テロ
2022年5月28日、刑務所前には報道陣が集まり、お祝いの花束を用意して、出所者を待った。
出所者は、日本赤軍最高幹部の重信房子だった。日本赤軍は、イスラエル・ロッド国際空港での無差別百人殺傷、ハーグのフランス大使館占拠、クアラルンプールの米国大使館占拠、パリ発東京行き日航機のハイジャック等数多の事件を引き起こし、「人命は地球よりも重い」という福田赳夫首相の迷言(1977年9月)とともに、犯罪者仲間の釈放と600万弗の身代金を得たグループ。
出所者を憧憬の眼差しで仰ぐ青木理氏や金平茂紀氏らは、彼女を英雄視している気持ちを隠さなかった。
在⦿マスコミに巣食う報道関係者らは、無辜の民を無差別に殺傷する暴力革命テロリストの仲間だった。
2022年7月、安倍晋三元首相が奈良市内で参院選の応援演説中に撃たれて死亡した。
政治家が恨まれて襲撃される事件の例を挙げれば、きりがないほど多い。
1878年5月、内務卿大久保利通暗殺。犯人は旧加賀藩の士族島田一郎ら(紀尾井坂の変)
1889年2月、文部大臣森有礼暗殺。犯人は国粋主義者西野文太郎
1909年10月、初代内閣総理大臣で韓国統監を務めた伊藤博文暗殺。犯人は朝鮮人の安重根
1921年11月、首相原敬、東京駅にて暗殺。犯人は中岡艮一(原敬暗殺事件)
1932年4月、爆弾テロにより、上海派遣軍司令官白川義則暗殺。犯人は朝鮮人尹奉吉(上海天長節爆弾事件)
1932年5月、首相犬養毅暗殺。犯人は三上卓以下の海軍青年将校ら(五・一五事件)
1935年8月、統制派の中心人物永田鉄山暗殺。犯人は皇道派の青年将校相沢三郎(相沢事件)
1936年2月、大蔵大臣高橋是清、内大臣斎藤実、教育総監渡辺錠太郎、首相秘書官松尾伝蔵暗殺(二・二六事件)
1960年7月、岸信介首相が首相官邸玄関で右翼活動家に刺されて重傷
1960年10月、浅沼稲次郎社会党委員長が演説中右翼少年に刺されて死亡
1995年3月、国松孝次警察庁長官が東京都荒川区の自宅マンション玄関前で白マスクの男に撃たれて重体
2002年10月、石井紘基衆院議員が右翼団体代表に自宅前で刺されて死亡
2007年4月、伊藤一長市長が長崎市長選の選挙運動中に暴力団幹部に撃たれて死亡
政治闘争のためには、思想信条や政策に関する主張だけでなく、虚偽報道、デモ、抗議活動、ストライキ、暴力的攻撃などの様々な手段が行使される。そこに、外国勢力が隠れて暗躍することも少なくない。
安倍被弾の波紋は、多次元的に広がった。
中韓鮮を除く世界中の指導者達が、彼の死を悼み、痛切な悲しみを表したけれど、日本国内では、次のような驚くべき反応が出てきた。
(1)在⦿マスコミの暗殺背景歪曲報道
(2)統一教会に対する一方的なカルト認定と根拠の無い安倍癒着決めつけ発言の氾濫
(3)「アベ政治を許さない」キャンペーンのぶり返し
(4)死因確認や真犯人追及の動きに対する非難
(5)暗殺行為礼賛と死者冒涜の横行
(6)数多の自由世界要人達が参列を希望する国葬の挙行に対する妨害
(7)安倍暗殺が岸田政権や中共にとって好都合だという事情について論じられない状況
だが、彼が播いた次のような種が芽を出し日本を回復軌道に乗せることができるように努力しようとする人々の意見も多く発表された。
(1)景気浮揚と雇用改善
(2)長期政権実現→対外的発言力増加
(3)国家安全保障会議NSC創設
(4)対中包囲網形成・中共的経済搾取拒絶
(5)半島的詐欺回避
「敗戦革命」を志向する人々の動機や「敗戦革命」が齎した結果について思い巡らしてるうちに眠くなってきたので、目覚めたら、この続きを考えたいと思う。




