4 それで世界をくるっと回して ~勇者アステリオス~
タナカは賢者だ。
本人は否定しているけど、ボクはそう思うし、モレクもそう言っている。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
確かにびっくりする位、当たり前の事を知らない事がある。
時々、じゃなくて割とちょくちょくそんな事がある。
ボクはお父様やお母様から、賢者とは世界の様々な事を知っている人だと教わった。
屋敷に来ていた教師も、旅の途中で知り合った賢者も、同じ事を言っていた。
タナカはそういう賢者では決して無い。
だけれども。
ある日タナカは、空を見上げて言ったんだ。
「こっちも大地は球形なんですね」
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
その意味が、その時少しだけ分かった。
大地が丸いと主張した賢者がいた事は、歴史の教師に教わった事はあった。
でも、タナカはそんな事は知らなくて。
ただ、太陽と星の動きだけを見て、それを理解したらしい。
「簡単な事ですよ。太陽が一番高い位置に来る時、太陽がある方角が南になるでしょう。地面が平らなら、そうなる位置は”世界の中心”だけでしょう」
不思議に思うボクに、タナカは地面に図を書いて説明してくれた。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
まさしく言葉の通りだった。
「でも、”太陽が一番高い位置に来る時の方角を南”と決めたなら、そうならないんじゃない?」
「だとしたら、北は南の反対側にはならないでしょ」
説明をされて湧き出たボクの疑問にも、タナカは完璧に答えてくれた。
モレクはどうでもいいやと言う顔をしていた。
整然とした、美しい回答だった。
だから、正しいかどうかはボクは知らないけれど、多分正しい答えなんだと思った。
「じゃあ、大地が丸いなら。反対側にいる人は落っこちちゃうんじゃないの?」
「”下”というのは大地の中心の事なんで大丈夫ですよ」
「下は、下じゃない?」
「下は、”物を手放した時に進む方向”ですよ。必ずしも、私達の下方向が、万人にとっての下方向とは限りません」
そんな事を言う。
よく分からなかった。
分からなかったけど、凄い事を言っている事だけは分かった。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
その口癖の通りだった。
「”下”は”下”の事。みたいな考えになっている時は、思考が硬直している時で、そういう時の考えは大体間違いだったりするんです」
まるで、歴史の本に書かれた偉大な賢者みたいだった。
魔王討伐の旅で、タナカは強力な戦力だ。
だけれどもそれは、外すことが出来ない訳ではない。
高位の司祭と、老練の魔法使いと、凄腕の盗賊が揃えば事足りる。
ボクが最後の勇者となった今、それを揃える事は不可能じゃない。
だけど、タナカでなくてはダメなんだ。
そう、思った。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
そんな人間はタナカ以外にはいなかった。
まだまだ子供だったボクは、タナカという賢者に夢中になっていた。
彼がいれば十分だからと、色んな事を取りこぼした。
例えばそう、おっぱいの大きい魔法使いのおねーさんとか。
おっぱいのすごく大きい、大司教のおねーさんとか。
おっぱいこそは小さいけど、凄腕の暗殺者のおねーさんとか。
旅の途中でそういう出会いが、まるで無かった訳じゃない。
ボクもモレクも、タナカ自身ですら、そういう仲間を増やそうと言っていた。
むしろタナカ自身は、途中で離脱すると何度も言っていた。
自分は本当の仲間が集まるまでのツナギに過ぎないと。
そんな事を言っていた。
言っていたが、どうにも結局上手くはいかなかった。
誰も彼もがこう言った。
「下は下でございます、勇者様」
偉大な魔法使いの爺さんですら、そう言った。
おっぱいの大きいおねーさん達もそうだった。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
そんな人間は結局1人も現れなかった。
だからタナカはここにいる。
そして多分、ボク達がここにいるのも、タナカがここにいるからだ。
勇者の鎧を隠した大迷宮。
決して開かないという魔法の扉を前にして、タナカは言った。
「蝶番は壊せそうですね」
蝶番を壊したら、扉は音を立てて倒れた。
扉自体は閉まったままだった。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
まったくその通りになった。
ともあれボクは、勇者の鎧を身に纏う事が出来た。
不壊の壁は地面を掘った。
決して解けぬ結び目は、紐自体を断ち切った。
魔王配下の第3位。
知将と呼ばれた魔物と知恵比べをした事もあった。
知将の語る何が何だか分からない謎掛けに。
