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 二階に上がり、絵里の部屋をノックする。

 が、返事がない。

 開けてみたが彼女の姿はなかった。

 そこで、今度は志乃の部屋に向かう。

 健、実、護、志乃と、はじめの滞在を考慮して、あとは夕子の部屋は用意してあったし、予備の部屋として一つ作ってあったものの、まさか隆宏と高志が加わるとは思わなかったため、たとえ一晩だけでもどこかで寝るつもりだった。

 隆宏は絵里と同室でいいとしても、とりあえず志乃に高志を頼むつもりで、やはりノックをしてドアを開けた。

 ソファがありながら、高志が床に腰をおろしてテーブルに肘をついている。

 志乃は対面のソファからそれを見下ろしていて、絵里がベッドに座って目を閉じていた。

「エリ?」

 メンバーと言えど男性二人の部屋で、彼女はうたた寝でもしているのか? と声をかける。

 彼女はその声に邪魔をされたとでも言いたげに、顔をしかめて頭を振った。

「ダメだわ。ピンとこない」

 こめかみの辺りを指でさする。

 高志も力なくテーブルを叩いて彼女のほうを振り返った。

 困惑しながら二人を見比べていた志乃が、どちらへともなく言った。

「なにかヒントでもあればいいのかな?」

「どうだろう。ヒントどころか、オレの勘、程度じゃなぁ」

「どうかしたの?」

 中に入って、隆宏は高志の傍のソファに腰をおろした。

 高志が見上げる。

「さっきの話を思い出していたんだ。なんか変だと思うんだけれど、どこがおかしいのかわからなくて」

「ああ……」

 意味ありげな呟きに、三人の視線が集まる。

「何か知っているの?」

 隆宏はベッドの絵里を振り返った。

「オレが? まさか」

「でも今、なんか知っているような返事だったじゃない」

「そうじゃなくて、おかしいというのならさっき君が指摘したじゃないか。それでも納得しなかったのかなって」

「あれ自体はいいんだ。というよりケンのことはわるいけれど、オレはパスさせてもらうから。マモルでもミノルでも、言われれば付き合うけれどオレごときが考えたって追い詰めるより言葉で攻めてしまうよ」

「懸命な判断だね。オレも押しつけてきちゃったし。ミノルもマモルがやろうとしていることをわかっているみたいだから二人に任せればいいよ。こっちはこっちで自分たちの意識を修正すればいいんだ」

「だからさ」

 隆宏や高志、それに絵里の顔を交互に見ていた志乃が、必死に割り込んできた。

 足の低いテーブルに両手をついて、懇願するように問いかける。

「俺はどうするの。そりゃあんたたちはいいよ。簡単に考え方を変えられるかもしれないけど……」

 高志が鼻を鳴らした。

「そんなの自分で考えろよ。元々関係ないんだ」

 呆れたようなため息が隆宏から聞こえ、彼はコツン、と高志の頭を叩いた。

「そういう考えかたはよくないよ。君はそんなにシノが嫌い?」

 ムッとして、高志は隆宏を睨み上げた。

「リーダーとか代理とかいうなら嫌いだよ」

「あのねぇ、タカシ。あんたはどうしてそう対抗しようとするのよ」

 それもまたカチンときたらしい。

 今度は絵里を振り返る。

「言うと思ったよ。オレはその程度か? バカにするな」

「それならなんなのよ?」

 健がケガをしたことが原因で、治るまでという条件で志乃がリーダー代理になったときは高志も面白がっていた。

 なのに、その期間が延びるに従って少しずつ反抗していった。

 仕事の上ではおとなしく指示に従っていたのだが、やがて正式に健の代わりになるときまったときに猛反対したのもやはり高志一人だけだったのだ。

 普段はさほど嫌っているような素振りはなく、むしろおしゃべりな彼に、志乃の達者な口は、同等なやりとりで会話として成り立っていたし、なにより健たちがバンドを組んでいたときはバンドリーダーとマネージャーという、偽りの関係ながら大層楽しく付き合っていたはずなのだ。

 志乃にすれば、やはり一緒に行動するからには一人でも反対者がいるというのは心苦しかったに違いない。

 隆宏たちが庇ってくれたが、それを盾にしようとは考えず身を乗り出した。

「タカシ、頼むよ。これでも頑張ってるつもりなんだ。認めてくれとはいわないけど、もう少し時間をくれないか?」

「だから、それが嫌だっていっているんだ。どうしておまえがリーダーなんだよ」

「やっぱりそれが気に入らないんじゃない。そんなにノーマルに超されるのが悔しいの?」

 イライラと、唐突にテーブルを叩いて、高志は絵里を睨みつけた。

「エリ、悔しいのはな、君たちがそんなふうにオレを見ていることだよ!」

 高志は、直前の苛立ちを顔を曇らせて俯くことで抑えたように隠した。

「どうしておまえがそんなに頑張らなきゃならないんだよ。オレはおまえのそんな姿を見るたびに一年経ったあとのことを思い知らされる。……立場はわかっているさ。でも、ノーマルのおまえがそこまでしなきゃならないのか? 一年経ったらおしまいなのか? おかしいじゃないか。おまえが懸命になるということは復讐の期間を作っているとしか思えない。そんな気がないくせに、一緒にいたいのなら必死にならなくてもいいじゃないか。オレはおまえを追い出したいわけじゃないんだ。リーダーにならないと一緒にいられないというのが理不尽だといっているんだよ」

