「敗戦革命」が齎した人権蹂躙国家群の成立とその崩壊過程
「敗戦革命」の家元:ソ連は、日露戦争後の混乱に乗じてロマノフ王朝を滅ぼしたレーニンらの労働者農民赤軍が創った国。数々の内部抗争を経て、スターリンが実権を握った。僥倖ともいえる偶然の重なりで成立した政権は、資本主義圏の強大さを過大視して、常に恐怖心に苛まれていた。
スターリンのスタッフは、一計を案じて、「砕氷船理論」を考えた。
日本の報道関係者らは、ソ連と気脈を通じていたので、「砕氷船理論」を実践しようとして、日米対立を煽った。
第二次大戦で日本全国が焦土と化したのは、敗戦革命論を信奉する報道関係者らの目論見通りだったけれど、敗戦に伴う革命は起こらなかった。
報道関係者らは、開戦の責任を軍部や国民に転嫁して自虐史観的洗脳に精を出し、一方では、中韓鮮の政権を唆して、日本民族贖罪要求を続けさせた。
一方、ソ連は、周辺国の侵略と傀儡政権の樹立に邁進した。
その結果、次の国々が赤化された。
ソビエト社会主義共和国連邦 1922年12月30日~1991年12月26日
モンゴル人民共和国 1924年11月24日~1992年12月12日
ユーゴスラビア民主連邦 1943年11月29日~1945年11月29日
ユーゴスラビア連邦人民共和国 1943年11月29日~1963年04月07日
アルバニア社会主義人民共和国 1944年11月29日~1946年01月11日
ポーランド人民共和国 1945年06月28日~1989年07月19日
ベトナム民主共和国 1945年09月02日~1976年07月02日
アルバニア人民共和国 1946年01月11日~1976年12月28日
ブルガリア人民共和国 1946年09月15日~1990年12月07日
ルーマニア人民共和国 1947年12月30日~1965年08月21日
チェコスロバキア共和国 1948年06月09日~1960年07月11日
朝鮮民主主義人民共和国 1948年09月09日 現存
ハンガリー人民共和国 1949年08月20日~1989年10月23日
中華人民共和国 1949年10月01日 現存
ドイツ民主共和国 1949年10月07日~1990年10月03日
エジプト共和国 1957年07月22日~1958年02月22日
アラブ連合共和国 1958年02月22日~1971年09月02日
チェコスロバキア社会主義共和国 1960年07月11日~1990年03月29日
キューバ共和国 1961年07月01日 現存
ビルマ連邦社会主義共和国 1962年03月02日~1988年09月23日
シリア・アラブ共和国 1963年03月08日~2012年02月27日
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 1963年04月07日~1992年04月27日
アルジェリア民主人民共和国 1963年09月08日~1989年02月23日
タンザニア連合共和国 1964年04月26日 現存
ルーマニア社会主義共和国 1965年08月21日~1989年12月21日
イエメン人民民主共和国 1967年11月30日~1990年05月22日
イラク共和国 1968年07月17日~2003年04月09日
リビア・アラブ共和国 1969年09月01日~1977年03月02日
コンゴ人民共和国 1970年01月03日~1992年05月01日
バングラデシュ人民共和国 1971年04月11日 現存
エジプト・アラブ共和国 1971年09月02日~2007年03月26日
スーダン民主共和国 1973年05月08日~1985年10月10日
エチオピア社会主義臨時軍事政府 1974年06月28日~1987年02月22日
民主カンプチア 1975年04月17日~1979年01月10日
モザンビーク人民共和国 1975年06月25日~1990年12月01日
アンゴラ人民共和国 1975年11月11日~1992年08月28日
ベナン人民共和国 1975年11月30日~1990年03月01日
ラオス人民民主共和国 1975年12月02日 現存
ポルトガル共和国 1976年04月02日 現存
ベトナム社会主義共和国 1976年07月02日 現存
