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「これは俺の仕事なんだよ」

「いいから任せろ」

「あんたじゃダメだよ。俺がケンに怒られちまう」

「あいつが怖いのか?」

 脱衣所を兼ねた洗面所で言い合っていたものだから、志乃と実の声は必要以上に響いていた。

 そんなところでドアを開けた健が、驚いて足を止めたのも無理はない。

「な……何をしているんだ……こんなところで……」

 志乃は、実を抑え込むようにして振り返った。

「もう、こいつをなんとかしてくれよ。はじめのことは任せろって。俺の仕事を取り上げるつもりなんだよ」

 とうとう呼び捨てにされてしまったはじめは、健の後ろから顔を覗かせた。

 健が、眉を寄せて実の頭をコツン、と叩く。

「おまえには事情を説明すると言っただろう?」

「そんなものはあとでいい。その前に……」

 実が何をするつもりなのかは、健にも予想ができる。

「ダメ。なるべくならば、そんなことはしてほしくないな。とにかくこっちにおいで」

 怒るどころか、言い聞かせるような言葉だったが、態度はやはり頑なで、実に我を張る余裕を与えずに脱衣所から連れ出してしまった。

「すまない、はじめさん。ゆっくりしてください」

「おう。こっちだよ」

 邪魔がなくなったことで、ようやく志乃は自分の髪を縛るとはじめに手招きをした。

 はじめのほうは戸惑ったものの、背後の扉を閉められてしまっては入るしかなく、志乃がなんのつもりで残ったのかは知らないが、仕方なく視線を気にしながらも着物を脱いでいく。

 バスルームも、はじめには初めてのものだった。

 湯船は木でできているわけではなく、全体的に明るく、白い。

 おまけに、お湯には色までついていた。

 壁には四角いものが貼り付けてある。

「これは?」

 志乃が、給湯装置を指差されて唸った。

「あ~、えっと……。とりあえず、お湯を沸かすやつ、かな」

「?」

 これで湯を沸かす?

「こんなもので?」

 湯船に入りながら、はじめはそれをなぞり始めた。

 それから軽く手をかけて、動かそうと力を込める。

「壊れるよ。直してくれるの?」

 志乃が言った途端、手を離した。

 改めて浴室を見回す。

 窓はない。

 なのに、蒸気の圧迫感も感じない。

 見ると、天井にはライトの他に、格子状の網のようなものがついている。

 壁にも、妙なものが二つ、やはりくっついていた。

 今度はそちらに手を伸ばす。

 浴室を同じ色の、長細い筒だ。

「それはシャワー」

「シャ……」

 志乃の手がそれを取り上げて、根本のレバーを押し上げた。

 途端に、お湯が雨のように飛び出し、湯船の中に降り注ぐ。

「……ほう……」

 驚くと同時に、感心した。

 志乃が、レバー近くのスイッチを切り替える。

 今度はカランのほうからお湯が出てきた。

 それを手で掬い、はじめは志乃を見上げた。

「お湯、だな?」

「当たり前でしょ」

「……」

 はじめは驚いているのだ。

 しかし同時に、どう驚いていいのかがわからない。

 ただひたすら、珍しいとしか言えなかっただろう。

 自然、また黙ってしまった。

 肩まで湯船に浸かって、また視線だけを部屋中に巡らせる。

 志乃は湯船の縁に腰をかけて、浴槽で漂っているはじめの髪を軽くすくった。

「俺の髪より長いな」

と、自分の髪もすくいあげる。

 伺うような視線が志乃に向いた。

「白木さんはもっと短かったな。そういえば藤下さんたちもだ。あれでは髷も結えんだろう?」

「マゲ?」

「知らないのか?」

 志乃は体をねじ曲げるようにはじめを見下ろして笑った。

「スペイン、って国、知ってる?」

「は? それくらいは聞いたことがあるが?」

「俺はそこで生まれ育った。だからあんたたちのことはほとんど知らないんだよ」

 嘘のないごまかしは健の得意技だ。

 志乃も最近、それが自然にできるようになってきている。

 はじめはまじまじと志乃を見上げ、自分なりに妙に納得をしたようだ。

 やはり、健たちは異国の人間だったのだ、と。

 それならば目の前に映る、何もかもが頷ける。

 昔からある程度の外国文化が入っていたから、先程の、酒を注いだ器も、スペインから持ち込んだものだろうと、さほど追求することもなかった。

 本来、考えようによっては、根本的なところから疑問をもたなくてはいけないのだ。

 鎖国をしているはずのこの国で、大っぴらに異国にいた日本人が出歩いていていいはずがない、ということを。

 しかし、はじめにはそこまでの疑問も興味もなかったらしい。

 だから、

「なるほどな」

と、勝手に思い込み、結論付けてしまった。

『湯加減はどう?』

 そのとき、唐突に壁から声が聞こえ、はじめは、今度こそ心底おどろいたようだ。

 思わず立ち上がる。

 勢いで、志乃の服が派手に濡れてしまった。

「うわっ!」

『どうした?』

「い、いや、なんでもねぇよ。はじめも落ち着けって」

「なっ……どこから……」

 浴室に声が反響したから、どこから聞こえたのかがわからない。

 志乃は給湯装置のほうに声をかけた。

「ケン、ちょうどいいよ。ただ、驚かせるな。あとでスピーカーの説明をしてくれよ」

『ごめん。食事の支度がしてあるからキッチンのほうに来てほしいんだ』

「オッケー」

 ずっと中腰のまま、志乃がむいているほうを凝視していたはじめは、それきりおとなしくなった方向から、呆然と志乃に顔を戻した。

 ゆっくりと、また座り直す。

 それでも、警戒するように視線が何度か、そちらに動いた。

「……つまり……私にはわからないもの……だな?」

「まあ、な。ケンなら教えてくれるさ」

 また、彼に聞け、か。

 この連中は、無責任に発言しておいて、すべてを健に押し付けているようにしか思えない。

「はじめ、そこから出てくれ。体洗ってやるから」

 えっ? と志乃を見上げて目を丸くしたが、慌てて彼は視線を逸らした。

「いっ、いい。自分で……」

「何言ってるの。ボディソープやシャンプーを知らないんだろ? あんたを磨くのが俺の仕事なんだよ」

 シャンプーのポンプ部分を指で引っかけて持ち上げながらはじめに翳していたが、それでも湯船を出ようとしない彼に、ため息をついた。

「のぼせるよ。別に俺は構わないけどさ。ぶっ倒れてから洗おうか?」

 それは、志乃の本音だ。

 今さら、実以外に食指が動くわけではないが、あからさまに嫌がられるより、意識のないうちに洗ってしまったほうが楽だというのは確かだった。

 はじめのほうが諦めるしかないのだ。



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