#2合縁奇縁
上司に仕事の報告を済ませ、煉瓦造りの通りを行く。このコンバル国は世界の中でも蒸気機関が発達し、そして科学的な技術もトップだ。コンバル国は職人が多かったり、一つの分野を集中的に研究する人が多いと思う。靴職人から機械職人まで、幅広い。
なので今の時代、困ったことは機械や科学的な分野で解決するので、魔法なんて馬鹿馬鹿しいファンタジーだと考える人も出てくるようになった。だから昔よりは魔女狩りのようなものは少なくなったけど、昔のイメージが根強く残っていて子供が読む絵本には魔女は決まって悪役だ。
ぴゅう、と強い風が吹く。今は冬にかけて寒くなってくる季節だ。トレンチコートのボタンを閉めて小走りで図書館へと進む。空を見ると蒸気で覆われていて、灰色の重たい空だった。技術が発達するのも考えものだな、なんてインテリぶってみると、先程よりもいっとう強い風が吹いた。風の神様はなんでもお見通しらしい。
人が行き交う通りで、ふと前方からいい香りがした。それはピザでもパンの香りでもなく、ラベンダーの香り。どうやら、長い白い髪した、背の高い女の人からだった。五メートルほど離れているのにも関わらずなんでだろう、と疑問に思うと、女の人のポケットから何かか落ちたようだ。その何かからラベンダーの匂いが風にのって流されてきたのだと思う。
拾って見てみる。多分、サシェ、かな、いわゆる香り袋。白い綿のシンプルな生地からふわりとラベンダーの香りがした。なんとも女子力の高いアイテム……。
気がつくとその女の人は結構遠くへ行っていて、声をかけるにかけにくい距離だった。慌てて走っても、距離が近づかない。あの人、結構歩幅が大きいぞ。運動不足の足に鞭打って走る。
寒かった体が少々温まってきた頃、女の人は路地裏の方に入っていく。あれれ、何しに行くんだろう。ペースを上げて暗い路地裏についていくと、何回か曲がった先のドアに彼女は入っていく。なんだが尾行している感じで気分は良くなかったけど、そのドアの看板を見てみると
『Library』と書いてあるのが見えた。
なんだ、図書館か。なんでこんな人目のつかない場所で図書館をしているのだろう。商売はうまく行ってるのかな。なんて要らぬ心配をしてみる。
とりあえず、丁度良かった。勉強ができる場所を探していた先、こんなうってつけの図書館があったとは。
一見さんお断りとかだったらがっかりだけど……と思いながら、重たい木のドアを開ける。カランカラン、とドアに付属していた小さいベルが鳴った。
ずっと付けていた女の人が、小さく驚いた表情でこちらを見る。そしてこちらも驚いてしまうほど容姿端麗な人だった。絹のような肌で鼻筋は通り、キリリとした目は優しげなモスグリーン、薄いピンク色の薄い唇は少女のような可愛らしささえも感じた。ああ、私の語彙の少なさが忌まわしい。飾ってなくて、でも、すごく綺麗な人なんだ。
「あ、あの、これ落としてましたよ」
緊張しながらサシェを渡す。ラベンダーがまた、ふわりと香った。
「あ、これ……ありがとう」
……ん? 綺麗な透き通った声には違いないけど、それに違和感を覚える。女性にしてはちょっと違う声だ。恐る恐る喉元を見てみると、喉仏が突き出ていた。あれ。
「あの、もしかして男性……」
「そう、だけど……?」
子首を傾げる仕草は女の人にしか見えないのに。私の頭が混乱でパンクしそうになった。視覚で見えているものと事実が違うなんて話、私には理解できない。
するとその人はああ、と納得したような声を出した。どうも顔と声が一致しない。
「よく間違われるよ、この長い髪のせいかな」
彼は真っ直ぐに伸びた、少しくすみ青がかった白の髪を流す。たしかに、そのせいで先入観が出来てしまったのだと思う。さらりと流したその背骨の部分まで長い髪からもなんだかいい香りがする、気がする。
男の人なんだ、と謎に少しがっかりしつつ、図書館の中を見渡した。狭くて小さく、木で作られた落ち着きのある場所だった。その割、何列もある本棚にはぎっしりと隙間なく埋められ、紙の匂いに酔ってしまいそうだ。でもラベンダーの香りと混じり合ってどちらが濃いともいわず良い均衡を保っている。
「あの、ここって図書館なんですか?」
「うん、そう。僕が館長」
へえ、とてきとうに流す。なぜ公共施設がこんな所に、人は来るのだろうかという質問はさすがに失礼かと飲み込み、ここで勉強をしてもいいでしょうかと断りを入れる。
「もちろん、どうぞ」
快諾してくれたその微笑みは背の高い百合のように思えた。この顔面の造形というか、男性に生まれてきたのは少し勿体ないと密やかに思う。
私は勉強道具を広げる。ソシエという職業は世界機密だが、呪文に使う古代文字の勉強でもしていれば「専門的な勉強をしている人なんだな」という認識だけで終わるだろう。実際、コンバル国では歴史的な研究をしている人もたくさんがいる。
私が勉強をし始めたのを見て館長さんは本棚の方へ歩いていった。コツ、と革靴と木の床がぶつかる音が遠ざかっていく。彼の姿は列の間が狭い本棚の先に隠れた。