ソマリア民主共和国 1976年10月21日~1991年01月26日
インド共和国 1976年12月18日 現存
アルバニア社会主義人民共和国 1976年12月28日~1992年03月22日
大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国 1977年03月02日~2011年10月23日
アフガニスタン民主共和国 1978年04月27日~1987年11月30日
スリランカ民主社会主義共和国 1978年09月07日 現存
カンプチア人民共和国 1979年01月10日~1989年05月01日
ガイアナ協同共和国 1980年10月06日 現存
エチオピア人民民主主義共和国 1987年02月22日~1991年05月27日
アフガニスタン共和国 1987年11月30日~1992年04月28日
「敗戦革命」で成立し、今尚、人権蹂躙を継続している国家がいくつか有る。そのうちの一つが北朝鮮だ。
情報統制で国民に真実を知らせず嘘を信じ込ませる営みで維持されている国だが、その工作活動は、日本に計り知れない害悪を及ぼしている。
ソ連では、1985年、共産党書記長(最高指導者)に就任したミハイル・ゴルバチョフが、共産主義思想による硬直化した政治体制が経済的発展を妨げ自由主義圏の発展に遅れをとる懸念から提示した①ペレストロイカ(再革命)②グラスノスチ(情報公開)の二つの処方が、徐々にソ連国内に浸透していった。
この動きに危機を感じた共産主義者らが1991年8月にソ連でクーデターが起こしかけたが、ロシア共和国大統領エリツィンが戦車の上からゼネストを呼びかけ、多くの人々がその呼びかけに応じたので、クーデターは失敗し、ソ連という国は無くなった。
共産主義思想に賛成する人々も少なくなり、「労働者が主人公」というウソの看板は、ソ連やヨーロッパでは、降ろされていった。
しかし、新しい看板「多文化主義的ポリコレ」が、アメリカで掲げられた。
「労働者が主人公」と「多文化主義的ポリコレ」は、根っこが同じ、マルクス・エンゲルスの科学的社会主義から生まれて別れた双子だった。
さかのぼって1917年10月、ロシア革命後にドイツのミュンヘンとベルリンで起きた革命騒ぎは、ドイツ軍に攻撃され静められた。
1919年にはハンガリー・ブダペストで革命政権ができたが、これも数ヶ月でつぶされた。ハンガリー革命がつぶされたので、ルカーチ・ジェルジュは、ソ連に亡命して、革命が成功しない原因を考えた。その結論は、「人民の階級意識が目覚めないよう邪魔しているのは伝統文化・キリスト信仰だ。伝統文化・キリスト信仰を壊さなければ、革命はできない」ということだった。
1923年、ルカーチはドイツ・フランクフルト大学の中で「マルクス主義研究所」を作った。「マルクス主義研究所」で研究する学者たちの集まりを「フランクフルト学派」という。
フランクフルト学派のマックス・ホルクハイマ―は、労働者階級が革命を起こすという理論に代わる「批判理論」を発表した。暴力革命を起こすよりも、長い時間をかけて西欧文化(キリスト教精神)を少しづつ虫食む方が政権を倒しやすいと言い、文化や教育制度を変えさせることを重要視する理論だった。
この学派のユダヤ人学者(M.ホルクハイマー、T.W.アドルノ、W.ベンヤミン、 H.マルクーゼ、E.フロム、ノイマン、J.ハーバーマス、シュミット等)は、ナチスの力が強くなるのを嫌がってアメリカに亡命し、コロンビヤ大学に助けてもらって、アメリカでフランクフルト学派を作った。フランクフルト学派が「マイノリティ」を重要視するのは、ユダヤ人が自分達を「少数派」だと感じていることが影響しているのではないかと言われている。
フランクフルト学派は、マルクス主義と無関係のふりをしたので、アメリカでも思想が知識人に受け入れられて広まっていった。
1926年、イタリア共産党書記長アントニオ・グラムシは、ムッソリーニ政権下で逮捕され、「獄中ノート」の中で「ヘゲモニー論」を書いた。「ヘゲモニー論」の内容は、「芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、ラジオなどを一つづつ手に入れて人々の考えを変えさせ、伝統文化・キリスト信仰への関心を無くさせれば、政権は自然に倒れて、革命側が権力者になることができる」というものだった。
