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水葬

作者: オータ

ある日の午後のことだった。

クラスメイトの雑談をぼんやりと聞き流しながら、僕は空を見ていた。

教室の窓から見える四角に切り取られた空は、真っ青で作り物のように綺麗だ。

分厚い入道雲が夏が近いことを示している。

空に関心がない僕でも、入道雲くらいは知っていた。


ふと、空を見上げる僕の目の端で長い髪の毛が揺れる。



「かっちゃんがお喋りしないなんて珍しいね」


「なんていうか、メンソレータムな気持ち」



僕に話しかけた幼なじみは、いぶかしげに眉をひそめて考え込んだ。

そして、まさかという顔で僕を見る。



「もしかして、メランコリーって言いたかったの?」


「それそれ」



大袈裟なリアクションでため息をついて、幼なじみは呆れた表情をした。



「すっごくバカっぽい間違い」


「んー」



僕は気の抜けた声とともに伸びをして、だらっと机にもたれかかった。

そんな僕を見て、悪友たちはからかうように笑う。



「なにしてんだよ。だらしねぇな」


「んー。五月病ってやつ」


「もう6月だろ」



悪友たちは少し笑って、またどうでもいい話に花を咲かせていた。

僕もいつもはあの輪の中にいるのだけれど、今日はなぜかそんな気にはなれなかった。

特別、理由がある訳じゃない。

ただちょっと、母さんの長話に父さんが生返事で答える気持ちが分かる気がするだけ。



「変なの。体調悪いんじゃない?」


「そうなのかねー」



幼なじみは会話を諦めたようで、僕の前にチラシを一枚取り出して見せた。



「あのさ、私展示会に出ることになったから」


「展示会?ああ……あれ」


「せっかくだし、暇だったら見に来てよ。今度の日曜日ね」


「んー」



だらりとした返事しか出てこない。

幼なじみがこの展示会に出ることは、実はもう知っていた。

昨日、地元の地方紙に載っていたから、知らないはずもない。

けれど、僕がなにも言わないものだから、しびれを切らして誘ったのだろう。


別に彼女が選ばれたことを羨んでいるわけでもないし、むしろ喜ばしいことだと思っている。

クラスメイトの何人かは、乗り気で展示会に行くらしい。

きっと、僕のだらけた姿は幼なじみのことを怒らせただろう。

分かっているのに、今日はなんにも身に入らなかった。


気がつけば悪友たちはそれぞれの机に散って、教室は波が引くように静かになる。

教卓に国語の先生がたどり着いて、昨日と似たようなことをまたつらつらと話始めた。


一瞬の美。

国語も社会も理科も数学もなにもかも、たどり着くのは美の話だった。

この地上にわずかに残ったヒトが学ぶのは、一瞬の美学について。

そんなことがなんの役に立つかなんて、このクラスの誰も分かってはいない。

大人になったら分かるのだろうかと、小さな気泡のような疑問を浮かべては、ぱちんと割る。


そんなことを考えるよりも、目の前の友達と噂話でもして盛り上がればそれでいい。

毎日をそうやって積み重ねて、適当にやり過ごす。

大人も実はそうなんだろうか。

きっと、こんなことを聞いたら怒るのだろうけど。



「佐良山勝彦!聞いてるのか!」



急に自分の名前が耳に飛び込んできて、飛び跳ねる。

先生はため息をつき、クラスメイトたちはおかしそうに笑って、僕も誤魔化すように笑った。

まるでそれは、予定調和のモニターを覗いているように、当たり前の日常だった。





ーーーーーー





「佐良山は展示会行かないのか?平野と幼なじみなんだろ?」


「んー、まぁ、行けたら行こうかな」



また空を見上げながら、適当に返事をしていた。

ここのところ様子が変だと、悪友たちは少しだけ心配したが、すぐにこの状況すらも日常に取り込まれてしまう。

だらけながらも、なんだかんだ会話をして、僕はこの時間をやり過ごしていた。


どうしてこんなにもやる気が出なくなったのだろう。

平野が新聞に載ったのを見た日から、すっかり腑抜けてしまっていた。

やはり選ばれた平野に嫉妬しているのだろうか。

情けないやつだなぁ、と自分を憐れんだ。



「じゃ、そろそろ帰るわ」


「あい。またな」


「おう」



駄菓子屋でアイスを食べていた僕たちは、木の棒にアタリの字がないことを確認して、ゴミ箱へ捨てていく。

6月だというのに、熱気の中にもう逃げ水が見えた。

そしてそれを狙って産卵するトンボ。

幻の水に産み付けられた卵は、幻のトンボになるのだろうか。

