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 返事もモーションもなかった。

 護は、黙ってはじめを見返していただけだ。

「私もそれには同感だ。だが、君は間違いをおかした。なぜ実さんたちに閉ざしていたその口を、健さんにむけたのだ?」

 穏やかな問いかけに目を見開き、口を開いたのは隆宏たちのほうだった。

「言ったのか? 君は」

「なんてことをしたのよ」

 重なる声を制したのは、やはりはじめだ。

「私にはよくわからんが、実さん、健さんの足が動かないのは精神的なもの、と言ったな。やはりそのことが原因ではないのか?」

「多分な」

「だとしたら、やはり君は間違ったとしか思えないぞ。君たちが責任を取らなければならないことであって、健さんに言うべきことではなかっただろう」

 そのとき、ほんの僅かに護の口元が上がった。

 力が抜けたように背もたれに体を寄せる。

「……遠すぎれば細かいところは見えない。……あなたは所詮、その程度だ。理解していない」

「なんだと?」

「彼を引き寄せることなど不可能だ。彼はその場から動いてはいけない。動くのは……オレたちのほうだ。第一、彼のリーダーという立場は不可欠だ」

 無意識に、志乃と高志が顔を見合わせた。

 二人で眉を寄せ、首をかしげたところを見なくとも、誰一人、護の言っていることを理解していないのがわかる。

 いや、それ以前に矛盾しているではないか。

 そう言った隆宏に、護は最低限の首の動きで否定した。

「あたし……あんたがなにを言いたいのかわからない。……ねぇ、お願いだからわかるように言ってくれない?」

 それに答えるように、絵里に視線を向けて言った。

「彼はリーダーであってはいけない。それはオレたちの意識だ」

「それはわかるわ。はじめさんは、それを彼に言ったのが間違いだと指摘したのよ?」

「彼もまた、リーダーであることを放棄してもらわなければ……意味がない」

「わかんねぇよ。……全然わかんねぇ。俺のオツムが悪いのか?」

 護は、確かに訓練時からメンバーの中での成績は最高だった。

 実でさえ及ばなかったのである。

 しかし、考え方が柔軟な実は、自分の中の他人という感情の助けもあって、話をすることにかけては相手の程度に合わせることも可能だ。

 性格が穏やかで、真っ正直な隆宏は自分の気持ちを隠すことなく言葉にできる。

 口が達者な高志の場合は、喜怒哀楽の感情すら利用するように豊かな表現をする。

 今まで、必要なことすら口にすることがほとんどなかった護には、言葉を武器として使うことは困難だった。

 感情が芽生えても伝える術を、表情にも言葉にも含ませることが難しいのだ。

 どう言えば相手が理解するか、それすらも考えたことがなかった。

 わかってもらいたい、という思いすらなかったのだ。

 今、言葉にしなければならないのは確かだ。

 だが、健がなにを考えているか、どういう思いでいるかをメンバーに気づかせていいものかどうか。

 自分がどう思っているかを伝えていいのか。

 長い沈黙だった。

 また振り返る。

 食器棚に寄りかかり、腕を組んでいる実が護を見下ろしていた。

 彼にはある程度のことは話してある。

 すべてを理解したわけではないだろう。

 けれど彼ならば、あるいは余計なことを言えば止めてくれるかもしれない。

 健の寿命、本当は志乃もノーセレクトであったこと……それを悟られずにどこまで伝えられるか。

「ケンは……」

 ゆっくり体を戻し、右腕をテーブルに載せて、護は声も小さく言った。

「リーダーという立場でいなければならない。それは……彼にとって必要なものだ。けれど、その立場をオレたちに向けては意味はない。オレたちに対して、そして彼自身に対してリーダーであってはいけないんだ。……表に向けては、リーダーでなければならない。その肩書きを最大限に利用することがオレたちを守る盾となる。彼はその立場があるからこそ前面に立っていられる。メンバーにその盾を……」

と、言い淀む。

 物事をうまく表現できないもどかしい沈黙に、助け船が出たのは背後からだった。

「要するに、あいつはその盾をオレたちに見せているんだよ。これがあるから大丈夫だ、と言っているのさ。オレたちは、そいつをみて安心しているわけだ。それがはじめが言った、間違った守り方なのさ。オレたちが手作りした盾をあいつに持たせて、その勇姿にこっちが勝手に満悦していた、といえばわかるだろう?」

 実の頭がふと、廊下に続くドアに向いた。

 そこから続く庭の健を見透かすように目が遠い。

「本当ならば、あいつはその身一つでオレたちを守りたかったんだろう。なのにいきなり盾を持たされて、それで守ってくれといわれたのではな。……持たせた主犯格のオレには、今更返せとは言えないが……」

