邪気の謎
ビビとコルネリスは既に入り口付近に立っており、こちらに向かって手を振っている。
「二人ともはーやーくー」
ビビは俺たちを急かす。
「お前遊園地に向かうガキじゃねぇんだから騒ぐなよ」
レインが呆れたように呟く。
着いた場所が本当に遊園地であればまだ良かったのに、と俺は思う。目の前にそびえ立つ廃墟ビルはかなり老朽化が進んでおり、所々窓も割れている。心霊スポットとしてはかなり優秀な見た目と言えるだろう。
「しっかしまぁ結構な量が蔓延してるねー。それにちょっと重ための質っていうか。確かに急にこんな邪気が発生したって考えるとちょっと怪しいかも」
廃墟ビルを見上げながらコルネリスが呟く。
しかし邪気のレベルが高いとは聞いていたものの、やはり人間にそれを感じ取ることは出来ないのか、目の前の廃墟ビルはただ不気味なだけで、俺はそれ以外の何かを感じることはなかった。
「下の階はそうでもなさそうだが、上に行くに連れて邪気の濃度が濃くなってるな。恐らく何かあるとすれば4階か、屋上ってとこか」
「多分4階じゃない? 屋上だったらもっと外部に邪気が流れ出てても良いはず」
「じゃ、4階にしゅっぱーつ」
ビビはそう言うと瞬く間に姿を消した。
俺とレイン、コルネリスも後に続く。
移動距離が短いことが関係しているのか、一瞬浮遊感を感じただけで、さっきのような強烈な寒さは感じなかった。
4階に到着すると、俺はゆっくりとフロア全体を見回した。
外観同様、内部も老朽化は進んでおり、所々鉄骨の骨組みが見えている。安全性を考えればすぐに取り壊しをした方が良いのだろうが、このような廃墟は取り壊しにも相当な費用がかかるため、自治体も見て見ぬ振りをしているのが現状だ。
「ねぇ、あの柱の裏、何かいない?」
ビビは入り口から一番奥にある柱を指差している。
暗闇の中、俺はわずかに緊張しながら目を凝らす。はっきりとは見えないものの、確かに何かがそこにいるのは間違いない。
それを認識した瞬間、俺の心臓は猛スピードで心拍数を上げていく。廃墟ビルにいる何かなんて、どう考えてもまともなモノではないはずだ。いや、もしかするとそこにいたのは廃墟ビルに紛れ込んだ野良猫でした、というほっこりな展開もなきにしもあらずだが、邪気が発生しているという時点でほっこりエピソードが展開される可能性は、残念ながら限りなく低い。
俺は息を殺しながら奥の柱を見つめる。
すると突然、俺の横から真っ直ぐ柱に向かって光の球が放たれる。俺は咄嗟に横を見ると、レインは腕を振り下ろした。
その光の球は柱に直撃すると小さく爆発し、柱が上下に分断された。建物内は揺れたものの、その衝撃によって廃墟ビルが崩壊することはなく、大きな被害はない。
しかしその揺れにより、柱の裏にいた何かが姿を現した。
コルネリスとビビがすぐさま転移魔法で奥の柱に移動する。
一瞬、その場に緊張感が走ったが、柱から姿を現したのは気を失った人間だった。柱に寄りかかるようにして気を失っていたのだろう。正確に言えば、姿を現したというよりも、さっきの揺れで体が床に倒れてしまったという方が正しいようだ。
俺とレインもすぐにその人間の元に駆け寄る。
そこには学生服を着た男の子が横たわっていた。恐らく体格からして高校生だろうか。
しかし一目見ただけで、彼がただの男子高校生ではないことは俺にもすぐにわかった。
その額には複雑な模様がくっきりと浮かび上がってたのだ。
「強力な魔術が作用してるね」
ビビが真剣な顔つきで呟く。
「こういうのはビビの得意そうな分野じゃない? この子、闇雲に呪いにでも手をつけちゃった感じ?」
コルネリスの問いにビビは首を横に振る。
「ううん、自発的に何かを発動させた感じは受けないから、多分誰かに魔術をかけられたんだと思う。それにわずかではあるけど邪気が流し込まれた形跡もあるみたい⋯⋯」
するとレインは何かに気づいたように辺りを見回すとポツリと呟いた。
「さっきの重い邪気が消えてる」
レインの声を聞くと、残りの二人も何かに集中するかのように一瞬動きを止める。
「たしかにー!」
コルネリスが感嘆の声をあげる。
「この子を見つけたから邪気がなくなったってこと?」
俺は状況が理解出来ずに問いかける。
「それは違うかな。詳しいことはまだ分からないけど、多分ここで何者かがこの子にあの大量の邪気を流し込むつもりだったんだと思う」
ビビはそう言いながら、男子高校生の額に手を当てる。何かを確かめているようだ。
「⋯⋯うーん、精神の結構深いところに魔術がかけられちゃってるかも。ビビがやるよりレインの方が良さげかなぁこれは」
ビビはちらりとレインの方を見る。
レインは面倒くさそうにため息を吐くと、男子高校生の額に手を置く。
すると額に浮かび上がっていた模様から光が放たれ、その後すぐに黒い煙のようなものが彼の体から抜け出ていく。
コルネリスはすかさず空間を切るように手を動かすと、その黒い煙のようなものは瞬く間に消えてしまった。
「はい、オッケー。でもまだうっすらとビル全体に邪気が残ってるから、各階テキトーに浄化しておきますか」
そう言ってコルネリスは立ち上がると入り口へ歩き出す。
「その子、大丈夫なんだよな?」
俺はレインに尋ねる。
「とりあえず体に関してはちゃんと復元してあるから命に別条はない」
「良かった。でも誰がこんなことを⋯⋯」
「んー、この子に恨みがある魔法師とか?」
ビビは顎に手を当てながら答える。
「とりあえずその子の意識が戻ったら聞いてみるしかないか⋯⋯」
するとレインは首を横に振る。
「いや、意識が戻っても恐らく魔法師に関する記憶は消されてるだろうな」
ビビも同調するように隣で頷いている。
「だけどレインの復元魔法でどうにかなるんじゃないのか?」
「人間の体に魔術がかけられていること、無理矢理邪気を流し込まれていることに関しては本来あるべき姿とは異なる。だから復元魔法で対応が可能だが、既に消えてしまったものに関しては手の施しようがない。記憶操作ならなんとかなるが」
「じゃあなんでこの子がこんな目にあったのかも、誰がこんなことをしたのかも分からないって訳か」
俺はため息を吐く。
この子とは今日が初対面で、当然関わりがある訳ではないが、まだ20年も生きていないような子供が何らかの事件に巻き込まれ被害を受けたともなれば、いち大人として胸が痛むのも当然である。
「でももしかしたら手がかりなら掴めるかも」
ビビはそう言うと小さな小瓶を見せる。
中には先ほど彼の体から出てきたと思われる少量の邪気が入っていた。
「これさっきコルネリスが浄化する前にとっておいたの。これを調べたら何か出てくるかも」
ビビはにっこりと笑っている。
「お前ほんとそういうの好きだよな」
理解できないというような表情でレインはビビを見る。
「うん、色々調べたら色々出てくるかもしれないからねーん。楽しみ楽しみ」
ビビは満面の笑みで小瓶を見つめるのであった。