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序章 「もう遅い」と私は言った。~異世界転移者 タナカ・マコト~

「もう遅いですよ」


 降ってきそうな満天の星の下。

 困ったように立ち尽くす仲間(ミノタウロス)に向かって私は言った。


「もう遅いか?」


 半笑いを浮かべた顔。

 初めて会った時は、表情も感情も見えなかった猛牛の顔。

 今では手にとるように想いが見えた。


「もう、遅いんです。モレクさん」


 ため息をつくように、念を押すように、私は重ねて言った。


 モレクはミノタウロスだ。

 そして歴戦の戦士で。

 勇者と共に魔王討伐の旅を続ける仲間だ。


 そのモレクが勇者パーティを抜けようと、私達が寝静まった隙に宿を抜け出して。

 それを察知した私が追いかけてこんな事になったというのが、今この時。


「そうか。もう遅いか」


 応えるように猛牛の口からも、長い長い、未練がましい吐息が漏れた。


 そう。もう遅いんです。

 タイミングも、やりはじめるのももう遅い。


 こうやって、抜けるの抜けないの。戻ってこいだの戻らないだの。

 抜けた穴が埋まらなくてざまあだの。

 そういうのを始める事すら、ままならない所にまで来てしまっているのです。


「もういい加減、諦めて下さいよ」


 そう言って、私は相棒の肩を叩く。

 その肩も、えらい高い位置にある。

 むき出しの肌には至る所に入墨と、どんな魔法もポーションも消せない傷跡が走っている。

 いかにも強そうな。そして事実誰よりも強いその肉体に、私達は何度も守られ助けられた。

 モレクの替わりになる戦士は、人類世界のどこを探しても見つからない。

 今更抜けられると言わても、もうどうにもならないのだ。


「今日という今日は愛想が尽きた。勇者様のお守りなど、もう沢山だ」

「そりゃ同感で」


 何より、勇者とか言うクソガキのお守りを私1人がやるなんて。

 モレク1人がのうのうと逃げ切って、私に全部の負担が来るなんて、神様が許しても私が許さない。

 絶対に逃さない。

 絶対にだ。


「タナカよ」


 挨拶が遅れました。

 わたくし、田中誠と申します。

 埼玉県出身の三十四歳。ただいまお嫁さん募集中。

 気立てが良くて家事が出来て、おっぱいの大きい女性を募集しています。


 まあ、皆様御存知のアレがアレしたアレなヤツ。

 手違いで異世界転移して、チート貰って自由に暮らせと。

 そんな感じの人生を送るはずの男でした。


 でした。

 以前は。

 この異世界に来てしばらくは。


 今はもう違うんですが。

 ああ、私の平穏よどこに。


「タナカよ。ならば何故。いかなる理由でヤツに従う?」

「そりゃあまあ、やんごとない事情ってのがありまして。長い話になりますが」

「是非とも聞きたいものだな」


 モレクがブルゥと鼻を鳴らして言う。

 是非ともとまで言うのだから、最後まで話さなければ終わらないだろう。

 となると、喉を潤す酒も欲しい所ではある。


「まあ、もう遅いですし」


 宿に戻って酒でも呑みながら。

 そう相棒を促すと。


「もう遅くはないか?」


 頭上には満天の星空。

 周囲は既に真っ暗で、灯りもロクについていない。


 この世界、夜半も過ぎればさっさと皆寝てしまう。

 燃料代も馬鹿にならないし、なにより明日の朝も早い。

 空が白くなる頃までダラダラ過ごす自堕落な生活など、貴族や大金持ちだってそうは出来ない贅沢なのだ。


 おのれ異世界。

 こういう所は、やっぱり現代日本が一番だ。


「確かに遅いなぁ」


 酒の無い語りも味気ないなと、肩を落とす私。

 それがどうにも滑稽だったのか、モレクはぷっと吹き出した。


「いや失敬。先程から遅いとばかり言っているな。我らは」

「まったくですね。後悔ばかりの人生だ」

「たしか後悔ばかりだ」


 2人して、天を仰いで苦笑して。

 それから、宿に向かって歩き出す。


 途中のどこかで酒を調達して。

 ロウソクの火を眺めながらチビチビ呑んで。

 まあ、明日の事は明日になってから。


 そう決めた。