大事な点は、革命のために働く主力を「労働者階級」から「マイノリティ」に代えるということだ。「マイノリティ」とは、歴史的に反主流派とされる層、経済的に虐げられた人々だけでなく、 男性に対する女性 、多数民族に対する少数民族、一般市民に対する犯罪者など」だと主張したのだ。「犯罪者が悪いのではなく、犯罪をおこさせた社会が悪い。だから、加害者は逆に保護されるべきだ。被害者は安穏と暮らしてきた保守的な階級であり、保護すべき対象ではない。新世代の若者はみな疎外感にもがき苦しんでいるからこそ犯罪に走る。黒人、貧困者、世の中の敗者、脱落者こそ、革命を起こすことができる英雄なのだ」と。
彼は、獄中で病気になって1937年に死んだ。
第1次世界大戦の影響でヨーロッパの映画産業が衰退した後の1920年代、アメリカ映画業界は隆盛を享受したが、ハリウッドは、キリスト教的道徳に縛られない 背徳の都となって醜聞を賑わし ていた。
1927年5月11日、映画業界は、批判をかわすとともに、労働争議の未然解決を図る目的で、 AMPAS (Academy of Motion Picture Arts and Sciences 映画芸術科学アカデミー)を設立した。
会社側は、「映画における芸術と科学の発展」を目的に掲げるアカデミー賞を設けて、キリスト教的道徳観に沿う作品等を推奨しようと試みたが、スタッフや俳優らは、会社側の作品等選定に批判を浴びせるとともにボイコット等の手段を弄して主導権を奪いとった。
各社はアカデミーへの支援を行わなくなり、これを機にアカデミーはアカデミー賞セレモニーの放送権をテレビ局に売ることで自立するようになった。
1960年代以後の新左翼運動に大きな影響を与えたのは、フランクフルト学派のマルクーゼだ。マルクーゼは、「アメリカのような産業管理システムの中で生活している多数派の人々は『現実が当たり前』と感じるようになり、批判的に物事を考える力を失う。そのような人間は『一次元的人間』だ。少数派(はみ出し者やマイノリティなど)は、管理されていないので、『一次元的人間』にはならない」と「マイノリティ」に期待した。
新左翼運動は、「ベトナム戦争反対」を掲げて、次のようなことをした。
◦ 南ベトナム政府とアメリカ軍を一方的に非難した。
◦ 「南ベトナム解放民族戦線」と名乗る反政府運動は、本当は、北ベトナム軍の軍人たちが攻撃を仕掛けているのだということを隠した。
◦ フランシーヌ・ルコントという女の人が焼身自殺した事件を脚色して反戦運動に結びつけた。
北ベトナム軍の主力が「解放を目指す民衆」であるかのようなウソの情報宣伝映画を作成上映した。
◦ 革命歌「インターナショナル」を流行させた。
これらが、全部、北ベトナム革命勢力を有利にする為のプロパガンダだったことは、南ベトナム国が滅びた後、徐々に、明らかになっていった。
ポリコレは、マイノリティ(少数派)がマジョリティ(多数派)を憎むように仕向ける戦術だ。
例えば、韓国で行われてきた歴史教育や宣伝は、昔の日本の軍隊が、朝鮮半島に住む女の子を性奴隷にしたり、朝鮮半島に住む人々を強制的に働かせたりしたという内容だったが、それは、ウソをもとにした物語を歴史的事実であるかのように脚色したものだった。その結果、韓国では、日本を敵と考え、北朝鮮と仲良くしたいと言う大統領が当選した。
また、沖縄県では、ヤマトンチュウ(沖縄県民以外の日本人)がウチナンチュウ(沖縄県民)をバカにしたりいじめるたりする場面が多いウソの歴史をもとにした芝居を演じたり、アメリカ軍の兵隊たちが犯罪をしたと大げさに報道したりした。
長い時間をかけて少しづつ虫食むようなやり方で「ポリコレ」を沖縄県民の心の底深くに埋め込む方法が成功したので、沖縄県ではアメリカ軍を敵視する県知事が当選した。
更に[歴史認識]は、革命勢力にとって強力な武器になる。2018年に出版された[Not My Idea]は、「白人が有色人種に比べて恵まれた特権を有しているのは、先住民族から土地を奪い、アフリカから強制連行した黒人の奴隷労働で築かれた社会構造に源泉がある」旨、主張している。
