ランキング一位って、結構恐ろしい
ランキングに乗るというのは、作品を投稿している大半の人にとっては憧れることではないでしょうか。ましてや、その頂きに上り詰めるということは。
僕が初めて小説を投稿した時は、まだシステムもよく分かっていなかったので、何度もランキングを開いては、自分の作品を目を皿のようにして探していました。そしていつまで経っても乗らない、そもそも評価やブクマさえ付いていない、その状況に落胆しました。
そんな中で目につくのは、ランキングTOP5に君臨する作品群。アクセス数を見てみれば、自分の何十、何百倍ものPV数とptを貰っています。
「うらやましい」「自分もいつかランキングのTOP5に入ってみたい」「出来るものなら一位に」
水面下で創作を続けながら、そんな願望がいつも頭の片隅にありました。
そんな内に年が明け、ストックを溜めながらも読み専になっていた僕は、ふと何か投稿したくなりました。思ったことをつらつらと言葉にして、それをエッセイとしてまとめました。
「まぁ、今回も大して読まれずに流されていくかな」
この時の僕は、評価というものはさして期待もせずに、Twitterのようなつもりでエッセイを乗せたのです。
それが、同意される方が多かったのか、今までに無いような評価ptや、賛同の感想をたくさん頂くことが出来ました。そのおかげでなんとランキング入りし、TOP5にも入った僕のエッセイは、いつの間にか一番上へ。
ずっと夢だった「日間ランキング一位」を、なぜか取ることが出来たのです。
正直、自分の小説ではなく考えを述べたエッセイなので、悲願達成という程の喜びでもないですが、それでも多くの人に読んでいただけるのは物書きとして嬉しいことです。なので、最初のうちは無邪気に喜んでいたのですが。
読む人が多くなるにつれ、感想欄にも少しずつ反対意見が目立ち始めました。もちろん反対意見が嫌だなんて、そんな幼稚なことは言いませし、むしろ大歓迎です。意見エッセイというのは、そんな議論が交わせる場所であるのが理想的ですから。
ただ、文章にどこか含みがあったり、煽るような書き方をしていたり、どこか心に引っかき傷をつけるような感想も頂くようになったわけです。
そういう感想を見るようになってから、なんとなく感想欄を開くのが躊躇われるようになりました。あれだけ嬉しかった、マイページに表示される赤文字の「感想が書かれました」も、見ると少しばかり心がざわついてしまう。
「ランキングに乗るって、こういうことか」
それが僕の正直な感想でした。
有名になればなるほど、批評も増えます。これは自然の摂理でしょう。
ただ、有名な作品に付く批評というのは、普通の作品に付くそれとは少し違うもの──攻撃性の強い物が多くなると僕は感じています。
実際に、ランキング上位の作品の感想欄を見てみてください。「面白い」「応援しています」といった内容が三分の二ほどを占めていて、残りの三分の一は「くだらない」「設定が甘い」そんな内容が、敬語も使われずに棘のような言葉を並べて書き込まれてはいないでしょうか?
「設定が甘い」「こうした方がいい」というのは、言葉遣いを整えれば立派な"批評"となります。
ですが、相手に対する配慮もない文章はただの"批判"になってしまいます。
有名な作品に"批判"が多いのはなぜでしょうか?
色々な性格の人間が集まってくるというのも大きな理由だとは思いますが、一番は「自分が否定されたように感じるから」ではないでしょうか。
人気の作品というのは、多くの人に良い評価をされたから有名になっている訳ですよね。つまり、大多数の人間がその作品を認めているということです。
では、そんな作品に対して「面白くない」と感じたらどうなるか。
大多数の者が認めているものを、自分は認められない。自分の考え方が多くの人とズレている──すなわち、自分が「普通ではない」というレッテルを貼られるように感じるのです。
例えば、最近人気のアイドルがいたとして、あなたはそれがどうも気に入らない。どこがいいのか分からない。そんな時、テレビの前でけちょんけちょんに貶したりしませんか?(僕はよくやっちゃいます)
この「考え方」というのは好みであって、それは人それぞれである事が当たり前なのですから、違っていても全く問題はありません。ですが、そうやって冷静に考えて自分を抑えることが、なかなか難しいのです。
そのため、自分の正当性を主張するために、ついつい攻撃的になってしまうのでしょう。
"批判"を終えた方は、言いたいことを言って、自分は正しいと証明したような気分になってすっきりするでしょうが、受けた方はたまったもんじゃないですよね。僕の頂いた感想なんて、ちょっと引っかかるだけで全然大したものではありません。
ましてや、ネットで届く感想というのは相手の顔も声のトーンも分からないですから、文章から相手の気持ちを予測しようとする受け手は、送り手が想定している三倍ほど悪く受け取ると思います。
だからこそ、そういう"批判"を受けてもなお物語を書き続ける作者様方というのは、本当に偉大な存在だと、今回の体験を通じて深く感じました。続ける義務がある訳でもないのですから。
その精神力には脱帽です。
……結局、何が言いたかったんだろうか。とにかく、今回体験を元に思ったことをつらつらと書いてみました。
ああ、最後に一つ。"批評"というのは、その作品の一番いい所を超えていくことだと、どなたかの評論で読みました。
一番優れているところに改善点を見出し、それを提案すること。
その"批評"が出来る能力というのは、回り回って自分の創作力の肥やしになるのではないでしょうか。
自分のために、そして相手のために"批評"が出来ればいいなと思います。
もし、「こういう展開が欲しい」「こういう風に話が進んでほしい」と思った時ほど、”批評”が有効的になります。
人間は最初に否定から入られると話を聞く気にならないのです。ですから、まずはいいと思う所を褒めて、それから意見を述べる。
そうすると、作者様はまずその意見をきちんと読んでくれるので、自分の要求を飲んでくれる可能性も高くなるというわけです。
褒めて褒めて、褒め倒す。僕は取引する時にいつも使いますね笑
言い方次第で、自分の見たいものが見られるかもしれません。