汗をぬぐって立ち上がろうとする足元では、アリ達がなにかをせっせと運んでいた。


子供じみた空想だ。

幻のトンボなんていないことを、僕はとっくに分かっているのに。

蝉がもう鳴き始めていた。

夏が来るのが早すぎる。

だからといって、思うことも特になく、僕はアイスをもう一個買おうかなんてどうでもいいことを考えていた。




ーーーーーー




日曜日が来た。

相変わらず僕は腑抜けたままで、立ち上がろうにも気力は暑さで溶けていた。

親はしきりに展示会のことを話していたけれど、僕は心底どうでもいい。

学校の勉強と同じだ。

関心もないのに、それが大事だということだけは理解している。


あまりにもだらけている僕を見て、母さんがため息をつきながら庭を指差した。

犬の散歩へ行けという意味だろう。

仕方なく立ち上がると、帰りにアイスを買ってきて、なんて都合の良いお使いまで頼まれた。


気だるい。

コンクリートから立ち上る熱気が、靴の底からじりじりと足の裏へせまる。

汗が流れ落ちて地面にシミを作っては、一瞬で消えた。

幻の水に、幻のトンボに、幻の汗。

また下らないとことを考える。


そのまま犬をつれて歩いていくと、電柱に貼り紙が増えていった。

どれもこれも展示会の宣伝ポスターで、「水葬」と銘打たれていた。

行くつもりはなかったのに、犬は理由もなくそちらの方へ歩いていこうとする。



「お前まで展示会に興味があるのかよ」



気の抜けた笑い声が出た。

少し犬に任せて歩いてみるか、と気まぐれに僕はついていく。

この先は公園で、展示会をやっていなければ、犬が自由に走り回れるほどのスペースがあった。

見れば犬も自分の遊び場がないことを納得するだろう。


ジリジリと太陽の光が腕を焼く。

手の先も蒸気につつまれて曖昧になり、目だけがぽかりと浮かんでいる気分になる。

熱中症の始まりだろうか。

公園の自販機で飲み物を買って飲みながら帰ろう。

そう思いつつ、展示会場へ足を踏み入れた。



「うわぁ」



大きな水槽が遠くまでいくつも並んでいた。

その一つ一つが自分の背の倍はあり、住居の一室くらいの広さがある。

その中には生活感溢れる小部屋が再現されて、中はなにかの液体に満ちていた。

きっと理科室にあるホルマリン漬けみたいなやつだろう。

中に展示された人たちは、生き生きとした表情のまま保存されている。


一瞬の美について、語られることはいつも同じ。

それは自分達という希少な種を後生までどう保存するかということ。

誰に向けてかは定かでないからこそ、美学という分類にわけられるのだろう。


いずれ人間は絶滅する。

絶滅したあとにやってくる宇宙人のためか、また進化の歴史を繰り返して知能を得た生物のためか、そんなことは問題ではなかった。

生き延びようとする本能が絶対に達成されないと知ったからこそ、残された人類の間に生まれた共通認識なのかもしれない。


だから、僕の目の前に立つ幼なじみの姿も、人類にとって素晴らしいことだった。

栄誉がある選ばれた個体で、今後数万年は同じ姿を保ち続ける。

水槽の中に再現されていたのは、何度か遊びにいった彼女の部屋だった。

机の上に開いて置かれたノートには、つい数日前に学校で習った黒板の写しが記されている。


彼女は水槽の真ん中で、本を読んでいた。

大好きな小説を片手に持って、もう一方の手で頬杖をついている。

小説に没頭した目は、めくられることのない一ページをずっと見つめていた。

水面がゆらゆら揺れると、光が乱反射して、彼女の瞳に光を送った。


僕は、なにも言えなくて、いつの間にかリードが僕の手から逃げ出したことにも気がつかないで、ずっとその水槽を見ていた。

彼女は生気に満ち溢れ、楽しそうに小説を読んでいる。

一方の僕は夏の熱気にやられて、目も虚ろで、呆然と立ち尽くしている。


なのに、君は水槽の中で。僕は水槽の外で。


僕は不意に走り出した。

自分でもどうして走るのか分からない。

犬はどこへ行ったのだろうか。

そんなことはどうでもいいのに、走る僕の足とは裏腹に、頭の中は下らないとことを繰り返す。


君はもう僕の姿をその瞳にうつさない。

この感情は失恋だろうか。

いや、違う。

もっとなにか、深いところで違うと分かっているのに、それを表現する言葉は知らなかった。

学校でちゃんと勉強すればよかったのに、あとになって大切さに気がつくなんて。

もて余した心は言葉にならず、ただ涙として流れ続ける。


落ちた雫はコンクリートに吸われて、一瞬で消えた。




終わり

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