第87話 サンブリア公国からの出立
兵士達が部屋から出ていき、室内の人口密度は普通になった。
フィリーナ公爵の視線は、俺のナイフの先に釘付けのまま。
彼女にとっては、テオ君の安否が最優先項目なのだろう。
緊迫した状況の中、いきなり扉が開き、俺達を案内したイケメンが中に入ってきた。
「お前はなんなのよおおおおぉぉぉっ! 全員部屋から出ていきなさいといったでしょおおおぉぉぉっ! もしあたくしのテオに何かあったら、全員死んでもらいますからねええええぇぇっ!」
フィリーナ公爵は、イケメンに向かい発狂気味に叫んでいる。
イケメンは膝を地につけ、顔を伏せて静かに口を開く。
「恐れながら火急の用件です、公爵殿下。ティオール帝国が、シュタイン王国のシュタインズフォートに侵攻、戦闘が始まっている模様です」
「そんなのあたくしに関係ないじゃーー」
「俺達には大アリだ。続けさせろ」
俺はフィリーナ公爵を遮って指示をする。
フィリーナ公爵は忌々しそうに続きを促す。
「はっ! シュタイン王国からここまでの情報伝達速度から考えて、これが約十日前の事かと思われます」
十日か……、俺達がチェスター連邦に到着したくらいのタイミングだ。
「エリー、シュタインズフォートと言うのはどこにあるのかな?」
「ヴィド教会国家の首都ヴァリスから北に向かった場所になります」
そうなると、俺が飛空艇から見た明るくなったり、暗くなったりした光は、戦火だったのかもしれない。
この世界は情報伝達の方法が稚拙だ。時間がかかりすぎる。
これからシュタインズフォートに向かったとしても、何もできないかもしれない。
手遅れの可能性が非常に高い。
だが、しかし……。
俺は視線を巡らせて仲間達をみた。全員が俺を見て頷いている。
俺はそれを見て決断する。
「フィリーナ公爵、すぐに五十人を飛空艇の離着陸場へ送ってくれ。今すぐだ……」
「ご、五十人!? そんなのーー」
俺は、テオ君の首筋に当てているナイフに、力を込める。
テオ君の首筋に赤い涙が流れる。
「は、母上、し、従ってくださ、い。こ、の男は、本気です……」
テオ君は緊張感を前面に出して、声を搾り出すように言った。
自分で提案してきてコレである。演技したいだけやろ? テオ君。
だが、フィリーナ公爵には効果がテキメンだった。
「ま、ま、ま、まってええええぇぇぇ! すぐ、すぐ、すぐに手配するからあああぁぁぁぁ! あたくしのテオには危害を加えないでええええぇぇぇぇ! あ、あ、貴方! 今すぐ馬車の手配を!」
「じゅ、いや、五分だ。五分しか待たない」
俺は、少し無理な時間を言ってみる。
「ご、ご、ふん? い、いえ、用意します! 用意します! 用意します!」
そう言って、フィリーナ公爵は鶏の様な姿勢で部屋から出ていった。
「ティア、テオ君の傷をお願いね」
俺がそう言って、テオ君から離れようとした時の事だった。
テオ君は、胸を押さえ苦しそうにうずくまる。
顔色は蒼白。肩で息をして、美しい金髪は水分を含みだした。
ティアは、そんなテオ君に近寄ると、じっくりと観察する。
長く思えた少しの時間が経過すると、テオ君の容態は改善していく。
ティアは、その様子を確認して話しだした。
「テオドール様、心臓を患っていらっしゃいますね?」
テオドール? テオ君はテオ君ではなかったんだ?
