21 それは恋
彩音は少しずつ快方に向かい始めた。
毎日お弁当の時間が待ち遠しい。
ユーグと一緒にいると気持ちが安らぐ。
お弁当を食べ終えてユーグが仕事に戻る時、いつも⦅もっと一緒にいたい⦆と、思ってしまう。
「トメ。お前、それ ”恋” ってヤツじゃねぇの?」
彩音の話を聞いていたダミアンが偉そうに言う。
「ガキんちょが恋を語るな!」
「オレは経験豊富な10万666歳だ!」
「……ねぇ、ダミアン。ユーグさん、婚約者とか恋人とかいるのかな?」
「本人に聞けばいいだろ」
「いや~ん。『ええ、いますよ』って言われたら、どうするのよ?」
「奪えばいいだろ?」
「へ?」
「欲しけりゃ奪えばいい」
「……これだから悪魔は! 私は人の倫に外れる事はしない主義なの!」
「ご立派な主義だな――だったら、オレがユーグの屋敷やら職場やらに潜入して、アイツに女がいるかどうか探ってきてやるよ」
「ホント!? ありがとう、ダミアン!」
それにしても、人間の恋路をサポートする悪魔って一体……
数日後。
「おい、トメ。朗報だ。アイツ、今フリーだぞ」
「えっ? 本当に?」
ダミアンの報告に彩音は小躍りした。
「しかもアイツは多分、トメに惚れてる」
「ひぇ~!?」
思わずム○クの叫び状態になる彩音。
「落ち着け!」
「う、うん」
「職場でも家でもユーグのヤツ、お前の話ばっかりして、周りから呆れられてた」
「ウソ!? 恥ずかし~い!」
「良かったな。お前にも春が来るぞ」
「ぐへへへへ……」
「汚ねぇ~な。ヨダレを垂らすな!」
彩音はいつものように一緒にお弁当を食べながら、ユーグとおしゃべりをしていた。
その日、彩音はユーグの家族について根掘り葉掘り尋ねていた。
好きな男性に関することは何でも知りたいものね。
先代聖女はこの国の騎士団団長をしていたブラッハー伯爵と結婚した。3人の娘を授かり、後に末娘が婿を取って伯爵家を継いだそうだ。ユーグはその末娘夫婦の長男、つまりブラッハー伯爵家の跡取りである。彼には弟と妹がいるが、弟は騎士になり実家を出て騎士団の寮に入っており、妹は有力な侯爵家に嫁いでいるとのこと。
「――と、いう訳で、我が家は現在、両親と私の3人暮らしなんです。祖父は3年前に既に亡くなっていたのですが、昨年、弟の入寮と妹の嫁入りが続き、その後たいして日も経たぬうちに祖母が亡くなったものですから、何だかあっという間に3人になってしまったんですよ。おまけに父は領地と王都を行き来する生活をしているので、王都の屋敷には私と母の2人きりという日も多いのです」
「まあ、それではお母様はお寂しいでしょうね」
もちろん、伯爵家なのだから使用人はたくさんいるだろうが、それとこれとは違う話だ。
「トメ様にお願いがあります」
「はい?」
ユーグが真剣な面持ちで彩音を見つめる。
やだ、そんなに見つめちゃって。
いつもの柔らかい笑顔も素敵だけど、こういう表情も堪らないわね。
ユーグって、ベッドの中ではどんな顔をするのかしら?
彩音の名を呼びながら切なそうに歪む彼の表情を想像してみる。
⦅ あ~、抱かれたい! ⦆
ユーグはもちろん、そんな愛と欲望にまみれた彩音の心の内なぞ知るはずもなく、表情を崩さぬまま切り出した。
「トメ様。今度、我が家に遊びにいらして下さいませんか? うちの母は以前からトメ様にお会いして、ニホンのことや祖母のこと等いろいろとお話ししたい、そして是非作りたてのニホン風料理を食べて頂きたいと申しておりまして――トメ様さえ、よろしければ是非お越し頂きたいのです」
作りたて?! 何という魅力的なお誘いだろう。
毎日のお弁当もとても美味しいけれど、温かい日本風料理も是非食べたい!
「行きます! 是非お邪魔させて下さい!」
即答した彩音に、ユーグは顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。母も喜びます」
彩音はここで気が付いた。
ユーグは、彼の母親が彩音に会いたがっているから来て欲しい、という誘い方をした。
それは事実かもしれないが、彼は、ホームシックに罹っている彩音を元気づける為に招くという体を取らずに、”母親が会いたがっているから、料理を振る舞いたがっているから彩音にお願いして来てもらうのだ” という名分で彩音を屋敷に呼びたいのだ。
彼の母親の為に訪ねるという建前があれば、彩音がユーグや彼の母親、そしてブラッハー伯爵家に気兼ねをする必要はない。ユーグは、彩音に余計な気を遣わせたり遠慮させたりしたくないのだろう。
ユーグのことを何も知らなければ、彼の気遣いを汲み取れずに ”母親の為? マザコンか?” と、思ったかも知れないが、彩音はもう1ヶ月以上、ほぼ毎日ユーグと一緒にお弁当を食べ、会話をしている。
ユーグがどんな人柄で、どういう気遣いをする男性なのか、彩音は既に知っていた。
そして、ユーグもまた彩音のことを分かってくれている。
普段は大雑把なくせに、ふとした時に日本人らしい遠慮をしてしまう彩音のことを分かっているからこそ、ユーグは今回のような誘い方をしたに違いないのだ。




