第100話 シュタインズフォート攻城戦 ピリスの救出
俺は部屋に入った瞬間、回れ右をした。
直視できない程のイケない姿をしたピリス団長が、視界に飛び込んできたからだ。
何だあの姿は!? 何だあの姿は!? けしからんっ!
アダルティックなビディオでも、あんな凄いことにはならない。
隣を見ると、お姉ちゃんも同意見のようで、俺と同じ動きをしている。
「ヤクモ、ピリス様はこのままだと非常に危険です。精神状態が良くないのと、身体中の水分量の低下が著しいのです」
そう言うティアも、目のやりどころに困っている。
呼吸が荒いのは、治療行為が大変だったからだろう。そうに違いない。
俺は、ティアが放ったワードが気になった。
「ティア、精神状態がっていうことは、ピリス団長は、この状態を理解しているってこと!?」
もしそれなら、心が悲鳴を上げているだろう。
特に騎士団長という立場は体裁も大切なはずだ。
「その通りです、ヤクモ……。そして、心に傷を負っている状態というのは、状態回復魔法を効きにくくするのです……。ヤクモ、そろそろ、ふ、ふくを……」
ティアが恥ずかしそうにしながら、俺へ頻繁に視線を送ってくる。
俺はティアの言葉に疑問を覚えながら、自分の姿を確認した。
そして思い出す。トップスをキャストオフした状態だった事を。
これでは、俺が体裁を保てなくなってしまう。
「ヤクモ! ピリスの容態がっ!」
背後からエリーの叫びにも似た声が上がる。状況は刻一刻と悪い方に傾いている。
俺は片手でヴァイオリンを掲げ、ティアに見せる。
ティアはそれを見て、真顔になりピリス団長の元へと近寄る。
演奏に大切なのは、容姿表現ではなく、感情表現だ!
変態的容姿の俺は、ヴァイオリンを構え、弓を弦に添える。
対象をピリス団長単体にイメージして、緩やかに弓を引いた。
――弓と弦が擦れる音は、香りのように部屋を満たしていく。心を落ち着かせるように、しっとりと響く曲がピリスを優しく抱擁する。――
選んだ曲は、G線上のアリア。
鎮魂歌という曲調は、ピリス団長の精神状態を落ち着かせるには、最適だろう。
俺は、響きに細心の注意を払いながら演奏を続けた。
☆
ヤクモの演奏が始まると、ピリスの状態は明らかに変化した。
媚薬によって引き起こされた感情の昂ぶりが、演奏効果によって抑制されているのだろう。
ピリスの瞳が、次第に色を取り戻してきていた。
幼少の頃から幾多の回復を行ってきたアルティアは、この好機を逃すことはなかった。
「不浄なる、邪を、清め給え!」
短いが、慎重に言葉を宙に解き放つ。
同時に練られたマナが顕現し、オレンジ色の光がピリスを包み込んだ。
絡み合う音楽と魔法の協奏曲。
オレンジ色の音色が鳴り止んだ時、ピリスを蝕んでいた悪夢は幕を下ろした。
アイリーンは、ベッドに横たわるピリスの瞳が色を、顔が表情を取り戻すのを確認した途端、その幼馴染みに力一杯抱きついた。その大きな瞳には、安堵からか潤みを帯びている。
「え、エリー、痛いわ。もう少し手加減して……」
まだ夢の中にいるような、力がない声でピリスはハニカミながら呟いた。
「ピリスは本当に馬鹿ですね! 貴女に何かあったら、わたくしはどうすれば良いのですか!?」
更に強い力を込めるアイリーン。ピリスは、なされるがままで頷いている。
「そうね、エリー。私の采配で多くの人が亡くなり、囚われた私の為に多くの財が使われた。その私は穢されている……。私はもう疲れてしまったわ……」
「ピリスは感傷に浸っていたいのかも知れませんが、亡くなった騎士は百人程と聞いています。あと、わたくし達だけで救出に来ているので、貴女への賠償金は支払われていません」
意気消沈して生気すら感じる事ができないピリスに、アイリーンは姉の様に優しく諭す。
険しい表情をしていたピリスに、柔らかな陽光が射し込んだ。
「私の後ろにいた騎士は、爆炎に巻き込まれていたわ。あの状態で助かるはず――」
「わたくし達には、ヤクモとヴィドの聖女がついているのですよ。少しくらいの不可能は、可能になってしまうのです」
ピリスはアイリーンの言葉を聞き、納得ができないようだった。
ヴィドの聖女が、騎士達の傷を癒やしてくれるのは分かる。
しかし、あの頼りない不器用な男が一緒にいたとしても、何かあるとは思えないからだ。
しかも、媚薬に侵されていたとき、ピリスの大切に触れた男でもある。
「エリーの事を疑うわけではないけれど、私はあの男の事が信用できないわ」
ピリスはアイリーンに、柳眉を顰めた顔で返した。
アイリーンはピリスとの長い付き合いから、何を思っているのかを理解したようだ。