俺が名前の件で疑問に思っていると、テオ君は小さく頷いていた。
「その通りです、アルティア様。僕は心臓を患っています。あと半年も生きられないでしょう」
テオ君は自嘲気味に話を続ける。
「優しかった母上も、僕の病気を知ってから人が変わった。誰に言われたのか、女神が復活すれば僕の病気が治せるってね。それから見目麗しい生娘を生贄に捧げる為に、奴隷として手に入れるようになってしまったんだ」
俺達は互いに目を合わせて驚いていた。あの狂人公爵にも理由があったのだ。
「大好きな母上がドールコレクターなんて呼ばれるまでになってしまった。全て僕が原因でね! 母上が、悪事に手を染める前に、僕がいなくなってしまえば良かったんだ! 神様は与える事なんてしてくださらないんだ!」
先程までの儚い雰囲気は全く霧散し、激情を吐露するテオ君。
俺はティアに質問した。
「ティア、状態異常回復魔法は病気に効いたかな?」
「病原菌などには効きませんが、身体の異常には効くはずです」
「お願いできるかな?」
俺がそう言うと、大輪の向日葵みたいな笑顔が返ってきた。
「ヤクモ、それはわたくしのセリフですよ」
俺は、遊戯室のピアノを開けて演奏の準備を終わらせた。
そして、紡ぐのは感情を呼び起こす激流の様な和音。
ヴィド教会国家でも弾いた、ベートーヴェンの熱情、第三楽章だ。
渓谷のようにリズム良く流れる音は、突然激流にのみ込まれぶつかり合う。
それは、感情の起伏の如く、時には激しく、時には緩やかに。
最後の強い和音は、勝利を謳う激情。
俺は演奏を終えて、ティアへ視線を移した。
ティアはヴィド教会国家の時みたいに、全身から燐光を放っていた。
青い光を纏う彼女は神秘的で美しい。
視線を前に移すとテオ君が立ち上がっていた。
テオ君は真っ白な光に包まれている。
その神秘性に部屋の全員が息を吐く。
通常の状態異常回復魔法と光の色が違う。
これは、ヴィド教会国家で言っていた、完全状態異常回復魔法が発動しているのだろう。
テオ君は胸に手を添え、不思議そうな顔をしている。
「胸の、心臓の違和感が感じられない……」
その時、扉がけたたましく開けられる。フィリーナ公爵だった。
「よ、用意ができたわ! は、早くあたくしのテオを解放ーー」
言い終わる前にフィリーナ公爵にテオ君が近づいた。
「テオドール?」
「母上、この不肖テオドールの一生のお願いを聞いてください。僕はこの人達について行きたい。いえついて行きます!」
「テオ、ドール?」
「僕は、今まで生きている意味が、分かりませんでした。母上に迷惑をかけ、自分を呪い、死ぬ事だけを考えてきました。ですが、今日初めて、神様は僕に与えてくださったのです」
「貴方は騙されているのです……」
「僕の心臓を治してくれた方が騙すのですか? 誰もができなかった奇跡を起こした方が?」
それを聞いたフィリーナ公爵は目が飛び出しそうだ。
「どんな高名な治癒師も匙を投げた病気を治したですって? テ、テオドールは、だ、騙されているのです」
「当の僕が治ったと言っているのに……。実の息子を信じられないのですね。分かりました母上、僕は今からナイフで喉を掻き切って死にましょう」
「ま、まちなさい、テオドール。疑ってなんていないから。死ぬなんていわないで……」
フィリーナ公爵は懇願する様な表情に変わる。
テオ君が相手だとフィリーナ公爵は忠実なワンコだ。
「それでは母上、ご許可を頂けますか?」
「うう、そこの黒髪! 貴方、絶対にあたくしのテオを守りなさい!」
契約を守れない人間に、契約を迫られる理不尽。
「エリー、書状を渡してくれない?」
俺はそう言って、エリーから受け取ったシュタイン王からの書状をフィリーナ公爵に手渡す。
「俺は、契約が守れない貴女が、どんな選択をしても一向に構わないんだけど、これだけ確認しておいて。あ、返事はどちらでもいいから信用できないし」
俺は侮蔑を乗せて言ってやった。
フィリーナ公爵は、書状を開くと簡単に目を通して、何かを記入した。
サインなのだろう。
「これをシュタイン王に渡しなさい」
俺はそれを受け取ると、エリーに返した。
「俺達の用は済んだので、これで失礼します」
「ええ、ナツメヤクモ、テオドールをお願いね」
俺は名前を言われて少し焦ってしまった。
「俺は絶対に契約は履行しますよ。公爵殿下」
俺達は扉をあけ、サンブリア宮殿を後にした。
四十人を乗せた幌馬車の中。
御者と同行者は、同じく三人のイケメン達。
三十人のメイド服を着た麗人達は、そのイケメンを見ていない。
何故か、俺の方をチラチラと見ては視線を外していた。
そんなに黒髪が珍しいのだろうか? それなら視線ではなくハッキリと言ってほしい。
俺は豆腐メンタルなんだから。
ティアは、救い出せたアリシアさんと談笑をしていた。
そんなアリシアさんも、何故か俺の方を見てすぐにティアに向き直ったりしている。
その時のティアは、とても複雑な表情をしていた。
そうしていると、幌馬車は飛空艇の離発着場に到着する。
離発着場にはキャリー船長がいた。
「ちょっ! 早すぎだろっ!」
出発予定日は明日だったから、キャリー船長がそう言うのも頷ける。
「キャリー船長、人が増えました。あと目的地をシュタインズフォートに変更してください。パーティーをシュタインズフォートに降ろしてもらって、残りの人達はシュタットに送ってください」
俺は予定の変更内容を伝えた。
「わかったぜ、そうだ、お前はあちしの耳の事を知りたかったんだったな?」
「教えてくれるんですか!?」
「耳を貸せ、これは……」
それを聞いた俺は、全く納得できなかった。
俺の気持ちとは正反対に、グングニルは大空へ飛び立ったのだった。
キャリー「この耳にはな……」
俺は耳を傾けた。
キャリー「魔法石による自動化運転技術が使われており、飛空艇の駆動機関と同じなんだ、しかし小型化する為に圧縮技術の権威である教授の未承認発明をしようしていて、明るみにでてしまうと非常に問題だ。キミは絶対にそんな事はしないだろうから特別に教えてやるよ」
俺(こいつ何言ってるんだ?)




