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敗戦革命  作者: 月路です
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近衛人脈

 1914年04月_近衛文麿は、東京帝国大学哲学科から京都帝国大学法学部に転校した。近衛文麿が河上肇を心から尊敬する様子を、1937年6月3日付報知新聞が次のように伝えている

大正三年の春、桜花爛漫と咲き乱れる京都帝国大学玄関先で痩身の帝国大学生が学生監と言い争っている…

「どうしても駄目だ、願書の締切日から三日も経っているじゃないか」

「何度お願いしても?」

「勿論」

「じゃ私も河上肇博士の社会科学が聞きたくて遥々東京帝国大学から転校して来たんだ、それを無情に追い帰すならヨシ私も男だ、死んでもここから動かないから」と玄関先へデッカと据えた信玄袋!

その上へ腰を下して学生監をグッとにらんだ

「まあ、待て、待て、君!」とスッカリあわてた学生監

信玄袋戦術が功を奏して東京帝国大学哲学科から京都帝国大学法学部へ転校を許されたが、その青年が文麿公だった

それからの大学生文麿は河上博士の講義にばかり出席し、

「主義と目的のため放逐される位人間と生れてむしろ痛快ではないか」と博士がクロポトキンを讚えれば、

「そこだ、先生!」と青年文麿は卓子を叩いて叫んだ…

挿絵(By みてみん)


 -----------------------近衛人脈-----------------------

 堀江邑一:マルクス経済学者河上肇の一番弟子、『中央公論』『改造』に中国関連論文を多数発表「昭和研究会」嘱託、戦後日本共産党入党、日ソ協会顧問、日ソ図書館長や日ソ学園理事長歴任


 尾崎秀実:朝日新聞記者、第1次~3次近衛内閣内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員、近衛主催の政治勉強会「朝飯会」参加、ゾルゲ・ソ連スパイ事件の犯人、コミンテルン公認共産スパイ、1944年11月07日、巣鴨拘置所で獄中記を執筆。死刑執行


 中野正剛:日報社、朝日新聞記者、東方時論社社長兼主筆、元衆議院議員、初代東方会総裁、憲政会・立憲民政党と政党を渡り歩く。1939年には議会政治否定・政党解消を主張して衆議院議員を辞職、後の選挙で当選復帰。南進論・日独伊三国同盟を支持し、撃栄東亜民族会議を主催

 1940年、大政翼賛会総務に就任

 1943年10月27日、自宅にて割腹自決


 風見章:第1次近衛内閣書記官長就任。国際通信、朝日新聞記者、戦後の左派社会党顧問、日ソ協会副会長、日中国交回復国民会議理事長、ゾルゲ事件逮捕近衛元総理に既成政党を全て抹消するよう進言し、近衛から賛同を得ている。立憲政友会・立憲民政党の2大政党に内紛を起こさせて同党を解散に追い込む政治工作を行い、後の大政翼賛会の結成に至った


 赤松克麿:「大政翼賛会」初代企画部長、衆議院議員、東洋経済新報社の雑誌「解放」の編集、日本産業協力連盟理事長、日本革新党党務長、左翼活動家・国家社会主義運動家に転じた


 牛場友彦:内閣総理大臣秘書官を務め、朝飯会を発足、尾崎秀実を近衛文麿に紹介、日本経済復興協会の理事、日本輸出入銀行幹事、日本不動産銀行顧問


 三木清:大谷大学、龍谷大学で教鞭。哲学者。日本共産党に資金提供し被逮捕


 佐々弘雄:朝日新聞論説委員、参議院議員、九州帝国大学法文学部教授、『九州日報』『改造』『中央公論』で執筆。熊本日日新聞社社長兼主筆、ゾルゲ事件発覚時に尾崎秀実関連記録隠滅


 藤隆之助:大政翼賛会の組織局長大日本連合青年団主事。「(1)現行憲法の範囲内で国内改革をする、(2)既成政党を排撃する、(3)ファシズムに反対する」の3点を根本方針とする昭和研究会設立趣意書を発表。蝋山政道、高橋亀吉、笠信太郎、尾崎秀実、三木清らを集めて、政治・経済・外交・文化等各方面に亘る国策研究を進めた。第1次近衛内閣発足時に、ブレーンとして組閣参謀を務め、戦後、昭和研究会の関係者を集めて「昭和同人会」を作った


 笠信太郎:朝日新聞論説主幹。東京商科大学本科を卒業。同研究科退学。1936年01月朝日新聞入社、同年09月論説委員。近衛文麿のブレーン組織「昭和研究会」、朝飯会参加。1940年10月ヨーロッパ特派員としてドイツ駐在を発令され渡欧、戦後1948年02月に帰社後14年10か月間、論説主幹を勤めた。安保条約改定に反対し、1958年の朝日新聞には「世界連邦を日本の国是とせよ」という社説を書いた


 益田豊彦:1900年05月22日~1974年07月11日。1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高松高等商業学校教授就任。1926年、労働農民党結成に参加し調査部長に就任。1934年、東京朝日新聞入社、東亜問題調査会に配属され尾崎秀実と出会う。1936年、昭和研究会に参加し、外交問題研究会委員となった。戦後は朝日新聞の大阪本社代表取締役、東京本社代表取締役を歴任。1965年に取締役を退任


 蝋山政道:1895年11月21日生。民主社会主義の提唱者。東京帝国大学法学部教授。1930年代、軍部台頭のなかで政党政治の行き詰まりを打破するため「立憲独裁」を提唱し、昭和研究会設立構想に参加。1942年、衆議院議員、大政翼賛会推薦で衆議院議員に当選。占領期に公職追放。中央公論社副社長、日本政治学会理事、民主社会主義研究会議議長に就任。日米安保肯定論で民社党の外交防衛政策を理論づけた。1980年05月15日、急性心不全で死去

 -----------------------近衛人脈-----------------------以上

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