階級闘争から弱者革命へ
「労働者が主人公」と「多文化主義的ポリコレ」は、根っこが同じ、マルクス・エンゲルスの科学的社会主義から生まれて別れた双子だった
講演会の続編が開催された。
演題は[階級闘争から弱者革命へ]。講演内容の要旨は、次のとおり。
1991年8月19日にソ連でクーデターが起こりかけたが、ロシア共和国大統領エリツィンが戦車の上からゼネストを呼びかけ、多くの人々がその呼びかけに応じたので、クーデターは失敗し、ソ連という国は無くなった。
共産主義思想に賛成する人々も少なくなり、「労働者が主人公」というウソの看板は、ソ連やヨーロッパでは、降ろされていった。
しかし、新しい看板「多文化主義的ポリコレ」が、アメリカで掲げられた。
「多文化主義的ポリコレ」は、社会的弱者(障害者、貧困者、性的少数者、女性、黒人、前科者等)に対する人道的配慮を絶対視して、異論を封じるムーブメント。
第一次世界大戦が終了し第二次世界大戦が始まるまでの期間に書かれた獄中ノートに書かれたヘゲモニー論(社会的価値観転覆革命)
https://liberal-arts-guide.com/hegemony/
が、数十年後、中共文化大革命と時を同じくして、花開いた形となった。
「労働者が主人公」と「多文化主義的ポリコレ」は、根っこが同じ、マルクス・エンゲルスの科学的社会主義から生まれて別れた双子だった。
「共産党宣言」に書かれている「人類平等」を素晴らしい考え方だと思った昔の人々は、「独裁」が、一時的な(資本主義社会が共産主義社会に代わる途中で必要とされる)ものだと思っていた。
しかし、ソ連という国が無くなった後の「多文化主義者」は、「独裁」を最終的な目標と考えている。
ハーバード大学などに居るポリコレ論者は「多文化主義者」であり、エリート層が大衆を支配する社会の実現という目標を隠して、マイノリティ層の支持を集め、マジョリティ層を念頭に置く発言を非難の的とすることに成功した。
また、Affirmative Action(積極的 差別 是正)を普及させた。従来の不十分な教育や貧困が原因で不利な立場に置かれている人々を、positive discrimination(肯定的 差別)で優遇して実質的公平さを実現しようという主張に基づく措置だ。
これに異を唱えようものなら、忽ち、差別者として轟轟たる非難を浴びせ、社会的に抹殺する。
1992年10月、江沢民は、「社会主義市場経済」導入決定を発表した。そして、日本の宮澤喜一首相に働きかけて、天皇,皇后両陛下の訪中を実現させた。日本の抜け駆けで経済的不利益を被る虞を感じた西側先進諸国は、徐々に経済制裁を解いていった。
中国共産党中央委員会総書記に就任した江沢民は、上海市中国共産党委員会書記時代の部下(曽慶紅、呉邦国、賈慶林、李長春、賀国強、周永康、薄熙来、王立軍、徐才厚、郭伯雄、令計劃、賈廷安、由喜貴、劉京、黃麗滿、阮崇武、陳良宇、黄菊、張定發、曾培炎、回良玉、唐家璇、陳至立、華建敏、劉志軍、周小川、張文康、孫家正、劉淇、季建業、白克明、周明偉、汪光燾、杜青林、曹建明、孟建柱、張徳江、兪正声、劉雲山、魯煒、張高麗、孫政才、韓正ら)を昇進させて、身の回りを固めた。彼らは[上海幇]と呼ばれ、後に、習近平に依る[腐敗撲滅運動]の標的にされることになる。