 反対していたのは、対抗意識でも悔しさでもなかったのか。

 安心すると同時に、志乃は答えに詰まって顔を逸らした。

 リーダーという名目の元で傍にいる理由を言えないのが辛い。

 仲間としては認めることはできないかもしれないが、高志は友人として志乃を見ていてくれたのに、その彼にも隆宏たちにもごまかさなければならないのだ。

「うん……まあ……」

 言葉を探して、歯切れが悪いものながら、志乃は口を開いた。

「それは……解決してるんだけど、さ」

「それって、なにがだよ」

「……イチネンってやつ」

 正確に言うのなら、健から最初に期限をもらったのは半年ほど前だからだいぶ欠けてしまうが、それでも、最初の一ヶ月を過ぎた頃には期間の延長も決まっていた。

 大体、一年と健が決めていたのは自分の死期が見えていたからだ。

 それが延びれば期限など、ないに等しい。

 避けられないことではあっても、一年から何年と言葉を変えた延命ができたことで、志乃は堂々と彼らの元にいられるのである。

 ただ、隆宏たちは健の寿命のことを知らない。

 だから、未だに仇を討つためにそばにいると思い込んでいるのだ。

「ずっと傍にいるというの?」

と絵里が問いかけたのは当然で、頷いた志乃に、腑に落ちないと首をかしげたのは三人とも同様の考えがあったからだろう。

「それなら、やっぱり必死にならなくてもいいじゃないか」

 高志の言葉に、隆宏たちも同感だった。

 志乃は、まあ、とやはり歯切れが悪く苦笑したものの、

「大体、それならどうしてあたしたちに黙っていたのよ」

という彼女に対しては反論があったようだ。

「黙っていたって……半分はあんたたちのせいなんだぞ」

「どうしてよ?」

 腹をたてた上での反論ではない。

 志乃は、いたずら気味の笑顔でいったのである。

「ノーマルの俺があんたらと同じことをしようとしてるんだぞ。一緒にいられるだけでも奇跡なんだ。だからケンに言われたように代理であろうとリーダーの役をしてるんじゃないか。頑張って追いつこうとしてるのにタカシがごねてたんじゃ、言い出せないだろ。実力で認めさせようと必死だったんだ」

「つまり、正確にはオレだけのせいか?」

「そういうわけじゃねぇよ。あんたら全部」

 志乃の目から見れば、学生の頃から決まったスポーツを続けていたわけではなく、就職してからも大勢の中で働いていたが、単なる仕事上のつきあいでしかなかったため、チームワークというものにはほとんど無縁といってもよかった。

 圭吾とパートナーを組んでいた時期も短く、あとは一人で動いていたとなると、たとえ復讐というかたちで入り込んだとはいえ、健たちの仲が羨ましくなかったとはいえなかった。

 彼らと暮らし始めて早くもひと月を過ぎた頃には完全に復讐心がなくなってしまったのも、その辺りが要因だったのかもしれない。

 健の死期、という以前に、羨ましいと思う感情があったのは事実なのだから、隆宏たちに話す理由も、嘘が混じっていたわけではなかった。

「リーダーでも代理でもいいよ。俺は好きでやろうとしたんだ。必死なことには違いないけど、嫌で引き受けたわけじゃない。理不尽じゃないんだ。ミノルを好きなだけじゃ理由としては薄いんだよ。ケンは俺の居場所として大きな位置を用意してくれたと思ってるよ。それでも認めてくれないかな? タカシ」

 最初から毛嫌いをしていたわけではないのだから、答えは聞くまでもなかっただろう。

 期限のついた友情でないのなら反対するはずがない。

 高志もまた、本音は寂しかったのだ。

 ノーセレクトとわかってからずっと、レイラーとともに中国の人里から離れた場所で彼女と二人きりだったのだから。

 まったく人から隔離されていたわけではなかったが、近くには体に障害が残った人のリハビリ施設しかなく、そこでの知り合いは多かったものの、健康を取り戻したひとたちが退院すればそれきりだった。

 それはそうだろう。

 メールなどのやりとりはしても、好き好んでそれほどの山奥に遊びに来ようという人はいない。

 街に出るのに車でも一時間近くかかれば、頻繁に出るというわけでもなかった彼にすれば、そこでの友人も、たまに会って話をする程度でしかなかった。

 ある意味、高志のレイラーの教育は健のレイラーに近かったのかも知れない。

 ノーセレクトだからノーマルとつきあえないというわけではないのだ。

 同じ境遇の仲間とは別に、ノーマルの普通の青年が当たり前に持っている友人がほしかったのだろう。

 わだかまりがなくなれば、持ち前のおしゃべりは明るさを伴う。

 先ほどまで悩んでいた護たちの話のひっかかりも忘れ去ったかのように、彼らの時代での出来事━━これは、健たちが不在の間のことだが、自分たちのある意味苦労話を矢継ぎ早に志乃に聞かせる高志の切り替えの早さは見事なものだった。



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