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 実は席につかず、食器棚に寄りかかり全員を見渡して、静かに言った。

「改めて確認をするぞ。はじめ、ケンがここを選んだ目的はおまえだな?」

 はじめは余計なことを言わないために黙って頷いた。

「おまえにマモルを任せる……。そう言われた、だったな」

 これにも頷く。

 初耳だった隆宏たちが口々にそうなのか? とはじめに念を押してきた。

 今度は相槌だけではすまされず、仕方なく口を開いた。

「私の生き様を見せてやってくれというのがあの人の頼みだよ」

「あなたの生き様……って……。どういう意味でのものなんだろう?」

 隆宏の問いかけに、はじめは彼らを一通り見回して、割れたテーブルが片付けられたダイニングのほうを流し見た。

「私はさっき、絵里さんにはっきり言ったはずだよ。健さんに決意させた原因をね」

「あたしに?」

 絵里が発言したのは、護に関するときだけだった。

 護が絵里たちを信頼しているからこそなにも言わなかった、ということか?

 彼女の無言の問いかけに、はじめが大きく頷く。

「君たちは意外だったのだろう? 健さんはそれを何度も目の当たりにしていたはずだ。そうでなければ他人に、私になど頼み事をするような男ではないんじゃないか?」

 確認をとったわけではなかったのだが、隆宏たちは考え込みもせずに一様に頷いた。

 はじめが、まるで護にだけ話しかけるように続ける。

「実さんのため以外に指一本でも動かさない。ほんの少しもその目に他のものを映さない。……健さんはそうであった護さんを見るのが好きだと言っていた。だが、実際はどうだ? 私には最初からこう見えていたよ。護さんが健さんの参謀なのだ、と。君たちのことを、君たち以上に把握しているから、自分のするべきことを全うできているのだ、とね。実さんだけを見ている護さんではできることじゃない」

 そして、さらに護に声を向けた。

「他に目を向けてしまったのなら誰かの力を借りて修正しなければならない。一途に誰かを見守り続け、そのためには自分の命すらためらいもなく捨てることができる……それがどれほど難しいことなのか。難しいながらも一度はそうだった君に戻さなければならない……」

 ここで、彼はフッと息をついた。

「……私は引き受けた。あの人は、そう仕向けることで私にどういう影響を与えたかなどわからないだろう。また、それを知ってはいけないのだと同時に思う」

「……それって……」

 志乃が目を見開いた。

 呆然と、はじめに向く。

「とんでもないことって……」

 はじめの口から、微かな笑いが漏れた。

「差し当たり、君が気づいてくれたことで少しは私の気も晴れるな。……そう、君たちは……いや、健さんは私の未来を口にしないといいながら、私に人生を突きつけてしまったのだよ。私はこれから先、護さんの見本になるような生き方をしなければならなくなった。そうなることを教えてしまった。……だが、それを別の角度から考えればこう言い換えることもできる。私には護さんを理解することができる、とな。そう思えばなにもかもが見えてくるものだ。さて……」

 テーブルに肘をつき、腕を組んではじめは改めて、護に言った。

「私は自分の人生を無駄にしたくはない。君には本道に戻ってもらうよ」

 言葉の内容とは裏腹に、はじめの声はあっさりとしたものだった。

 ようやく護が動いた。

 ただし、それは頭だけで、ゆっくりと二度、首が振られた。

「オレは誰の指示にも従わない」

 瞳の奥に揺らぎのない決意を含ませて答えると、予想していたらしく平然としているはじめを見返す。

「まして彼の……今のケンの言葉にだけは従うわけにはいかない。……ミノルにはオレが必要ではない。オレも……必要としていない」

 僅かに目を伏せる。

「ミノルは……オレを救ってくれた。それはいつまでも忘れない。感謝をしている。だが、それだけのことだ。オレの役目は……終わりだ。ミノルから……解放してもらう」

 見る間に青ざめた志乃が、顔を覆って言った。

「俺のせい? それって、俺がミノルを……」

「君には関わりはない」

「だって! 俺がいるから……」

「自惚れないでくれ。君の存在ごときで自分の意思を左右するものか」

 厳しい一言に、志乃が驚いて顔を上げる。

 護の表情は、だが言葉とは逆に穏やかだった。

「君の存在は僅かなきっかけでしかない。君を知る前から、いずれは言わなければならないと考えていた結果だ。……ずっと目を背けていた。……ミノルに自分の存在を認められることを望んでいたと気づいたときから……考えていたことだ」

「それは悪いことじゃないだろう? マモル、おまえにはおまえの思いがあっても当然じゃないか。それをオレたちも見てきたんだよ? だからアドバイスも喜んでしたんじゃないか」

と、言い聞かせたのは高志だ。

 確かに、志乃が同行する以前から、実と護の疎通が一方通行になっていたのを彼も感じていた。

 だからこそ、護が実と話ができるようにアドバイスをし、今のように多く発言できるようになったのだ。

 表情も、最初よりはるかに豊かになっている。

 だが、護はやはり首を振った。

「……シノの存在は、オレにとって逃げ道を作ってくれたようなものだ。ミノルが大事だ。それはオレの中では変えてはいけない想いには違いない。だからこそオレは君から……」

 底が見えないほど深い慈愛を含めた瞳が背後の実を捉えて、すぐに逸れた。

「離れたかった……」

「そんなのおかしいよ。大事なら今までどおりでいいじゃないか」

「今のままでは……」

「……」

「ミノルに対する……」

 言いよどんで一度閉じた唇は、言わなければなにも伝わらないことへの決意を持とうというものであったか。

 静かな表情が、また実に向いた。

「あなたに対する憎しみが増えるばかりだ。あなたは真奈美さんを殺した。あの日から、オレはずっと言い聞かせていたんだ。あなたを恨んではいけない……言い聞かせなければならなくなった……」

 そこにいた全員が、別々の想いを口にした。

「真奈美って……誰だ?」

と、疑問を口にしたのは高志で、絵里も隆宏も、そしてはじめも首を傾げる。

 驚いたのは志乃だ。

 実は……複雑な心境だったろう。

 高志たちに、自分から説明するように腰を曲げた。

「一年以上まえにトウキョウで発生した誘拐事件だよ。犯人はオオサカで同じ事件を起こしていた画家。マモルが選考してその家に入り込んでいたやつだ」

「あ、あのときの? 犯人親子を射殺した?」

 その画家こそ、過去に護を監禁し、犯していた相手だ。

 それを知っているのは実と、独自に調べた志乃だけだ。

 隆宏たちは、事件の犯人、そして真奈美とは、犯人とともに巻き添えで命を落とした一人娘、という認識しかなかった。

 結果的に、彼女と護が知り合いだったことを知ったのは、まさに今だと言える。

 どういう経緯で知り合っていたかを言うわけにはいかなかったため、実はすぐに護に問いかけた。

「オレを恨むほど……彼女を愛していたのか?」

 しかし、それにも護は首を振った。

 思い出を振り返るように護の瞳が揺れた。

「彼女は……叶わない夢を見ていた。実現するはずのないことを承知でオレは……約束を交わした。けれど、安易に考えてのことではなかった。今も……違えるつもりはない。彼女との約束がある限り、オレは誰とも結婚をするつもりは……ない。……ただ……それは愛情ではない。あくまでも彼女の夢だ」

「それなら……」

「タカシ」

 抑揚のない小さな呼びかけで、護は高志の言葉を遮った。



 

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