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 一方、隆宏が部屋に戻っていったあとのキッチンでは、護が真っ先に頭を抱えた。

 神経を使ったため、疲れ切ったため息だった。

 それを横目に実がキッチンに立つ。

 ずっと飲み物も出さずにいたのだ。

 食事も途中のまま夕子に片付けさせたため、彼自身は物足りなかったらしい。

 メンバーの中で調理ができるのは夕子と実だけだ。

 食器棚や食品棚の中を探り、コーヒーを立てて三人分のパンケーキを作り始めた。

 香りからして甘くなっているパンケーキをテーブルに並べて席につく。

「マモル」

 目の前に置かれた皿に目を落とし、チラッと実に視線を流して、なにも言わずに吊っていた肩布を外した。

 はじめはパンケーキを珍しげに眺めている。

 ナイフとフォークを皿の脇に置かれたものの、使うどころか見たこともない道具に手が出せない。

 今までは洋食だろうと中華だろうと全部、箸で食べてきたのだ。

 使い方がわかるはずもない。

 先にケーキに切れ目を入れ始めた護の仕草を真似ようとそれらを取り上げ、実の仕草と見比べた。

「? ……逆?」

 二人の持ち方が違うのだ。

 右手にナイフを持つ実と、左手にナイフを持った護。

 実フォークで自分と護を指し示しながら言った。

「右利きと、左利き。好きな方を真似すればいい」

「……そうか。それなら実さんに従う方がよさそうだな」

 それきり、男三人が黙々とケーキを食べるという光景が滑稽だと思いながらも、誰一人、話題を提供しようとはしなかった。

 ただ、護は半分も手をつけずにやめてしまった。

「ミノル……」

「構わないぞ」

 皿をテーブルの中央に押しやって、護が肘をつく。

 残ったパンケーキと彼を見比べて、はじめは首をかしげた。

「なんだ、君も甘いものは苦手か」

 嫌いなものを目の前にして、決死の覚悟の表情を見せた健のことを思い出したはじめに、実があっさりと違うといった。

「さっき食ったばかりじゃないか。立て続けに食えるか……ということさ」

「あれも途中でやめたではないか」

 実が頬杖をついて笑った。

「もったいないから無理をしても食べろってさ、マモル」

「そ、そんなことは言っていないだろう」

 笑いながら護の皿を、実は自分の元に引き寄せた。

「元々食が細いんだよ。こいつも、ケンもな」

 はじめは無遠慮に護を見回し、残りのパンケーキを口に運んでいる実の腕を引き寄せて見比べた。

「君たちはみんな細っこいなぁ。そんなに小食ではいざというときに力が出ないんじゃないか?」

「そうでもないぞ。第一、力業はそれほど必要としていないからな」

「技術で補うというわけか」

「あと道具。おまえの刀を折ったのも力じゃない」

「……」

 その時のことを思い出すかのように無意識にパンケーキを口に運んだはじめが目を泳がせた。

 恐れもためらいもなく短いナイフの間合いに迫り、居合いのタイミングを外しかわす。

 タイミングがずれてケガをしたものの、もう一本のナイフを支えにして刀身の横から折る。

 さほど力を入れたように思わなかったのは、一度健が見せてくれたフェンサーのように熱を持ったあのナイフの性能も含まれていたからだろう。

 復讐戦と称した打ち合いにしても、二度目からは勝てなかった。

 護はケガをした左手に、竹刀より短い刃物を持っていた。

 だが、それをさほど振り回していたわけではない。

 軽く竹刀を払いながらかわして抑える。

 健が道場で沖田たちを相手にしたときもそうではなかったか。

 基本的に、彼らは武器を必要としていない。

 力ではなく技術で無用な殺生もしない、というわけだ。

「なるほどなぁ」

 どちらかというと、やはり剣術というより柔術のほうが近いと思う。

「ミノル」

 小さな呼びかけが、泳いでいたはじめの目を元に戻した。

「わかっている。もういいぞ」

 実が、護の言いたいことを察知し、護も返事に頷いて腰を上げる。

 テーブル脇に置いていた肩布をはめ直した彼が部屋に戻ろうと足を向けたのに気がついたはじめが、慌てて止めた。

「ちょっと待ってくれ」

 僅かに振り返った護に手招きをする。

 訝しんだ彼だが、素直に席に戻った。

「さっきのことだが、健さんから聞いていないところがあって疑問なのだよ」

 護の首が、疑問に対して僅かにかしいだ。

「実さんは、君と夫婦の約束をした人を殺したことになるね? それ自体に恨みがないというのは?」

 そんなことか、と彼は目を伏せた。

「言った……はずだ。結婚の約束はあくまでも彼女の夢でしかなかった。彼女自身が叶わないことは理解していたんだ。夢は夢のまま……実現してしまえば……」

 一瞬、遙か後ろから護の頭の中に声が響いたような気がして、彼はハッと、顔を上げた。

『……なら……ぶ……のうち……』

 なんの声だ?

 表情が変わり、護は体を震わせて顔を覆った。

「マモル?」

 まさか、またなにか思い出したか?

 実が乱暴に立ち上がり、護を抱え込んだ。

「はじめ、もうやめろ。これ以上探るな」

 きょとんとしたのははじめのほうだった。

「探る? 私がなにを……」

 言いかけて悟ったのは、うなされていたときに一度暗示が解けていたという事実だ。

 とすると、真奈美という女性は、彼を監禁していた男と関係があったことになる。

 先ほどの話では親子だったといっていた。

 つまり、犯人の娘と約束を交わしていたということだ。

 護が平然と話していたから聞いたのだが、これは自分の迂闊だったと頭を下げた。

「す、すまん。軽率だった」

 彼に対し、護が弱く実の腕を払う。

「待って……くれ。もう……」

と、首を振った。

 いくら急だったとはいえ、実もはじめも、自分たちの行動に気がつかなかったようだ。

 実がはじめに、自分の過去のことを話してしまったと気づいた護だが、それを責めることもなく落ち着きを取り戻す。

 未だに思い出せないことを思い出しかけた。

 それが頭の中に響いた声ではなかったろうか。

 護は、今更ながら愕然としたのだ。

 自分は、どうやってあの屋敷から逃げたのか。

 実が暗示をかけるまでもなく、そのときの状況を護はずっと思い出せずにいた。

 また、考えようと努力することもなかった。

 真奈美の話がきっかけというのならば、聞こえたのは彼女の声だったのかもしれない。

 覚えていてはいけないことだ。

 ならば、一瞬しか聞こえなかった声を聞き流すしかない。

「もう、平気だ。すまない、ミノル」

「聞かないほうがよかったな、護さん」

「いや……。……ミノルも、聞いてほしい」

と、さり気なく実を元の席に誘導する。

「……あのとき、オレは自分の手で彼女を始末するつもりだった。だから、彼女を殺したこと自体の恨みはなかったんだ」

 嘘がつけない彼の防御手段は口を閉ざすことだ。

 それを今、実に話すことで、先ほどの告白の誤解を解くつもりだった。


 

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