「向きを変えるだけでいいんだ。取り上げる必要はない。オレたちが彼の背後に近づけば、それはより強力になる。向きを間違えさえしなければ彼が見える。彼の……」

 望みは必ず叶う。

 言葉にならず、護は口を閉じた。

 叶えなければならない。メンバーの力で。

 護が自分の力でメンバーを導いていかなければならない。

 それが健への恩返しだ。

 思い返せば、健が一番、護に対して目指すべき方向を示してくれたのではなかったか。

 その事実に、護はほんの一ミリすら向こうとしなかった。

 自分の本音を突きつけられたとき、一度は健を恨みもした。

 同時、尊敬してもしきれないほどの彼の優しさを思い知った。

 健の優しさは残酷だ。

 なのに、そこから離れることを考えたくない。

 志乃の存在さえもメンバーの中に引き込み、遅れを取り戻すかのように包み込む彼を失いたくない。

 そんな思いが護の頬に一筋の涙となって伝ったとき、そこにいた全員が思わず腰を浮かせた。

「マ……モル? あんた……」

 思わず伸びた絵里の手を、護はそっと止めた。

 どうしたのかが見えない実が眉を寄せる。

「リーダーであっては……ならない。それを単に口にしたところで彼は納得できない。オレたちだけが意識を変えたところで空回りにしかならない。彼は……自分で気づかなければならないんだ。本来、どうしたかったのか……。自覚するためには、彼はまだ楽をしてはいけない。もっと追い込まなければ、自分を見つけられないまま迷うだけだ。彼を遠くに追いやった責任は、オレたちが彼に呼びかけて近づいていかなければ……ならない」

「……」

 やがて、絵里が疲れたような長いため息をついて、両手で顔を覆った。

 やりきれない、と髪をかきあげて隆宏が天井を仰ぐ。

「追い打ちをかけろ、というわけか……」

 呟いたのは高志だ。

「あたしたちにできるかしら……」

「具体的にどうすればいいのかわからないんじゃ……」

と、期待を込めて高志が護のほうに身を乗り出す。

「やめておけ」

 背後の実が高志に言った。

「こいつは誰に対しても容赦はないぞ。おまえたちもノーセレクトならば自力で答えを探せ」

「ちょ、ちょっと、俺は?」

 ノーマルだと信じ込んでいる志乃が慌てるのは当然だ。

 実が小馬鹿にしたように笑った。

「死にものぐるいで付き合うんだな」

「そ、そんな~」

「もっとも……。それほど深刻になる必要もないさ。言い出したのはこいつだ。率先して動く覚悟はあるだろう。おまえたちはそれを手本にすればいい」

 絵里が、顔を覆った指の隙間からチラッと護を覗いて、手を外した。

「そうね。あんたならば間違ったことはしないでしょう。頼りにしているわ」

と、ため息交じりに席を立つ。

「ごめんなさい。なんか疲れたわ。悪いけれど休ませてちょうだい」

 仲間を追い詰める……そんなことが容易にできるわけがない。

 小さな諍いは、それこそ何度もあった。

 気に入らないことを指摘したことも、表だって怒鳴ったことも数限りない。

 それでもこうして今、誰一人欠けることなく暮らしている。

 メンバー七人、志乃は仕方がないとしても、彼らは物心ついたときから常にノーセレクトという言葉を塗り重ねられてきたのだ。

 自分からではない。

 レイラーという他人からなのだ。

 ノーマルと同等に扱われなかった彼らの仲間意識は、故に彼らだけだのもので、その仲が壊れることはありえないのである。

 それは事実だ。

 事実だが、やはり簡単にできない。

 ノーマルがいくら傷つこうとどうなろうと彼らには関心はないし、どういう扱いを受けようが平然と受け止められるが、仲間に、健に、自分たちがなにを言える?

 自分たちが勝手に作った盾を押しつけて傷つけてきた健に、さらにダメージを与えようというのはやはり身勝手ではないか。

 そう思っても、どこか彼女は護の言葉に納得している。

 気持ちを整理させたかった。

 と同時に、やはりこの場から逃げたかった。

 明日になれば、家の解体が始まる。

 本部からの依頼を片付けるという日常をこなさなければならない。

 彼女の勝ち気なところだ。

 翌日まで重い気持ちを引きずりたくなかったのだろう。

 隆宏にすら顔を向けずに部屋を出て行ってしまった。


 


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