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気まずい思いで食事をしていたとしたら、それは夕子とはじめだけだったかもしれない。
彼女は、護がケガをしたということがショックだった。
恨みがあるはずもない。
ただ、護でさえ敵わなかった相手ということが、人見知りに拍車をかけている。
昔の彼女だったら、いくら健がいるとはいえ部屋に引き込もって出てこられなかったかもしれない。
健たちがいてくれるという安心感が、辛うじて足を止めている。
それでも、何度かはじめが視線を向けるたびに体が硬くなる。
そしてその都度、健が気がついて声をかけてくれる。
これは、彼にしては珍しいことだった。
いつもなら、夕子の人見知りをある程度は放っておいている。
一方、はじめのほうはというと、何かと志乃や健、そして絵里が話しかけていたが、居心地が悪かったのは確かだろう。
まだ、彼らが何者なのかがまったくわからないし、接触してきた目的も聞いていない。
だから、全員の気配を静かに伺っていた。
ぎこちなく、右手に箸をもつ護は、少しでもこちらが気を抜けば消えてしまうのではないかというほどひっそりとしている。
先程の気迫はおろか、存在感がまるでなかった。
それと対照的に、実の気配ははじめを圧倒した。
最初の殺意らしきものは感じられなかったが、その代わり、何かを探り出すような強い視線が向いている。
時おり、健が諭すようにやめろ、と言っていたが、何を『やめろ』と言っているのか、はじめに判断がつくはずもなく、しまいには実のほうが、
「おまえのほうこそ黙れよ。オレがここにいる時点でもう、手遅れだということはわかっているんだろう?」
そう言った。
「……君の言うとおりだったな。もっと強く止めるべきだったよ」
という健の呟きを聞き取った絵里が苦笑する。
「あんたに無理なのはわかっていたわよ。さっきのは単なる愚痴。聞き流してちょうだい」
「そう言ってくれると気が楽だよ」
隣で聞いていたはじめが、健に強めに口を挟む。
「もどかしいな、君は。大将なんだろう? なんでそんなに弱々しいんだ」
口を出してきたのは志乃のほうだった。
「無理言うなよ。こいつ、普段はいつもこうだ」
どう聞いてもバカにしているとしか思えない。
それを、健は認めてしまっているではないか。
本当に、頼りない。
はじめは、小さく首を振ってまた箸を動かした。
自分には関係のないことだ……、と。
食事がすむと、はじめは最初に通された部屋に案内された。
そこには、途中まで飲んでいた酒とつまみがそのまま残っていた。
健とはじめが席に着いたところで、実がトレイに別のジュースを持って入ってくる。
「マモルはおとなしく部屋に戻った?」
「いや」
食事のときとはまた違った落ち着いた声がはじめに向いた。
「おまえに言いたいことがあるそうだ」
言葉遣いは変わっていないが、雰囲気は先程よりずっと静かだった。
「シノは部屋に戻った。エリとユウコがキッチンにいるから欲しいものがあったら遠慮なく言えってさ」
と、これは健に向けられた。
で、ジュースは二つ。
護はわかるとして、もうひとつのグラスは実のものか?
「ミノル……おまえは……」
「わかっているよ。すぐに部屋に戻る。ただ……文句が言いたくてな」
「オレに?」
「他に誰がいるんだ?」
何かしたか? と首をかしげた健に、文句があると言いながらもウイスキーをロックにして渡すところは彼らしい。
はじめにはそのまま、グラスに日本酒を注いでから、ようやく健に言った。
「おまえはオレを戻したがっているようだがな、放っておけると思うのか?」
「……だって……放っておくもなにも、おまえのすることは最初からないんだし……」
「ならば、マモルがケガをしたのはどういうことなんだ?」
「それは……」
計算違いだったのだが。
そういう前に、実がたたみかける。
「第一、おまえもオレの目の前ではじめとやりあうつもりだったわけだろう? 主治医の、オレの目の前でだ。何のためにひと月もかけて……」
ことさら『主治医』というところを強調した実を、健が慌てて止めた。
「ちょ、ちょっと、ミノル、黙って……」
と、止めたが遅かった。
唖然としたはじめの目が、健と実の両方に泳いだのだ。
「白木……健さんは病人だったのか?」
「余計なことを……」
そう言い捨てる健を、今度は実が遮る。
「言ってほしくなかったのなら最初から口止めをしておけ」
と。
そして、さらに続けた。
「オレは言ったよな。患者だからといって、なんでも許すと思うな、と。もし、おまえまでがケガをしたらどうするつもりだったんだ? 治療のことまで考えていたのか?」
改めて実の口から言われると、健も言葉を濁すしかなかったようだ。
「……ごめん……」
「謝っても遅いんだよ。あいつの治療を誰にさせるつもりだったんだ? 町までその姿で医者を探しにいくつもりだったのか? それ以前に、外科手術ができる医者が、この時代の、こんな辺鄙なところにいると思っていたのか?」
すっかり小さくなってしまった健を目の前に、実は深く息をついてソファの背もたれに寄りかかった。
「結局、おまえもマモルもオレをたよっていたんじゃないか。それなのにおまえは無茶をしようとするし、あいつは傷を残せと言い出すし。……おまえたちのほうがよほど勝手だよ」
普段から嫌みや皮肉の連発だが、実のいうことはいつも正論だ。
先程のことにしても、確かに、ケガをすることまで想定はしていなかった。
覚悟はしていたのだ。
相手の力量が測れなかったのだから。
しかし、あれほどあっさりと斬られるとは思わなかった。
刀の威力も、使ったことがなかっただけに、シミュレーションでは追い付かなかったといってもいい。
結果的に、実に頼ったのは事実だ。
健にしても、自分がはじめを抑えられる確信はあったが、まったく無傷でかわせるという自信はなかった。
実にとって、この時代は精神的に過酷なところだ。
そう思って同行を渋っていたのだが、無意識では結局、彼がいることを誰もが当たり前に考えていたことになる。
「……すまなかったね、ミノル」
だからこそ、健は素直に謝った。
その寂しげな声に、実が目を伏せる。
「……わかるだろう? ケン、もう……止めないよな?」
ここまで言われては、実のすることを止められない。
もし、最初から同行を断っていたら、実はきっと本部で、誰かが負傷するかもしれないという不安を抱えたまま待っていなければならなかっただろう。
そしてここに来てしまったからには……健が他人と接触してしまったからには、それを忘れてはいけなくなってしまったのだ。
来ても来なくても、実にとっては辛かったに違いない。
それなら、自分のすることを見守ってくれる健の傍にいたほうが遥かにいい選択だったろう。
「わかったよ。おまえの思うとおりにね。……ただし……」
隣に座っていた彼を対面にいるはじめのほうに追いやり、健は心配を表情に乗せて言った。
「彼だけではすまなくなるよ? それはわかってくれるね?」
「……覚悟はしておくさ」
「すぐに切り替えられる?」
実は、不適に口元を上げた。
「見くびるなよ」
「わかった。……はじめさん」
さっきから、わけのわからない、暗号のような会話をぼんやりと聞いていたはじめは、呼び掛けられて間の抜けた返事をした。
「すまないけれど、少しのあいだ……」
また、健の言葉が遮られた。
小さなノックが聞こえ、ドアが開く。
入ってきたのは護だった。