「ではまあ、我らが勇者様が待つ宿に戻るといたしましょうか」


 とにかくそういう事になり。

 片手に酒樽を抱えて帰って。


「遅い」


 待っていたのは、勇者様の不機嫌そうな声だった。


「遅いぞお前ら。何やってた」


 ベッドの上であぐらをかいた勇者様。

 年の頃は十代なかば。

 まだまだ幼い小柄な少年。

 黒髪黒瞳のどこにでもいそうな顔立ちは、とても勇者様とは思えない。


 私達2人をにらみつける黒い瞳に時折、黄金色の稲光が走って消える。

 それが彼を勇者たらしめている恩寵(ギフト)だ。


 恩寵(ギフト)と言うのはまあ、チートの類と思ってくれていい。

 彼は、魔法でも奇跡でも無い強力な自然の雷を発生させる事が出来る。

 実に勇者っぽい。

 やっぱり勇者は雷撃だ。

 炎も氷もいいけれど、雷撃の派手さと主人公っぽさの前にはかなわない。


 しかもこの恩寵(ギフト)。効果の方も奮っている。


 防御不能(当然だ。自然の雷なんだから)。

 広範囲(当然だ。自然の雷なんだから)。

 高威力(当然だ。自然の雷なんだから)。

 高確率の【心臓停止】効果(当然だ。自然の雷なんだから)。


 というまさしくチートそのもの。

 魔法でも無いから、魔法抵抗も何の意味も無いと来た。

 まさに勇者だけに許された恩寵(ギフト)を持って産まれた少年で。


 そんな特別な能力を持って産まれたガキンチョが、ロクな人間に育つはずも無い訳で。


「アステリオスさん。もう遅いですよ」


 私の言葉に勇者アステリオスは鼻を鳴らす。


「遅いのはお前らだろ。こんな時間にどこに行っていた」


 横柄な子供である。

 横柄だが、戦闘力の高さに関して言えば、アステリオスは人類世界で最強で。

 この世界ではケンカの強さと発言力は比例する。


「酒の用意をと思いましてな」


 モレクは手に持った酒樽を部屋の隅のテーブルの上に置く。

 併せてコップを2つ用意して。


「ボクも飲む」


 3杯目のコップを持ち出すアステリオス。


「子供はダメだ」

「子供はダメです」

「えー。ケチぃ。いいじゃん、誰かが見てる訳でも無いんだし」


 見てるんだよなぁ。

 神様とか、色々と見てるのが。


 ぷーっと膨れるアステリオスのコップに水を注いでやって。

 それからモレクと私のコップに酒を注ぐ。

 白濁して、コポコポと泡立つどぶろくみたいな酒。

 清酒の類はこの世界では滅多に無い。


 どぶろくの濁りって、灰を使って取るんだっけ?

 まあ、うろ覚えなのでよく分からんし、貴重な酒に灰をぶっかけるような事もしたくないのでやらないけど。

 いつか、どうしても透明な酒が呑みたい時にはチャレンジしてみようと思っている。

 思ってはいる。


「それで、ボクの悪口で酒を呑もうってコト?」

「そうだが」

「そうですね」

「否定しろよ! ボクは勇者だぞ!」


 がぁっと口を開いてアステリオスが声を上げる。

 バリバリと、周囲に電光がスパークして、薄暗い部屋を明るく照らす。

 恩寵(ギフト)をこんな事で使わないでくれ。


「それなら勇者らしい振る舞いをしてくれ」


 目を瞑ったまま静かに答えるモレク。

 長くて黒い舌で酒をチビチビ舐めるのは忘れない。


「してるじゃん」


 対するアステリオスは不満そう。

 酒樽を未練がましくチラチラ見ている。


「女の前以外でもしてくださいって話です」

「……むむぅ……」


 私の言葉にアステリオスは口をへの字に曲げて唸る。


「っていうかさ……あーあ。もう遅いよなぁ」

「そればかりだな」

「なにそれ?」

「さっきから、そればっかり言っているなって事です」


 私の説明に、アステリオスはわかったようなわからないような顔をする。

 何というかまあ。

 勇者パーティのこの3人。3人が全員思う所があるらしい。


「それならさ、いい機会だ。言いたいこと、今日こそしっかり話し合おうじゃないか」


 ぐびりと水を一気に飲み干して、アステリオスは話しはじめる。

 勇者と呼ばれる少年の「もう遅い」物語を。

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