第119話 ピリスの思い
シュタイン王の部屋を後にした俺達は、王城を後にした。
「あと、一ヶ月も我慢すれば……。あぁ、わたくしはいつから、我慢ができなくなったのでしょう……」
これは、エリーが城門まで見送ってくれた時の言葉だ。
おやすみの挨拶の後、城内に戻っていくエリーが兵士に、何人かはナツメ邸の工事を手伝いなさい!、と言っていた。
王国軍のモチベーションは、維持できているのだろうか? と心配になってくる。
兵士達が、とても嬉しそうな顔をしていた事を考えると、杞憂に終わりそうだが……。
エリーと別れて跳ね橋を渡った時に、違和感を覚えて周りを見回した。
俺の両隣にはアンナとティアがいる。うん、これは平常運転だ問題ない。
その後ろにはピリスがいた。うん、これはおかしいやろ?
「えっと、ピリスさん? どちらまで行かれるご予定ですか?」
「どうして他人のような敬語なのかしら。語尾も上げて疑問形にしているわね」
ピリスの機嫌は一気に坂を下っていった。驚くほどの速さで。
「いや、ピリスの家はこっちじゃないよね? どこに行こうと――」
「ピリスは今晩、風の乙女亭で泊まるんだよ。ねっ!」
俺の言葉を遮ったアンナが、ピリスに振り返りながら、同意を求めるような仕草をした。
「そ、そうよ。そういう事になっているようね!」
そういう事になっている? 変な答えが返ってきた。
「明日、王城で行われる定例会議に遅れないようにする為ですよ」
「えっ!? 定例会議なんて初耳なんだけど!」
「エリーと別れるとき、こっそりと耳打ちされたので知らないと思います」
「なぜにティアに耳打ち!?」
「分かっていないですね。帰り際にヤクモへ近づいたら、離したくなくなってしまうからですよ」
俺はそれ聞いて、王城の方を向いて想いを馳せた。エリー、かわいいよ、エリー。
「そういう訳なので、ピリスは私の部屋に泊まってね」
「アンナ、ありがとう。絶対に成功させてみせるわ」
ピリスは意気込んでいるように見えた。
もしかして、朝起きるのが遅れそうになると、手荒く起こされるのかもしれない。
そんなのは嫌だ! 俺は絶対に遅刻しないようにしようと心に決めた。
その決意を後押ししてくれているような月明かりが、俺達を頭上から照らしていた。
風の乙女亭に到着すると、アリアが出迎えてくれた。
「お兄ちゃん! 私にする? 私にする? それともわ・た・しに――」
パァーンという乾いた炸裂音がロビーを襲う。ティアがアリアにハリセンした音だ。
「アリアはもう出遅れているのですよ。なぜなら既にヤクモはわ・た・く・しと……」
ティアがウィンクしながら唇に指を当てて、艶やかな声色になっていた。
その姿は聖女というより性女だ。
偶然、近くを通った男性宿泊客は、変な姿勢で横を通り過ぎていく。
「お姉様、まさか……!? ふえぇぇぇん、お兄ちゃんのえっちぃぃぃっ!」
両手で目頭を押さえ、走り去っていくアリア。宿泊客の俺を見る目は、液体窒素より冷たい。
その中には久しぶりに合うセリスの姿もあった。
「ヤクモ、アリア様に何をしたの?」
マイナス百九十六度の視線が俺を貫く。
「取りあえず、点で物事を判断するのはやめようか」
俺はその視線に気圧されながら、セリスに今あった事を簡単に説明する。
本当に中身がないので簡単なお仕事だ。
しかし、セリスの視線は俺の話が進むごとに冷ややかになっていく。それは液体窒素が液体ヘリウムに変化していくようだった。
「わたしという許嫁がいながらどういうこと!? そんなこと許さないんだから!」
セリスは目から溢れる涙を拭いながら、階段を駆け上がっていった。
見渡すとロビーには人だかりが出来ていて、俺に対して殺気のこもった視線を向けてきている。
「俺達のアイドルのアリアちゃんやセリスちゃんを蔑ろにするなんて! 何者なんだあいつ?!」
「しかも後ろにいる女性もヤバくね? 全員、綺麗とか可愛いとかを超越してるんだけど」
「あっ! 俺、城の兵士から聞いたんだけど、何でも騎士団長ばかりを狙う奴がいるらしいぜ」
「「「騎士団長殺しだ!」」」
盛り上がっていくロビー。それは次第に喧騒に変わっていく。
きっしだんちょっ! きっしだんちょっ! と何故か騎士団長コールが始まっていた。
俺は後ろに目配せをして、ロビーにいる連中に気付かれないように、階段を上がっていく。
三階に到着しても、その声は俺達を追いかけてきていた。
ティアとは廊下で別れて、俺とアンナとピリスは同じ扉をくぐった。
俺の部屋は扉が壊れたままなので、アンナの部屋を連絡路に使うしかない。
部屋に戻ってきてベッドに仰向けに倒れ込むと、疲れがどっと押し寄せてきた。
「そうだ! ティアに伝言があったのを忘れてたよ。行ってくるね!」
隣の部屋にいるアンナが大きな声でそう言ったあと、扉が開く音がした。
そして、閉まる音と共にガチャリと鍵がかかる。
少し部屋からの出るだけでも施錠するのは良い事だ。用心深いにこしたことはないのだから。
疲れていた俺はベッドに体を預けたまま目を閉じた。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
夢と現の境界が分からなくなる微睡みの中、呼吸ができなくて目が覚めた。
まだモヤがかかった頭の中は、何が起こったのか理解できない。
「おはようございます、ヤクモ」
俺の真上から聞こえてくる声は、あまり馴染みのないものだった。
開かない目を何とかこじ開けて、その姿を確認する。
そこには、赤毛のショートボブを可愛らしくかき上げながら、俺の顔を覗き込むようにしている女性。
息がかかるほど近い距離は、彼女の情報を事細かに教えてくれる。
「おはようピリス、一体どうし――」
彼女の動きは、俺が言い終わるよりも早かった。
再び塞がれた口は、次の言葉を紡ぐ事はできなかった。
ピリス「王城からの帰り道、二人のアドリブに助けられたわ」
アンナ「あの時は危なかったね」
ティア「これも全て、ヤクモを共有する為です」
全員「「「もう増えないよね!?」」」




