第120話 闇夜に浮かぶ影
より深い場所を求めてくる口づけに、頭の芯が心地よい陶酔に支配される。
このまま、ピリスと一緒に欲望の深淵を覗いても良いとさえ思えた。
俺の中にある獣が解き放たれようとした時、ふと頭を過る事があった。
俺はどうしてピリスとキスをしているんだ?
ピリスと大きく接点を持ったのは、シュタインズフォートでの出来事が最初だ。
それ以前は、鉄屑武具店やヴァレオの事件、それとエリーを救出した時に少し話をしたくらいだろうか。
俺の中では、ピリスはセリスと同じくらいの立ち位置だ。
以前、セリスに言った言葉が思い出される。
俺はセリスの事をよく知らないから。
これはピリスにも当てはまる事になる。
それに気が付いた俺には、ピリスと今以上の関係になる事はできない。
欲望だけの行為に何を残すことができるというのか。
俺はピリスの両肩を強く握り、お互いの体を引き離した。
「んん……、あんっ!」
艶やかさを含んだ声が、ピリスの喉から洩れる。
その目からは名残惜しそうな、それでいて満足そうな色が溢れている。
「どうしたの? 急に私の顔でもみたくなったのかしら」
熱い吐息を従えながら、甘い声音で耳朶をくすぐる。
まるで淫魔の誘いの様な仕草に、俺の理性は何度も崩壊の危機に陥っていた。
頭を何度も横に振って誘惑に抗う。
「俺はまだピリスの事をよく知らない。そんな状態でピリスを抱くことはできないよ」
しっかりと目線を捉え、はっきりと伝えた。
ピリスは目を見開いた後、悲しそうに俯き気味に首を横に振った。
そんな事はないと言わんばかりに。
「部下を殺め心が折れ、体を穢され、私はあの時に一度死んだわ。でも貴方が居たから……、貴方が手を差し伸べてくれたから、私は……」
ピリスは今までとは真逆と言って良いほどの、悲痛な声になっていた。
それを聞いた俺の頭脳も、悲痛な声を上げていた。何故なら手を差し伸べた覚えがなかったからだ。
着ていた服をキャストオフして、ピリスの裸体に手を差し伸べた事はあった。
でもアレは、非難されても感謝される事はないだろう。
後は、俺が貴女を迎えると言ったことだろうか。
確かに手は差し伸べてはいる、しかし、誰がこの俺の元に来たがるというのだろう。
あの時、ピリスも嫌そうにしていた。
「俺ができうる最大限の事をしただけだよ」
真剣な眼差しで俺はピリスを見つめた。同時にピリスの頬に熱が帯びていく。
「あの時までは本当に頼りない人と思っていたわ。私に抱きついた時、貴方は既に覚悟を決めていたのね。そして迷子になっていた私の心を迷宮から救い出してくれた、その身を挺して……」
それを聞いて俺は気がついてしまった。ピリスはセリスと同じ立ち位置ではなかったことに。
ピリスは、俺が抱きつく事で既成事実ができあがり、迎える為の理由にしていると考えているようだ。
「ピリスは俺が結婚しちゃった事は気にしてないの?」
「あの後、四人で話し合ったわ。一人だけが笑顔になることより、全員で笑い合いたいねという話になったのよ。みんなで家族になれるなんて、こんなに嬉しいことはないと思わない?」
言葉の最後を言った時には、大輪の花が咲いたような笑顔を見せた。
「家族……」
「そうよ、みんなで家族になるの。楽しいことも辛いことも分かち合いましょう。ね、あなた……」
ピリスは優しく俺に抱きついてきた。包み込むようなおおらかさで。
俺もそれに対抗するように抱き返す。
その時、ピリスは体の重心を後ろに逃がすような動きをする。スウェーバックのような感じだった。
俺は動いていた重心に抗えず、前のめりになってしまう。
そのまま、ピリスを押し倒すような姿勢で、ベッドに倒れ込んだ。
☆
風の防護壁が構築された三階の角部屋。
中からの音は外には聞こえず、外からの音は中に届かない。
しかし、窓からは内部の様子が窺い知ることはできる。視覚が風によって遮られることはないのだから。
ヤクモとピリスが重なりながら、ベッドに倒れ込む様子を窓の外から伺っている影があった。
爬虫類の二枚の大きな翼をはためかせながら。
「おじいさまから、珍しいエネルギーの色をした人が現れたと聞いて来てみましたけど〜……」
翼が奏でるバサリバサリという荒々しい音に反して、口調は穏やかでおっとりとしている。
視線は部屋の中に釘付けになっている。それはもう凝視といえるものだった。
「そ、そんな事しちゃうのですか! 見た目によらず激しいです〜。ゆ、指の使い方が! あれは人の領域ではありませんね〜。あ! 彼女さんがまたっ! はぁはぁ……」
顔を真っ赤にして、両手で目を隠していながら指の間からはキッチリと見ている。
他人が見ていたらドン引きの光景だろう。
「わ、わたしは別に覗きを楽しみに来たのではないんですからっ……、え! まだあんな事するのですか! 彼女さん、大変ですね〜、わたしまでおかしくなってきてしまいます〜」
その影は、顔を真っ赤にしたまま高度を落としていった。
着地しても両足は少し内股になっている。
「あ、明日の朝、出直しましょう〜。千年も経つと色々と変化しているのですね〜」
翼をはためかせた影は、内股になりながら飛び立つのだった。
バサリ、バサリ、バサリ。
不気味に夜の街を脅かす翼の音。まるで死神がその衣をはためかす様に。
月明かりに照らされた白皙は、熱を帯びて艶やかに染まっている。
「もうっ、もうぅ〜。すごくえっちぃ〜」
何を言っているのか分からなかった。