「ああそれは、ヌプロッポッペッシャ法の事ですね。ええ! ご存知ない! ヌプロッポッペッシャ法を!? いやいやいやいや。貴方ほどの知恵者で、ヌプロッポッペッシャ法を知らないはずが無い。それとも何ですか、ヌプロッポッペッシャ法を知らずに、その問いをなされた? だとしたら、それこそ天才の所業ですよ! いやぁ流石ですねえ!」
いけしゃあしゃあと、タナカはそう言い放った。
相手が正解はこれだと告げて、タナカの答えが間違いだと宣言しても。
それでも、ボクには聞いた事もない単語だったんだけど。
タナカはまったく動揺しなかった。
「ええ、だからそれですよ。ヌプロッポッペッシャ法はそちらではそう呼ばれるようですね」
詐欺師みたいな顔をして、そんな調子で煙に撒いていた。
その間に、タナカの不可視化ポーションで姿を隠したモレクが奴の首根っこを掴んでぐるりと回した。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
その通りになった。
そんなこんな、色々あって。
今、ボク達はここにいる。
魔王の居城はすぐ近く。
ここは既に、魔王の勢力圏のずっと奥。中心部のいい所。
それなのに、ボク達は何の問題も無く宿に泊って酒なんかを呑んでいる。
誰はばかる事なく昼日中を歩いて買い物なんかもしている。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
その口癖を枕にして、タナカは事も無げに言った。
「写真も印刷も無いんですから。堂々としていればバレませんよ」
シャシンというものが何だか分からなかったけど、どうやら精巧な絵図の事らしい。
なるほど、勇者の手配と言っても、口伝ての噂話が精々だ。
魔王軍の兵士の間でも、特徴を告げて知らせるくらいのもので、それも正確なものじゃない。
確かにモレクは目立つけど、魔王城に近づく程にミノタウロスみたいな獣人や魔物の数も増えていく。
結局モレクがいた方が目立たない程だった。
それでも旅の途中、2回程バレた。
でも、そこは強行突破でなんとでもなった。
荷物は全部タナカがどこかに隠していて、必要な時にはどこからかすぐに取り出せる。
装備品さえあれば、ボク達を止められる者はもういない。
バレた街を抜け出して、次の街では堂々としていれば、気付かれる事も無かった。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
全部タナカの言う通りになった。
「くるっと回してみましょうか」
タナカはいつものように言う。
魔王と言っても、一般市民にとっては王の1人でしかない。
命をかけて戦わなければならない相手は、実はそんなにいないのだと。
それどころか、魔王の勢力圏内にも、魔王を倒そうとする人たちがかなりの数いるのだと知った。
だからこそ、くるっと回してタナカは言う。
「アステリオスを旅立たせた王様も、王様の1人でしかないんです。だから、同じように領内に味方もいれば敵もいる。味方と言ってもなんとなく王様だから従っている人もいる。命をかけて従う人もいる。そこは、しっかり見定めないとダメだと思います」
賢者みたいな顔をしていた。
それは、ボクを思っての言葉だとすぐに分かった。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
魔王討伐の旅を終えて、その後。
それでボク達の人生が終わる訳じゃない。
ボクもモレクもタナカも、それぞれが元いた場所に戻っていく。
魔王を討伐した、または討伐できなかった。その結果を持って戻っていく。
元通りの生活なんか、出来る訳がない。
やりたい事がある。
やっていない事がある。
綺麗でおっぱいの大きいおねーさんに、あんな事やこんな事をしてもらいたい。
美味しい物も食べたいし、珍しいものも見てみたい。
勇者の名前にヘコヘコする連中を眺めるのは気分がいいだろう。
勇者の名前に近づいてくるおねーさんたちと、色んな事もしてみたい。
あれだ。
タナカが言ってたやつ。
人口の小池を作って、そこを半裸のおねーさんでいっぱいにして。
ばしゃーんって池に飛ぶこむやつ。
あれやりたい。
是非ともやりたい。
口癖は”くるっと回してみましょうか”。
夢を実現するためにはどうしたらいいか。
一つ一つ具体的に決めていかなければいけない。
何しろボクは勇者なのだから。
一足飛びにアレをやるとか言っても、周囲から失望されるだけなのだから。
それをやる、具体的で必然的なものを積み上げて。
それを一つずつ実現させて。
それで理想に近づいていく。
全部、タナカが教えてくれた事だ。
空を見れば赤い月。
あの月が闇夜の空をぐるりと回って。
あのギザギザした魔王の城の影に落ちた後。
タナカ風に言うとこうだ。
くるっと回してみましょうか。
この丸い大地がぐるりと半周して。
半周しているのに、その動きを感じないのはおかしいと言ったら、荷馬車の上で玉を上に投げさせられた。
投げた玉は後ろに落ちずにボクの手元に落ちてきた。
だから、大地が半周していても、その動きは感じないらしい。
ともかく大地が半周して。
虚空に浮いた月が大地のむこう側に消えた時。
ボク達の最後の戦いがはじまって。
それが終わったその後も、それでも大地はくるっと回り続けている。