韓国人慰安婦や徴用工、アイヌ文化保護に、日本の税金を原資として、補償しようとする動きも、同じ流れの上にあり、昔、NHKが「ア、イヌが来た」と倭人の子供達が侮辱するドラマをラジオで放送していたことがあったが、これも、歴史捏造工作の一環だったのだ。
台湾天然独や香港雨傘運動は、予期せぬ副作用だったが、報道しない自由で人々の目にふれぬよう覆い隠された陰で、中国共産党勢力のなりふり構わぬ弾圧が行われている。
1970年にチャールズ・ライクが著した「緑色革命」の表紙には、「革命がやってきた。昔とは異なる革命が。起点となるのは個人であり文化であり、政治制度に影響を及ぼすのは最後のほんの一筆。成功のために暴力は要せず、暴力による鎮圧も成功しない。驚異の速さで広まり、すでに法律や組織、社会制度を変えつつある…新世代の革命が」との文章が記載されていた。
グラムシ思想は、欧州コミュニズムと米国カウンターカルチャー運動に影響を与えたが、「緑色革命」も、その一例だ。
こうした思想を大学時代に教えられると、その破壊的な傾向が、大学に残った学者にも報道機関や出版社に就職していったジャーナリストにも受け継がれていく。メディアが左翼に支配される所以だ。
手段方法や看板が違っていても、マルクス主義者の各路線は、同じ目標=革命成就(主義思想で国民を押さえつけて支配する社会を作ること)を目指している。
1848年に発表された「共産党宣言」に書かれている「人類平等」を素晴らしい考え方だと思った昔の人々は、「独裁」が、一時的な(資本主義社会が共産主義社会に代わる途中で必要とされる)ものだと思っていた。
しかし、ソ連という国が無くなった後の「多文化主義者」は、「独裁」を最終的な目標と考えている。
ハーバード大学などに居るポリコレ論者は「多文化主義者」であり、エリート層が大衆を支配する社会の実現という目標を隠して、マイノリティ層の支持を集め、マジョリティ層を念頭に置く発言を非難の的とすることに成功した。アメリカ大統領選挙でトランプ氏が当選したときは、まだ何も政策を実行に移さないうちから、暴動に近いデモ集会が頻発した。
また、Affirmative Action(積極的差別是正)を普及させた。 従来の不十分な教育や貧困が原因で不利な立場に置かれている人々を、 positive discrimination (肯定的差別)で優遇して実質的公平さを実現しようという主張に基づく措置だ。
これに異を唱えようものなら、忽ち、差別者として轟轟たる非難を浴びせ、社会的に抹殺する。
ソ連の侵略を受けて傀儡政権を樹立された東欧では、長らく、経済的停滞を続けていたが、ミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長就任の数年後に、ゴルバチョフ改革に沿う形で、各民族が人質状態から解放され、ベルリンの壁が崩壊した。
中共では、2000年、江沢民が三個代表という考え方を発表した。社会生産力と先進文化と幅広い人民の根本的利益に力を入れるという考え方だ。「共産思想よりも中華思想を大事にしなさい」と言ったのだ。
共産主義思想は、極一部の人権侵害国で残ってはいるが、地球上で殆ど信奉されなくなったと言っても過言ではない。
然るに、前世紀の亡霊が生き残って日本を滅ぼそうとしている。
老い先短い自分達の身がどうなろうと大した問題ではない。
しかし、日本民族が燃え尽きた灰の中から蘇ることができずに滅べば、それは、人類そのものの運命に関わる重大事だ。
なぜなら、民族性は、居住地の自然条件、地政学的状況等によって培われるけれども、周囲を海で閉ざされた島の中で、外敵よりも自然の脅威に立ち向かうために「和をもって貴しとなす」信条をもつ民族が形成され、自然界から養分を得て世界を繁栄させる価値を創り出すことは、稀有だからだ。
因みに、外敵の脅威にさらされ続けると、自民族内での政争を繰り返しながら権謀術数詐術に長ける者が生き残り、他者から養分を吸収して繁栄を図る民族性が培われる。
だからこそ、残された短い時間の中で、日本復活への道が何処に在るのかを探し続けたい。
(完)




