第127話 襲われたジュリアス
俺は縮地を維持したままで、ジュリアスの悲鳴が聞こえてきた方向に急いだ。
近いようで遠くに感じるのは、俺が焦っているからなのだろう。
それが時間の感覚を狂わせて、背筋や額に冷たい汗が流れる。
くそっ! まだたどり着けないのかっ!? こうしている間にも友人がっ!
焦りの感情は苛立ちを湧き上がらせる。
その時、俺の直ぐ後ろから声が聞こえた。
「あのジュリアスが悲鳴を上げるような場所に、ヤクモが一人で行くのは危険です。わたくしも一緒に行きます!」
その言葉に釣られるように振り返ると、エリーが俺の背後にいるじゃないですか。
「エリー!? いつの間に!」
「会議室を出たときからついて来ていましたよ。あっ! ヤクモ! そちらではありません。ジュリアスにローザ様の看病をお願いしたのはこちらの部屋です!」
横に並んだエリーが、通路を左に曲がろうとした俺の腕を引いた。
そして気がついた。俺が一人だとジュリアスの居る部屋にたどり着けなかった事に。
通路に並ぶ扉は、まるで不思議の国のアリスにでてくるトランプの兵隊達のように同じ形をしている。
いや兵隊達の方がマークがあるだけ区別がつきやすい。
王城というワンダーランドの中でジュリアスと出会うのは、エリーが来てくれてなければ不可能だと言えた。
腕を掴むエリーの手に、感謝の気持ちを乗せて自分の手を重ねた。
伝わる体温が焦りを感じていた心を溶かしてくれる。
「ひゃっ! と、とちゅぜんどうしたのですにゃくもっ?」
エリーはジュリアスがいる部屋のドアノブに手をかけながら、口を開閉しながら顔を赤くしている。
「エリー、助かったよ。俺が一人で来ていたら絶対に迷っていた」
「コ、コホン。ヤクモが会議室から飛び出したのは突然でしたからね。ジュリアスの悲鳴らしき声を聞いて体が勝手に動いたのでしょう?」
ドアノブに手をかけたまま、俺を見上げるエリー。その表情は、困ったようにはにかんでいる。
分かっていますよ、という声が聞こえてきそう。
「そうなんだよ、やっぱり心配だからね」
「ヤクモが城内を歩く時、いつも難しそうな顔しているのは知っていますからね。どこに何があるかなんて分からないと思ったのです」
俺はその言葉に全身が震えるほどの衝撃を受けた。
まだ知り合って一ヶ月ほどしか経っていない。二週間程、同じ場所で寝泊まりしたくらいしか接点はないはずだ。
それなのに長年を共に連れ添ったくらいの以心伝心。
十七年過ごした日本で、俺の事をここまで分かってくれていた人がいただろうか?
ピアノに一日中張り付いて、ボッチだったモブキングにそんな人いるわけがない。
「エリー……」
「どうしたのですヤクモ?」
俺の呼びかけに不思議そうな顔をして、コテンと首を傾けるエリー。
絹のような美しい金髪は、廊下の窓を透過してきた陽射しを受けて、輝きながら白雪のうなじを隠す。
方法は分からないけど、いつかは日本に帰らないといけないと考えていた。
俺の『演奏で聴衆を感動させたい』という夢を叶えるために。
しかし、この世界で発現した演奏効果は夢を実現させるものだった。
そして……。
「ずっと一緒に――」
俺がゆっくりと口を開いた時だった。
「アッーーーーーーーー‼ それ以上はわはわわああーーーーーーーー‼」
「くすくす、私を圧倒するほどの騎士なのに、こちらの方は弱いのですね〜」
部屋の中からジュリアスの絶叫のような声がしたかと思うと、ベッドのスプリングが悲鳴を上げる音が聞こえてきた。
その悲鳴は次第に速度を上げ始め、ジュリアスの声は絶望に変わっていく。
俺とエリーはお互いに顔を見合わせて、次の瞬間、真っ赤になって目を逸らした。
そう言えば、最初に聞こえてきた声から違和感があった。
「アッーーーー!」という声に生命の危機は感じず、むしろ別の意味で危険な薫りを漂わせる声だった。
そして、室内での会話とベッドの軋みから導き出される答えは一つしかない。
すなわち、回復したローザさんにジュリアスが食われている! という事だ。
室内から聞こえる無情なスプリングの軋む音は、ローザさんの攻めが壮絶な事を物語っている。
ジュリアスが陥落するのは時間の問題だろう……、というかどうして襲われてるんだ?
俺は部屋の様子を聞いてしまって、真っ赤になっているエリーに声をかけた。
「エリー、もしこのままジュリアスがヤラれてしまったらどうなると思う?」
「え、えぇ〜と、そうですね……。どうしてこの様な事になっているのか分かりませんが、もしかしたら戦いに敗れたお返しをされるかもしれませんね」
「もしローザさんと戦ったとして、エリーは勝てそう?」
「いえ、勝負にもならないと思います。ローザ様の身体能力は普通ではありません。わたくし達が反応もできずに気絶させられのですから……」
会議前にローザさんと戦った時の事を思い出しているのだろう。エリーは悔しそうな表情を見せた。
「そうなんだ。それならジュリアスに頑張ってもらうしかないよね」
俺はエルフの護りをかざして、漆黒のシュタインウェイを展開した。
エリーは柳眉を寄せて、不思議そうにしている。
「ヤクモ、一体何を考えているのですか?」
「ジュリアスに機関車のように猛々しく動いてもらうと思ってね!」
曲の効果範囲は室内にいるジュリアス一人を想像する。
シャルル・アルカンのよって作曲された練習曲、作品二十七b 『鉄道』
左手でレールの上を勢いよく走る車輪を、右手は石炭をくべられて真っ赤に燃える機関室を表現していく。
この世界には機関車は存在しないが、右手と左手が表現している猛々しさは伝わるはずだ。
いや演奏でその情景を思い浮かべさせてみせる!
意識が演奏に集中するのと同時に、俺は感覚の世界に包まれていった。
エリー「ヤクモ、この曲はどのような感じなのでしょう?」
俺はおもむろにピアノを弾き始めた。(https://youtu.be/3DR1zvqVjTE)




