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「彼女は心がきれいな人だった。それだけに人生に絶望していたようにオレには思えた。……叶わない夢だとわかっていたからだと……感じた。オレは、そんな彼女に同情をしていたのは確かだ。同時に、オレ自身もあの頃は諦めていた。……元々あってはいけないと思っていた命だ。……君へ恩を返すつもりができなくなったのならば、あのまま彼女とともに死ぬのもいいだろうと……思っていた」

 彼は、一度口を閉ざすと、冷めて残ったコーヒーのカップの縁を指でなぞった。

「彼女と再会したときに……オレは彼女を見誤ったんだ。彼女は死ぬことを望んでいたわけではなかった。オレが生きていたことで希望を持ったんだろう。……あの父親から逃げられると思ったらしい。……オレが彼女を救いに来たと……思っていたんだ。それに気づかなかった。……結局、彼女はオレから逃げて……君の前に飛び出した」

『助けて! 殺さないで!』

 あの事件のとき、いきなりドアから飛び込んできた彼女を見て、実はためらいもなく殺したのである。

 今もはっきりと思い出せる。

 遅れて入ってきた護が彼女の姿を見て、一瞬にして状況を悟ったことに。

 虫の息で、声にならない言葉を呟いた彼女を抱き起こし、護は最後に一言、

『すまなかった』

と言った。

 力の抜けた体を抱きしめ、静かに体を震わせていた彼にあったのは、ノーマルに対して、初めての後悔ではなかっただろうか。

「……そういうことか……」

 そういった実に頷きもせず、護が続ける。

「君を恨むのは筋違いだ。ただ……あの時から少しずつ、君の行動の中にオレを守るような態度があることに気がついていった。……君は昔から変わっていない。子供の頃の決意を貫いていただけだ。変わったのはオレのほうだ……と悟った。……自分の甘さから自身を傷つけたオレを、それでも守ろうとしている君を見るのが辛かった。……それどころか少しずつ、君を憎んで行くような気がした。……君が悪いわけでは……ないんだ」

「……護さん、その……聞きづらいんだが、夕子さんはどうなんだ? かわいそうだとは思わないかね?」

 ユウコ、と口元が動き、彼は首を振った。

「一度……ケンにも言われた。けれど、これは義務でしかない。彼女を保護はするが、恋愛の対象にはならない」

「おまえはそう考えていたのか?」

 実にとっては意外だったのだろうが、はじめはどこか納得していたようだ。

 夕子から直接聞いていたからだろう。

 確かに、実の目には、少しずつだが発展していると映っていたに違いない。

 だが、やはり彼女もまた、仲間として護を見ていたし、時を経ても恐らくは変わるまい。

 護は実から視線を逸らし、言った。

「ユウコがケイゴさんを忘れるまでの義務だ。それ以上は……深入りする必要はないだろう」

 ぼんやりと、テーブルに残ったパンケーキに目を落とす。

「オレは……誰も愛さない。真奈美さんに叶わない夢を見させた責任だ。彼女との約束だけは守りたいんだ」

 静かな空間が三人の間に漂った。

 テーブルに残ったのは、護がやめてしまったパンケーキだけだ。

 最初は自分が片付けるつもりで手元に引き寄せた実だったが、自然、フォークでつついただけでやめている。

 しばらくして、はじめが目の前の皿を押しやって、両手をついたまま言った。

「護さん、やはり君には私を見てもらわねばな」

「断ったはずだ」

 きっぱりとした拒否を当然に受け止めながら、それでも今度は諦めずにはじめは言った。

「大将の言葉なら、だろう? 健さんの頼みならば引き受けずにはいられまい?」

「……それが彼の本心ならば……」

「ならば決まったな。私も手伝おう。あの人を追い込むことなど造作もない」

 大した自信だ。

 実が苦笑交じりに聞いた。

「おまえ、どうしてそこまでムキになるんだ?」

「そう見えるか? 励みと言ってくれ」

「?」

「君たちにはわからないだろうよ。他人に、自分の人生を告げられてしまった気持ちはな。だが、要は物事の見方だ。護さんも自分で言った言葉だろう? 予定調和、とな。それを信じれば互いの励みになる。私の未来が楽しみだよ」

 実が思わず吹き出した。

 そのまま遠慮もなく笑い続ける。

 それを護は穏やかに、包み込むように眺めていた。

「おかしいか?」

 どちらかというと、実にというより護に見とれるように尋ねる。

 笑いの合間から実が言った。

「おかしいさ。自分の……未来がたのしみ、か? いいことばかりじゃないとは思わないのか?」

「細かく考えたらきりがなかろう? 前向きに考える方が大事じゃないかな?」

「そう……だな。脳天気なおまえには似合っている」

「本当に……口が悪い」

 だが、傷つくほどの言葉ではない。

 罵倒でもない。

 一通り笑っていた実だが、落ち着いたころ、ふと気がついたように首をかしげた。

「けれど、明日にはあいつ、帰るぞ? おまえになにができる?」

「なにを言っている。明日が最後ではないと健さんが言っていたじゃないか。そっちでなら護さんが……なにより君がやってくれるのだろう? ここでのことを引き受けると言っているんだ。それにな……」

 肘をついたはじめが、僅かにドアを振り返った。

「護さん、君は本当に志乃さんが切り札になると思うか? 健さんは志乃さんではなく君に自分を託そうとしていたようだが?」

「それは彼の本心ではない。諦めるしかなかった願いを聞き入れるつもりもない」

 カタン、とイスを引く音をさせて実が立ち上がった。



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