6 解析度の行き着くところ ~異世界転移者 タナカ・マコト~
いつだって、正確なものは正しいと思っていた。
緻密なものは正しいと思っていた。
世界を動かすのは理屈と理論であろうと信じていた。
どうも、必ずしもそうではないらしいと気付くまでに、かなりの時間がかかってしまった。
気付いた時には、もう遅い。
この世界の正しい姿は、平べったい四角形で。
それなのに何故か、世界のどこにおいても日は正午に真南に昇る。
そちらの人間なら、なんだそれはとツッコミを入れずにはいられない話だと思います。
私だってそう思うよ。
物理法則とかそんな問題じゃない。
理屈が合わないし、論理が立たない。
たとえ物理法則が違くても、論理というものはどうやっても変えようがない。
例えば地球が球形でなかったら。
例えば重量によって落下速度が変わったら。
世界は在り方が違うどころか、おかしな挙動をしてしまう。
上の上に下がある。そんな事が起きてしまう。
だから、世界は正確で、精密で、シンプルな法則によって個々の調整の必要もなく成り立っていなければならないと思っていた。
でもね、大人になると分かるのだけども、あえて触れない方がいい部分というものがあるんだよね。
私も大人なんだから、そこはしっかり弁えていたつもりだけれども、異世界転移というイベントに、私自身も浮かれていたらしい。
正直な話、きっかけが何だったかは覚えていない。
ただ、私がなにかを論理的に指摘したとき、世界の解析度が増した。
その事だけは覚えている。
その時は、それがただ面白かった。
面白くて、思いついた先から、この世界の矛盾やいい加減に出来ている場所を見つけては指摘した。
世界はどんどん精密になっていった。
物理法則や天体現象だけじゃない。
世界の在り方、人々の在り方、国家の在り方。
そして、『勇者』というものの在り方。
きっと多分、この世界はずっともっと脳天気な世界だった。
邪悪な魔王を勇者が倒してめでたしめでたし。
その裏側にあるであろう、目に見えない色々はそもそも存在しない。
魔王はいかにして魔王なのか。
魔王軍とはどのようなもので、どのような規模で、どのように編制され、どのように維持運営されているのか。
一万の軍勢と一言で表して、物語の上ではそれで終了だ。
しかし、一万もの人間は、それぞれに衣食住を必要とする。
出すものも出すし、娯楽だって必要だ。
三十人ばかしの会社の旅行の手配だって一騒動なのに、それが一万ともなれば、どれほどの事になるか想像もつかない。
私もそちらにいたときは、訳知り顔で『素人は戦術を語り玄人は補給を語る』なんて言っていた口なんだけど。
はたしてそこまで想像していたかと言うと、決して考えちゃあいなかった。
しかし、一万の軍勢がいるというのならば、そこに必ず存在する。
存在するならば、維持するための仕組みと努力が存在する。
つまりそれは、軍を食わせていく国があると言うこと。
魔王は国を持ち。国にはそれを構成する幾多の民がいる。
対して勇者は個人でしかない。
アステリオスと、モレクと、私。この3人だけの個人の集まりだ。
戦いになるはずもない。
そもそも魔王とは何なのか。それを倒す勇者とな何なのか。
問い、考える程に事態は深刻になっていく。
勇者とは何なのか。
王を殺す暗殺者か。
国を覆す旗印か。
国を単体で滅ぼす大量虐殺兵器か。
そのどれであっても、『めでたしめでたし』の後にロクな運命は待っていない事を、私は知っている。
アステリオスは碌でもない、女好きの、小生意気なクソガキだ。
私たちには生意気な口を利き、女が欲しいだ、おっぱいに埋もれたいだと言う癖に、現実に女性を前にすると途端によい子の演技を始める。
女を口説く度胸も無ければ、勇者の立場を利用して役得を求める腹黒さも無い。
女達の方から抱きついて来たときに、嬉しそうに受け入れる。
