて使うんだよ」
レインが呆れたような声を出す。
旧式の魔術というものはよく分からないが、レインの反応からするに恐らく発動条件が複雑か、面倒なものなのだろう。
「確かに、いくら魔術師といえど旧式はねぇ。手間も時間もかかるし。その分威力は絶大って話だけど、正直人間に邪気を流し込む程度で使いたいとは思わないかなぁ」
コルネリスもにわかに信じがたいといった表情だ。
「旧式っていうのを何で犯人が使ったのかは分かるの?」
「うーん、ここからはあくまで予想になっちゃうんだけど。多分犯人は相当な魔術オタクで、恐らく今回の件も自分の得た知識を実際に活用するために実験をしていたんだと思うんだよね」
「実験って⋯⋯」
「魔術師ってさ、魔法じゃなくて魔術を使うことに意味を見出してるっていうか、魔術に魅せられている人が多いんだよね。より複雑な方法で魔術を発動させてこそ一流って思ってる節があって。だから今回の件も敢えて旧式の魔術を使うことで、自分の魔術師としての力を試したかったんだと思うの」
ビビの説明に、コルネリスやレインも納得したように頷いている。
「でもそれって、人間を巻き込んでまですることじゃないだろ」
俺は思わず声を荒げる。
脳裏には三好君の姿が浮かんでいた。
今回はたまたま俺たちが現場に行って彼に気づいたから良かったものの、あと少し遅れていたら手遅れになっていたかもしれない。魔術師の力試しごときに人間が、しかもまだ十数年しか生きていない子供が犠牲になって良いはずがないだろう。
「まぁな。だけど魔法師や魔術師っていうのは、みんながみんなお前たち人間に好意的って訳じゃない。基本的に俺たちは人間たちに対して労力を使っている訳だからな。勿論それは自分たちのためでもあるが、そもそも人間界を失くせば問題は解決するって考えてる奴らだったり、人間をモノとしか見ていないような奴らもいるんだよ」
レインは淡々とした口調でそう話す。ビビやコルネリスも珍しく暗い表情だ。
レインの言葉に俺は少なからずショックを受けていた。
以前もレインは人間を嫌う魔法師がいるという話をしていたが、今俺の周りにいる魔法師たちは皆そんな素振りはなく、こうして俺を仲間として迎え入れてくれている。
だから心のどこかで、これが普通のことなのだろうと思っていた。
しかしレインの言う通り、俺たち人間は知らず知らずのうちに魔法師たちに守られている。何も知らない以上、魔法師たちに危害を加えるようなことはないが、その反面感謝をすることもない。誰かの働きによって成り立っている平和な世界で、ただ何も知ることなく平凡に生き続けているのだ。
確かにそのことに対して異議を唱える者が現れるのは当然のことなのかもしれない。
「⋯⋯今まで何も知らずに生きてきてごめん。俺だけが謝ったって、意味はないのかもしれないけど」
そう、きっと意味はない。
俺がどれほど謝罪をしようと大勢の人間がどれほど頭を下げようと、俺たちに力がない事実は変わることなはい。
だけど、だからといってそれを仕方のないこととしてただ受け入れ続けることは、多分、正しいことではない。
「空⋯⋯」
ビビは心配そうな顔で俺を見つめいている。
部屋はしんと静まり返っている。
「⋯⋯だけど、それでもやっぱり三好君を実験体として巻き込んだのは許せない。どんな理由があっても」
するとレインは手に持っていたマグカップをテーブルに置き、気だるげに呟いた。
「別に俺らも犯人を許すつもりはねぇよ。つーか、こういうことが起きた時のために俺らはこっちに住んでる訳だしな。忘れたのか?」
「え? あ、いや⋯⋯」
やけにあっさりとしたレインの対応に、俺は言葉に詰まる。
自分ではかなり言いにくいことを言ったつもりだったが、レインにとっては大したことではなかったらしい。
「ひとまず今の所分かる情報はこれだけだけど、今サンクションに魔力の痕跡からもっとピンポイントに人物像を絞り込めないか調べてもらってるから、情報が届いたら一気に片付けようね!」
ビビの顔には明るい表情が戻っている。
「はい、ソラも深刻そうな雰囲気醸し出すのはおしまい! そういうのは犯人を目の前にした時だけでじゅーぶん」
コルネリスはそう言うと俺の肩をポンっと叩いた。
「⋯⋯ありがとう」
ジワリと心が揺れるのを感じながら、俺は一言そう呟いた。