70
彼女はまっすぐ健たちの元に来ると、大きな音を立ててソファに座り込んだ。
「あの石頭! 一体どうしようというのよ!」
高志たちにはなるべく聞こえないように、だが、彼女は確かに怒りを抑えて怒鳴った。
「石頭……って……マモルのこと?」
「他に誰がいるのよ」
「なにが拗れているんだ?」
「拗れてなんかいないわ。先頭に立つのを拒否しているだけよ。あんなに融通が利かないとは思わなかったわよ」
と、彼女の視線が自然に実に向いた。
それを受けて立ち上がる。
「説得がオレに向いているとは思わないでくれよ」
「わかっているわ。今はあんたの言うこともきかないでしょうね。少し前まではあんたのことしか考えていなかったのに……。どうかしているわ」
だが、実が部屋を出る前に、隆宏がため息交じりに戻ってきた。
後ろには護もいる。
二人は、絵里と同様に健の周りに集まった。
背もたれに右手をついて、見上げる健を覗きこむように屈んだのは護だ。
「君に責任をとってもらう」
「せ、責任?」
「もちろん、リーダーとしてのフォローという意味合いではない。ケン、シノも連れて帰ってくれ。邪魔になる」
「ま、待てよ、マモル。代理の俺が邪魔だっていうのか?」
キッチンのテーブルから志乃が立ち上がった。
そちらを一瞥する護の髪がしなやかに揺れる。
頷いたのだ。
「そうだ。君が代理だから邪魔になる。ケン、君にはシノをリーダーにするという責任をとってもらう。代理という言葉を名実ともに外すように指導してくれ。ミノルはそのフォローをしてもらいたい。ここでの後始末はタカヒロに指示を任せる。……言っておくが、これは暫定的な命令ではない。オレは、シノがリーダーという自覚を持つまでは誰の指示にも従うつもりはない」
「おまえは……なにをするつもり?」
絵里が『石頭』と言ったのはこれのことか。
感情を一切含めず断定した言い方では、確かに彼女が怒るのもわかる。
「オレは……はじめさんの護衛として京都に同行する」
「いい加減にしなさいよ! ポイントはここにしかないと何度言えばわかるのよ!」
彼女の怒鳴り声が引き金になって、メンバーが好き勝手に言葉を発する光景など、今まで一度もなかった。
志乃は、自分が邪魔だと言われたことの不満を、そしてそれに反発し始めたのは高志だ。
彼がリーダーになることの、きっぱりとした拒絶だった。
今までも手放しで許してきたわけではない、と。
隆宏が小さな声で割って入ろうとしているが、これは恐らく止めようとしているらしい。
健はしばらくは黙って聞いていたが、とうとう我慢ができなくなったらしい。
両手を思い切りテーブルに叩きつけた。
「黙れっ!」
一喝が、一瞬にして沈黙を作る。
視線が集まった。
健は、片手で顔を覆って、呟くように口を開いた。
「オレが……戻るのは明日でいいのか?」
一変して小さくなった彼に、護が頷く。
その仕草を見ることなく健は続けた。
「マモル……どれほど時間をかけてもいい。言葉を出し惜しみするな。難しいことかもしれない。けれど、おまえならできると信じているよ」
「……わかった」
手を外し、健の視線が今度は隆宏に向いた。
「今回、マモルに任せるといったのはおまえだ。彼を信じていけるね? オレは、向こうで京都のポイントを増やしておくから」
隆宏は、彼が座っているソファの肘掛けに手をついた。
「そんなことは心配していないよ。君ならそうしてくれるのはわかっているんだ。オレが言いたいのは……」
「マモルに任せて。いいね?」
疲れた━━そんな表情が最後に実に向き、健の腕が伸びた。
「庭に連れて行ってくれないか」
「ああ」
実だけはあの騒ぎの中でなにも言わなかった。
仕事にも騒ぎにも興味を持たずに席を立つと、健を車イスに移す。
部屋から出るときに、護に耳打ちをした。
「こっちは任せろ」
「月見酒」
自分は飲めないくせにしっかり用意を調えて、ようやく実は健の横に腰をおろし、グラスに酒を注いで渡した。
この時代に来てから気分の上下が激しい健は、受け取ったグラスを両手に包み、揺れる液体に目を落としていたが、やがて風情のひとかけらも含まず一気に飲み干すと、なにも言わずに空を見上げた。
確かに、半月ほとの光が木々の隙間から見える。
「間違いだったかなぁ……」
と、空に呟く健の視線を追うように、実もまた月を見上げた。
「予定調和……なんだと」