「ピリスは普段の彼を知らないですから、仕方がないですね。ですが貴女が今、着ている服は誰の物か分かっていますか?」
アイリーンは、ピリスを抱く腕の力を弱める。拘束から解放されたピリスは、視線を下に向けた。
服は不快極まりなく濡れている。その状態にピリスは血の気が引く思いになる。
しかし、服によって体裁が保てている事は、直ぐに理解できたようだ。
その服はゆったりとした男性用の物で、ピリスの大腿部までを覆っている。
上体を起こして周りに視線を巡らすと、テーブルの向こうに上半身が裸の男。
珍しい黒髪で、両手には木製の何かを持っている。
扉の方を向いているので表情は伺えないが、十中八九、例の男だろうとピリスは考えたようだ。
その姿からピリスは今、誰の服を着ているのか、という問いには簡単に答えられる。
「エリー、服を貸してくれたのは分かったわ。でも彼は……」
ベッドの上で女の子座りをしているピリスは、言おうとした言葉を飲み込む。
ピリスには珍しい恥ずかしそうな仕草。視線を下にむけている。
「そう言えば、ヤクモは貴女に抱きついていましたよね。はぁ、ピリスが羨ましいですね」
ピリスはアイリーンを三度見してしまった。何を言っているんだという表情で。
ピリスとしては、肌を合わすという行為は、愛している者同士の睦事と同義。
それが、態度をはっきりとしない頼りない男としてしまうなんて、と考えていた。
それなのに、アイリーンは羨ましいという。恋は盲目と言うことなのだろう。
「エリーにとってはそうかもしれないけど、私としてはもう何処にもいけないわ」
ピリスは感情がのってしまった声で思っている事をいってしまう。
思わない声の大きさに、ピリスは口を手で押さえた。
結果的にヤクモが抱きついた訳だが、アシュケルに穢されている事もある。
ピリス自身の心の問題と敵に捕らえられた話は消えることはない。
―― 私も恋というものをしたかったわ。もう叶わないけれど。
そんな想いが声を大きくしてしまったのかもしれない。
「本当に何処にもいけないんだったら、俺がピリス団長を迎えるよ」
不意に割り込んでくる声に、全員の視線が集まる。俺という言葉を使うのは一人だけだ。
扉の方を向いたまま、ヤクモは再度同じことを言った。
「ピリス団長さえ良ければ、俺はいつでも貴女を迎えるよ。付き合っている女性もいないしね」
アンナが、アルティアが、アイリーンが、ムンクの叫びと同じ顔になっている。
ヤクモの表情は全く分からない。
ピリスはヤクモからの提案を聞いて、頭から電撃が突き抜けた衝撃を受ける。
抱きついてしまった事に対して、ヤクモは人生を捧げると言うのだから。
ピリスは顔に血が上り、赤面するのを感じた。速くなる鼓動がメトロノームを狂わせる。
「あ、貴方に嫁ぐほど私は堕ちていないわ! でも選択肢の一つには入れておいてあげる!」
上擦った声、そして早口でピリスは、上着の端を握りながら言う。
あからさまに変化するピリスに、アイリーンは不安になりその顔を見た。
朱に染る頬、夢見るような潤んだ瞳、服の端を握る両手。
アイリーンは察してしまった。絶対に応援すると言った親友が、恋敵になった瞬間を。
アイリーンが唖然としている間も、ピリスの攻撃は続いた。
「本当に嬉しくないのだけど、仕方がないから貴方を名前で呼んであげる。そうだわ、対等が望ましいから、貴方も私を名前で呼んでね、ヤクモ!」
「お、おう!」
勢いに押されるヤクモは、短い返事をするのが精一杯の様子。
アンナとアルティアは魂が完全に抜けている。アイリーンも目からハイライトが消えていた。
その時、扉の外からジュリアスの切迫詰まった声が聞こえる。
「ヤクモ、取り込み中すまない! ルシフェルとアシュケルの姿が見当たらなくなった。来てくれないか?」
「ああ、分かった。すぐ行く!」
ジュリアスの足音が遠のいていく。かなりの速度が出ているのだろう。
「ちょっと見に行ってくる。全員、少し休んでおいてね」
ヤクモはそう言って部屋から出ていった。
部屋に残った四人は、それぞれベッドに集まってくる。さながらゾンビの様に。
「さて、お話しましょうか。今後の事について」
アンナが口火を切った。全員がはかったかのように首肯する。
窓から射し込む月明かりですら、裸足で逃げ出したくなる部屋の中。
四人の美少女達は、にこやかな笑みを浮かべる。
月は静かに成り行きを見守っていた。
ルシフェル「そろそろ僕の出番だな!」
無数に伸びてくる手に足を掴まれ動けなくなるルシフェル。
ルシフェル「うわっ! なにをする!?」
謎の声「私はできすぎ君が嫌いでねぇ。君の出番はないんだよ」
ーーチュンチュン
ルシフェル「夢か。なんて嫌な夢だったんだ。」




