第78話 開戦前の穏やかなひと時
ジャックスは、言い合いをしている冒険者の肩に手を置いた。
喧嘩腰での言い合いの最中なので、振り返った冒険者の表情は鬼のようだ。
しかし、そんな事はお構いなしにジャックスが口を開いた。
「先輩ー、騎士様に、喧嘩を吹っかけるのは勝手なんですがー、先輩以外の冒険者がこの後どうなるか考えて欲しいですねー」
相変わらず、語尾を伸ばした口調のジャックス。
厳つい冒険者の眉は、怒りで小刻みに動いている。
まさか、同じ冒険者の、しかも、かなりの若造から、指摘をされるとも思っていなかったのだろう。
「なんだあ、お前は? 俺は、冒険者の待遇がおかしいってーー」
「おかしいのは先輩ですよー、そもそもオレ達は準備を自前でするのがルールでしょー?」
ジャックスは全く怯むことなく、しかも厳つい冒険者に被せた。
反論された上、被せられた厳つい冒険者の顔は既に怒りで真っ赤になっていた。
鬼から阿修羅に進化を遂げたようだ。
「く、くく、暴虐のドーグマンと分かってやっているなら、お前は大馬鹿者だぜえ。おい、覚悟はできてるんだろうなあ!」
厳つい冒険者は自ら名乗った。
ドーグマンと言い合っていた騎士は、勝手にやってろ! と騎士が集まっている方向へ戻っていく。
「みんな、聞いたー? 暴虐だってー! ぷーくすくす、ダメだってー、笑っちゃうからー」
ジャックスのパーティーメンバーは、全員が笑いを堪えている。
ドーグマンの顔色は、怒りのあまり赤から青に変化した。
「お前は絶対に許さない! 四肢を引き裂いて、ワイルドウルフの餌にしてくれる!」
「暴虐さんは面白いねー、それじゃあ、オレもアンタをやっつけて、ワイルドウルフの餌にするねー」
他の冒険者達に囲まれた特設リングは、雷が落ちた様な歓声に包まれる。
ジャックスは、鼻歌まじりにドーグマンに近づいていく。
対するドーグマンは、鼻息荒く構えていた。
ドーグマンの方が背が高く、恐らくリーチもあるだろう。
二人の距離が一メートルに縮まった時、先に動いたのはドーグマンだった。
ドーグマンは、利き腕である右のストレートを、踏み込みながら放つ。
その動きは、ゴールドランクを語るだけあるものだった。
大地に根を張るような左足はブレる事はなく、ストレートを放つ上で効果を上げているだろう。
筋骨隆々な上体は放たれる拳に力を注ぎ込む。
振り抜かれる右ストレート。
一撃必殺を思わせる、その技に対抗する術はあるのだろうか。
息を飲む観客席の冒険者達。横から見ると、ジャックスの頭部から拳が突き抜けている様だ。
「俺の右ストレートを躱しただ、と?」
ドーグマンの額から一筋汗が滴る。
それだけ言って崩れ落ちるドーグマン。
そこにあったはずの太い腕が無くなると、ジャックスの左腕が見えた。
ジャックスは、ドーグマンの右ストレートを顔をずらして躱した時に、カウンターで左フックを放っていたのだ。
「あぶなかったー、もうちょっとで本当にワイルドウルフの餌になるところだったー」
ジャックスは、額に汗など出ていないのに、それを拭う様な仕草をする。
その時、ドーグマンの体がオレンジ色の光で包まれる。
ジャックスのパーティーの治癒師が状態異常回復魔法をかけたからだ。
ドーグマンは、状態異常回復魔法を受けて気絶から回復した。
そして、ジャックスを一瞥すると、舌打ちをした後、よろけながら冒険者達の中に消えていった。
突然、冒険者達の間から割れんばかりの歓声が上がった。
荒くれが集う冒険者達には、先程のストリートファイトが興にのったのだろう。
しかし、ジャックスは突拍子もない事を言った。
「オレよりもー、こいつの方が凄いんだよー」
ジャックスが言ったこいつ。
それはルシフェルの事だった。
「おもしれえ、俺っちと勝負してくれよ、イケメン野郎」
拳を合わせ、バキリバキリと音を鳴らす大岩のような男。
ジャックスとドーグマンの闘いを見て、触発されたのだろう。
既にギャラリーと化した冒険者達は、粗雑な歓声を投げている。
ルシフェルは困った表情でジャックスを見た。
「アイツはごっついけどー、シルバーランクだから余裕だよー」
ジャックスは、的確に見当外れの答えを返した。
ルシフェルは、ジャックスが分かっていて、外れた返答をしたと確信する。
「怖じ気づいたか、イケメン野郎!」
大岩男はそう言うと、ルシフェルに突進してきた。
手を蝶の様に振りながら、離れるジャックス。顔には口を歪めた笑み。
ルシフェルは、同じ様に口を歪めた笑みを返す。
「どうして同じ笑い方なのに、こうも違いがでるんだー?」
ジャックスは、納得がいかない表情をしたのだった。
「ふっ!」
ルシフェルは気合の入った息を吐いた。
猪突猛進で向かってくる大岩男を、正面から迎撃する。
大岩男の攻撃はショルダータックル。破壊力はあるが、動作が大きすぎる。
ルシフェルは走りながら、直進運動でむかってくる巨体を、体をひねることで躱す。
大岩男の横に出て、背後から蹴りをくれてやる。
大岩男は更なる後ろからの力に対応できず、そのまま地面とキスをした。
地面とのキスは、想像を上回る快楽を与えたようで、大岩男はそのまま気を失ってしまった。
「へぇー、これなら合格ラインだねー」
ギャラリーの大歓声に飲み込まれた、ジャックスの呟きは、ほとんど聞こえる事はなかった。
この夜より後、冒険者が騎士団に絡む事はなくなった。
この時、既にシュタインズフォートが陥落している事は、夜空の星のみが知っていた。
夜空の星は、命の灯火の様に流れていくのだった。