出来る事はそれくらいで、それすら勇者らしい演技を続けようと、緩みそうな顔をひくひくとさせていた。
まったく、アステリオスはただのエロガキに過ぎないんだ。
だから、そんなどうしようもない子供は、こぢんまりとした、子供じみた『めでたしめでたし』で終わるべきなんだと思う。
色や金や権力欲や、そんな大人の世界は、アステリオスが住む世界ではなかったはずだ。
しかしもう、世界はそんな風に変わってしまった。
私が変えてしまった。
気付いたときには、もう遅い。
だから私には、アステリオスに最後まで付き合う義務があった。
私たちは旅を続けた。
解析度が上がった世界を旅して、勇者と魔王の在り方を定義した。
魔王は愚かな暴君となった。
大した意味も無く、だらだらと人類世界との抗争を続ける愚王だ。
勇者は、それを倒す旗印だ。
ただ、それだけだ。
軍隊を倒す必要も、国を滅ぼす必要も無い。
せいぜいが魔王と一騎打ちをして倒すくらいが役割だ。
他の細々とした、実際的な物事は、頭のいい他人がなんとでもしてくれる。
魔王を倒した後の事すら、もう算段がついている。
四天王の1番目の息子がいる。名前はケラウノス。
アステリオスと違って真面目で利発で責任感の強い好青年だった。
彼を王として立てて、残りの四天王がそれを支える事になっている。
四天王の半数は私たちに敗れているが、軍を全滅させた訳でも、領地を破壊し尽くした訳でもない。
組織があり人員の大半が残っているのだから、代替要員が後を引き継いでいた。
「でさ、大きな豪邸にきれいなお姉ちゃんを何人も侍らせてさ」
アステリオスは終わった後の話ばかりをするようになった。
ハーレムを作るとか言ったと思えば、たった一人の真実の愛を探して田舎に引っ込むだとか。
旅を続けて世界の果てを見に行くだとか、人類世界に国を打ち立てるだとか。
多分、アステリオスが本気で望めば手に入るだろう事を、にやけた顔で、冷めた目で、アステリオスは繰り返し語っていた。
そんな日が来ない事は、アステリオス自身が一番よく知っていた。
それで、そんな日々が続いて、今日が来て。
「もう、お前らなんかいらないんだよ」
努めて軽薄に、アステリオスはそう言った。
泣きそうな顔だった。
これっぽっちも本心を隠せていない顔だった。
今日、今、この時。
私とモレクは離脱出来る。
アステリオスは反乱軍の旗印として戦って、勝っても負けても、大勢が覆る事は無いだろう。
私とモレクがいなければ、勇者は戦って死ぬだろう。
そして、その意思を継いだ者達が、魔王を討ち果たして新たな秩序を作るだろう。
私たちが残れば、勇者は生きて帰るだろう。
そして、私たち3人共に権謀術数渦巻く世界に飛び込む事になるだろう。
「お前らなんていなくったって。ボクは、ちゃんと勇者、やれるんだよ」
アステリオスは涙声でそう言った。
震える肩が、たとえ自分の命を捨てるにしても、私とモレクだけは守りたいと言っていた。
いたたまれなくなったモレクが部屋を出た。
最初から今日まで、この少年は間違い無く勇者だった。
私たちはずっとこの少年が好きだった。
それを自覚した時には、もう遅い。
アステリオスを見捨てる選択肢はもう、選ぶ事など出来なくなっていた。
「明日……もう、今日になりますね」
見上げると赤い月。
うっすらと白みはじめた空に、その赤みも薄らぎ始めていた。
「でもさ、本当にいいの? モレクもタナカも、いてもいなくても何も変わらないよ」
「やめろ、いい加減にしろ」
「それに、いてもいなくても同じなら、アステリオスだってそうでしょう」
朝になって戦いが始まって。
それはもう潮流のように動き出して止まる事なく。
それで私達3人が勝っても負けても。生きていても死んでいても。
魔王は打倒されて勇者の役割はそこでおしまいで。
新たに王となるケラウノスはまるで勇者のような好青年で。
「……あれ?」
勇者、いらなくね?
はたと、その事に思い至って手を打った。
まだ、遅くは無かった。