第83話 考えられない世界
俺の正面に座るフィリーナ公爵の目は、ドライアイス以上に冷たい色をしている。
「貴方はどういうつもりで、あたくしの前にいるの?」
美しい口から紡がれた言葉は、視線以上に冷めた温度だった。
お姉ちゃん、ティア、エリーを部屋から連れて行こうとしているメイドは立ち止まっている。
今は、フィリーナ公爵から目を外せないので確認ができないが、遠目にティアが二人いるように見えた。
もしかしたら、俺は疲れているのかも知れない。
いや、待て俺。
早くフィリーナ公爵に返事をしないと、取り返しがつかない事になる。
俺は、取りあえずデタラメにでも話を繋ごうと考えた。
「俺の婚約者達をどこに連れて行こうというのですか、フィリーナ公爵殿下?」
俺は、目一杯のハッタリと精一杯のタテマエを、フィリーナ公爵へ返した。
ーー きゃー、弟君が婚約者って言ってるんですけどー!
ーー 待ってください、アンナ。複数形になっている事に気が付かないのですか!?
ーー えへへ〜、婚約者ですよ。えへへ〜
普段なら、こういう返しがあるはずなのに……。
不審に思った俺は、三人へ視線を送って確認した。
そこにいたのは、無表情の三人。
落ち着いた雰囲気のお姉ちゃん、優しく包み込むティア、冷静で甘えん坊のエリー。
俺のよく知っている三人はここにはいなかった。
「貴方が、彼女達の婚約者というのは信じられないわ。貴女達、それは本当の事なの?」
フィリーナ公爵は、ありえないという声で三人に聞いた。
三人はゆっくりとした動作で首を縦に振った。
そうして、右手の甲を前にするように、ゆっくりと肩の高さに持ってくる。
右手の薬指。
そこには、リーフを象った美しく輝くブロンズのリングがあった。
「ヤ……ヤ、ク……モ…………」
三人はたどたどしい口調で、俺の名前を口ずさんでいる。
この状況からから考えると、三人は何かが原因で体の自由を奪われているのだろう。
しかし、フィリーナ公爵の表情も面白くなさそうだ。
「フィリーナ公爵、どうすれば婚約者達を解放してくださいますか?」
俺は、フィリーナ公爵がこの問題の鍵を握っていると考えて、解決を図ろうとする。
俺の質問を聞いたフィリーナ公爵は、気持ちが落ち着いたのか、再び冷徹な仮面を貼り付ける。
少し口角を上げて薄く笑いながら俺に向かって言った。
「ふふ、うふふ、そうね。解放してあげる。あたくしに勝ったらね」
ここはどういう状況であっても、勝負を受けないといけない場面。
俺は二つ返事で答えた。
「分かりました。それでは俺が賭けるものは?」
ここは賭博場。フィリーナ公爵が負けたら三人の解放、それでは勝ったら何が欲しいのだろうか?
その答えは意外なものだった。
「ふふ、貴方の命よ」
フィリーナ公爵は、瞳に獰猛な鋭さを宿しながら答えた。
「えっ!? それはどういう?」
俺は戸惑いを隠せない。
賭け事で命のやり取りをするというのは、それを軽んじていると思う。
そこで、俺は思い出した。
この世界で命の価値は高くないことを。
その時、フィリーナ公爵が、俺の聞いた事に対する答えを返してくれる。
「貴方がいると奴隷の首輪の拘束が完成しない。あたくしの人形が手に入らないからよ」
に、人形だ、と? 何を言っているんだ、この人は?
フィリーナ公爵は浮かされたように続ける。
「あたくしは今日、最高の人形に出会った。でも貴方がいるとそれが手に入らないのよ。ふふ、そんな事許せると思う? 許せないわよね」
フィリーナ公爵の独白は、白昼夢を見ている人の様だった。
「ふふふ、貴方をこの子達の目の前で八つ裂きにすれば、全てが上手くいくのよ、ふふふ」
これは近寄ったらアカン系の人種ですわ。
このクエストを依頼したシュタイン王を少し恨んでしまう。
そして、俺はこの申し出を受けることにした。
「フィリーナ公爵、俺はこの勝負をお受けします」
フィリーナ公爵は、そんな俺の答えに驚いたのか理由を聞いてきた。
「貴方は、自分の命をかけることに気後れはないの?! どうして、他人の為に命をかけることができるの?!」
フィリーナ公爵の言葉は、動揺しているのが見なくても分かるくらいだった。
簡単に感情を出していては、勝てるゲームにも負けてしまう。
この時点で俺は優位に立っていると言えた。
俺は相手を焦らす為に、敢えてゆっくりとした動作で、フィリーナ公爵の対面に座った。
フィリーナ公爵の顔には、俺が答えない事への苛立ちが見て取れる。
俺は頃合いかと思い返事をした。
「俺にとっては婚約者達が命よりも大切なんです。彼女達がいない日常なんて、生きていても仕方がないですからね」
俺はそう言って、後ろを向いてウィンクをした。
彼女達は、不自然な笑みを浮かべようとしている。
そして、俺は再びフィリーナ公爵に向き直り、続けて口を開く。
「貴女に見せてあげますよ。世の中には知らない事が沢山あるということを」
俺は風のナイフを取り出して、そっとテーブルの上に置く。
テーブル上を熱を含んだ風が吹き抜けた気がした。