「……マモルが?」
「ああ。すべてが間違っているわけじゃ、ないさ。むしろ今でよかったんじゃないか? ストレートにキッシュのところに行っていたら状況はもっと悪くなっていたかもしれないんだ。……昼間……」
風が、真上の枯れ葉をちぎり飛ばす。
流れる雲が、月に薄いベールをかぶせた。
「マモルから聞いた。おまえはリーダーでいていはいけないんだ」
「器じゃなかったんだな。やっぱり」
メンバーが集まった当初も、護は健に言ったのだ。
『君がリーダーと考えている限り、誰も君を信じない』
と。
日を重ねるうちに、少しずつ信じてくれてきたと思っていた。
自分自身にはいつまでも自信をつけることはできなかったが、それでもリーダーでいてもいいのだと……メンバーは認めてくれたのだと思っていた。
それがきっぱりと同じことを言われたのだ。
しかも護は、実から離れると言って追い打ちまでかけた。
自分の居場所が本当に彼らの元なのか……ここにいてはいけなかったのではないか……。
気持ちが沈む。
実は、いつの間にかイスの肘掛け越しに健の手を握っていた。
「おまえはリーダーという器に収まるには大きすぎたのさ。オレたちがおまえを小さな器に押し込めていたんだ」
「逆、じゃないのか?」
静かに、健の手からグラスが抜き取られる。
それに新しく酒を注ぎ、渡した。
「ばぁか。逆だったら誰がおまえについていくものか。知識もないしくだらないところで抜けている情けないおまえに、リーダーが勤まるわけがなかったんだよ」
今のはどう聞いてもバカにしているのではないか?
困ったように実を見下ろす健に、彼は笑った。
「おまえ、はじめにマモルを教育させるつもりだったらしいな」
「喋ってしまったのか?」
「無理やりにな。マモル……怒っていたぞ」
一口流し込んで、健のため息が漏れる。
「だろうね。だから言わなかったのに」
目的が知れてしまっては、護はもう、言うことなど聞くはずがないし無駄になってしまったことは確かだ。
となると、やはりここに来たこと自体、間違いになる。
結局……と健は呟いた。
「オレが現実を突きつけられただけか。……リーダー失格……」
ゆっくりと実が健を見上げる。
それに合わせるように健のほうは彼から顔を逸らした。
「面と向かって言われると……さすがに辛い……」
「いつまでもおまえは間が抜けているな。勘違いをするな。マモルはな、おまえの責任とオレたちの責任を分けているからそう言ったんだよ。おまえをリーダーにしてしまったのはオレたちだ。だからその責任を今度は自分たちで取らなければならない。……おまえにはおまえにしかできない責任がある。きっちり果たせとあいつは言っているんだ」
「……シノをリーダーにする責任、か……」
それこそきっぱり言い切っているではないか。
健では役にたたないから志乃をリーダーにしろ、と。
「それがすめばオレは必要がなくなるな」
やはり勘違いをしたままだ。
実は苦笑交じりに握っていた彼の手を叩くとその場に仰向けになった。
護がどういうつもりでいるのかを、実はおぼろげながら理解しているつもりだ。
志乃がこの間言ったとおり、護は誰よりも厳しい。
それこそ健よりも、だ。
ヒントや選択肢を与えて誘導する分、健のやり方は厳しいようでいて事実、優しいのである。
それに比べると、護は真っ暗闇の中からピンポイントの光すら自分で探せ、と言っているようなものだ。
けれど逆に言えば、護のやり方はメンバーを象徴している。
彼は紛れもなくメンバー最強のノーセレクトだ。
だから実は、健の落ち込むさまを見て口を閉ざした。
リーダーでは永遠に理解できないだろう謎かけも、健ならば理解する。
そう護に信じさせたのは、紛れもなく健自身の存在なのだから。
「ミノル」
時間をおいて、健の声が聞こえた。
実が半身を起こす。
「中の話を聞いてきてくれないか」
「オレに?」
「オレを一人にしてくれ」
判断に迷って、実は腰を浮かせたまま建物を振り返った。
ここに健一人を残すことが護の意向に沿うものなのかの判断がつかない。
メンバーの前では常に穏やかに、冷静でいようとする健の無理があるかぎり、今、ここでは実の存在が邪魔なのはわかるが、安易に戻っていいものかどうか。
「頼むよ」
動かない彼に、懇願するように繰り返した健を見上げ、実は今度こそ立ち上がった。




