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1 キセキの女

  




 彩音(あやね)は「キセキ」を起こした。

 大学受験において、高校の担任からも予備校の進路担当からも割と楽観的な性格の母親からも「ムリっしょ」と言われていた第一志望の大学に、一般入試で現役合格したのだ。

 ちなみに父親は、常に仕事で頭がいっぱいで子供の事は妻に丸投げという昭和体質の男だった為、E判定しか取ったことのない彩音の模擬試験の結果など全く知らなかった。故に、彩音と母親が「キセキ」の合格を知って抱き合って泣いている姿を見て、ちょっと引いた表情で「よ、良かったな。おめでとう、彩音」と、あまり気持ちのこもらない祝福の言葉をくれただけであった。

 いや、いいのだ。それでいい。彩音はちゃんと分かっていた。父親がそんな風に仕事に打ち込んでくれているからこそ、自分は中・高一貫の私立の女子校に通うことが出来たのだ。そして大学に進学することも出来るのである。



 彩音は両親と2つ下の弟と4人で横浜に暮らしている。

 キセキ的に合格した東京の私立大学は自宅から電車で片道1時間半かかったが、夢にまで見た第一志望大学の文学部に受かったのだ。早起きくらい何でもない。

 大学に入学した彩音は、遠距離通学にもかかわらず遅刻もせずにキャンパスに通い、真面目に授業を受けた。サークルにも入ったし、アルバイトにも精を出した。新しい友人もたくさん出来た。


 サークルでは1つ年上の商学部の彼氏も出来た。

 中・高と女子校で過ごした彩音にとっては記念すべき「初カレ」だった。残念ながら彼との交際は10ヶ月で終わってしまったが、交際期間中はとても楽しかった。

 まぁ、別れた理由は”彼氏の浮気”という笑えないものであったが――ただ、その浮気相手が ”出会い系で知り合った30代の人妻” という、いかにもお互い遊びで~す! という感じの相手だったせいか、彩音自身驚くくらい心にしこりは残らなかった。これが例えば ”同じサークルの別の女子” とかとの浮気だったら、もっともっと傷付いて落ち込んだろう――彩音は別れる際に彼氏の顔面を一発グーで殴って清々した気分になり、その後は引き摺らなかった。なので彼氏と別れてからも変わらずサークル活動に参加していたのだが、彼の方は気まずくなったのか全く顔を出さなくなってしまった。彩音は”もう気にしてないのにな~”と思ったが仕方ない。男というのは案外打たれ弱いらしいから――



 彩音の通う大学の文学部は受験の際にではなく、2年生に進級する時にコースを選択することになっている。彩音は日本文学コースを選んだ。もともと古典が勉強したくて文学部に入ったのだ。平安の日記文学を卒論のテーマにしたいと、実は高校生の頃から考えていた。

 そうして日本文学コースに進んだ翌年、大学3年生になった彩音は希望通り「平安・鎌倉文学ゼミ」に入ることが出来た。最初の半年は大好きな「枕草子」がゼミの授業のテーマで、毎週ワクワクした。

 

 彩音は大いに充実した学生生活を送っていたのである。




 文学部のあるキャンパスは、同じ大学の多くの学部のある「本キャン」と呼ばれるキャンパスから少しだけ離れた所にあり、「文キャン」と呼ばれている。

 この文キャンの学生食堂には、一人専用席いわゆる”ぼっちシート”なるものがあった。昨今、この”ぼっちシート”を学食に設けている大学は珍しくないようだ。


 彩音は毎週水曜日だけ、この学食のぼっちシートで一人で昼食を取っていた。

 彩音は別にいつもぼっちな訳ではない。決していつもぼっちな訳ではない。大事なことだから2度言っておく。親しくしている友人は結構たくさんいるし、コミュニケーション能力だって高い方だと思っている。だが、水曜日に限って仲の良い文学部の友人達の時間割が皆、揃いも揃って「全休」なのだ。実験実験で忙しい理工学部の友人に話すと、「いいねー。文学部ってヒマなんだねー」と嫌味を言われるのだが、文キャン民の時間割はごく普通に週に何日か全休日がある。ちなみに彩音は金・土を全休にしているので、日曜日と合わせて週休3日だ。休みの日はもっぱらバイトに励んでいる。現在はデートする相手もいないしね。ふんっ!

 

「週の真ん中の水曜日を全休にする人が多いのよね~」

 彩音は小さく呟きながら、学食の”ぼっちシート”に腰掛けた。

 

 ――神近彩音かみちかあやね。21歳。大学3年の初夏のある水曜日のことであった――

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