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 板橋の宿場までの約束だったから、そこでかなり遅めの食事をした。

 始終不機嫌だったのは、今回は健一人だけだ。

 それも当然だろう。

 まさに荷物扱いをされたようなものだったからだ。

 足の感覚がないということは、背中にしがみつくには腕の力だけが頼りになる。

 そのため、健は帯で腰のところを、背負ったほうと結びつけられていたのだ。

 それが永倉から原田、そして沖田に交代するたびに同じように固定された。

 荷物を背負って歩く、という以外に表現ができない扱いをされていたわけだ。

 その代わり、実が彼らと会話を交わしていた。

 饒舌だったわけではないが、彼には珍しく相手に合わせる辛抱強さをみせていた。

 道場の面々は、酒が入っていようといまいと関係なく賑やかで、実にとっては話半分で呆れていたところもあっただろう。

 だが、会話が成立していた最大の理由は、彼らが主に自分たちのことしか喋らなかったからだ。

 健たちのことを根掘り葉掘り聞かれていたら、到底我慢ができなかっただろう。

 宿場から家までははじめが背負うというので、彼らはそこで別れた。

 その際に、はじめは今度こそ京都に行くという。

 もっとも、あと三日ほどは健の家に滞在するというから、そのあとのことだ。

 それでも、原田たちからすればここが最後だ。

 この時代では簡単に他の土地にいけるほど自由ではなかったから、彼らにしてみれば、あるいは今生の別れになるかもしれないらしい。

 しんみりすることはなかったが、あっさりしすぎることもなく挨拶を交わして帰路についた彼らを見送って、健たちはようやく家に帰り着いた。

 志乃と護は庭にいた。

 実がいなかったことを、護は精神訓練の中止の理由にしなかったらしい。

 リビングで待っていたのは隆宏一人だ。

 健は、彼がいたことには驚かなかったが、仕事はどうしたのかと聞いたのは、ここに帰り着くまでに散々、道場の連中からからかわれていた反動だったのかもしれない。

「君が外泊するから心配でさ」

と、笑いながら隆宏が言う。

 結局、ここでも威厳を取り戻すことはできなかった。

 もっとも、本当のことではあったがそれほど深刻でなかったのも確かだ。

 彼が残っていたのは、夜になって実たちが探しに出ないように監視していたのと、朝になって戻ってきたら帰るつもりでいた程度の理由しかない。

 実際、一日庭にいた志乃が、夜になっても戻らない健を心配するあまり、実たちに場違いの指示を与えて外に出ようとしていた。

 彼にすればリーダー代理としての職務であり、間違ってはいなかったのだが、それをさせないために隆宏は、この時代の社会形態まで志乃に説明しなければならなかったのである。

 ブレスレットで連絡がとれない。

 ナビゲーションがあるわけではないし地図すらない。

 志乃たち三人が足を運んだ最大の距離は街道に出るまでの林の中までだ。

 健たちが向かったのはその街道の東京寄り、宿場町の反対方向となれば、街灯もない田舎道を迷いなく行けるわけがないし、第一交通手段がない。

 ただ出て行けば迷子どころか遭難するのがおちだ……と、訥々と説明し、少なくとも行き先だけはわかっているのだから、健のことだ、事情があって戻れなかったのだろうと落ち着かせたのである。

 隆宏にたったひとつの不安があったとしたら、実が心配のあまり暴走しないかということだった。

 彼が暴走したら隆宏には止められない。

 それで、いつまでもリビングから離れない彼を、夜中過ぎまで見張っていたのである。

 しかし、最終的には眠気には勝てず、また、実が意外にも落ち着き払って促したため、絵里が使っていた部屋に引っ込んだ。

 朝になってはじめだけが戻ってきたと起こすまで、実がとうとう一睡もせずにただソファに座っていたことを知った隆宏は、むしろ驚いたのが実情だ。

 実とはじめが道場に向かったあとの隆宏は、志乃と護を起こし、簡単に事情を説明して本部に一度戻った。

 実と打ち合わせをした上での行動であり、その結果を実に伝えるためにまた戻ってきて、健たちが帰るのを待っていたのである。

 健は、威厳を取り戻し損ねた会話のあとで、とりあえずソファに寝かされた。

 その側にはじめを残し、隆宏は実を廊下に連れ出した。

「トシさんに聞いてきたよ。彼にも症状に心当たりがないって言っていた。少なくとも、今の病気で出てくる症状じゃないって」

「と、なると……やっぱり一度戻さなければダメか……」

 簡単な医療器具と薬しか持ってきていないため、精密検査ができない。

 護の抜糸のために滞在期間を延ばしたのなら、せめて健と自分だけでも一度、戻った方がいいかもしれないと実が言う。

 隆宏が、それを手をかざすことで止めた。

「あのね……続きがあるんだ。ちょっと言いにくいことなんだけれど」

 言いながら廊下の壁に寄りかかる。

「トシさん……まったく心当たりがないわけじゃないとも言っていたんだよ」

「けれど……」

 今しがた、わからないと言ったばかりではないか。

 隆宏は一度、しっかりと頷いた。

「貧血の症状としては前例がないのは本当。けれど別の面から言えばあり得ない症状じゃないらしいんだ」

「別の面?」

「精神的なもの。神経症状と考えればあり得ないことじゃないって」

「……そう……か……」

 それなら心当たりがあるどころの話ではない。

 むしろ、症状が出ないほうがおかしかった、といえないか。

 実は壁に片手をついて視線を流したが、やがて決心したように顔を上げた。

「……わかった。確かにそう考えた方が理解しやすい。少し様子を見てみよう」

「ただ……どうもオレは納得できないんだよね。精神的な、ということは何かあったの? と疑いたくなるんだけれど?」

「あるから症状が出ているんだろう。あいつはこっちに来てから柄にもなく悩みっぱなしだ」

「そうなの? そんなふうには見えなかったけれど?」

 実は横目で隆宏を見て、肩をすくめた。

「見えなかったんじゃなく、見せなかったことが原因だ」

「……そうか。オレはここの滞在時間が短かったから。……でも一体、何を悩んでいるんだ?」

と向き直った途端、コツンと額を叩かれた。

「知るものか。あいつがオレたちに言うわけがないじゃないか」

 わかりきったことを聞くなということだ。

 それもそうか、と呟いたものの、隆宏はやはり肩を落として、

「少しくらい……頼ってくれてもいいのにね」

と、いつか諦めてしまっていた愚痴が口をついても仕方がないだろう。

 二人とも自然に黙ってしまったが、少ししてふと、隆宏が顔を上げた。

「ねえ、確か……精神治療って……原因がわからなければ治しようがないんじゃない? ケンが何も言わない限りあの足……動かないままということ?」

「そうなるな」

「そ……そんなあっさり答えなくても……。もしそうなら聞き出さないと……」

 実が意味ありげに口元を上げた。

 それを悟った隆宏は、

「ああ……君なら催眠術という手があるか……」

と納得したが、

「それは無理だ」

と即答した実に眉を寄せた。

「無理って? 君なら簡単だろう?」

「他の奴ならな。ケンの精神力は並のものじゃない。暗示はかけられても催眠術は効かないよ」

「それじゃ、やっぱり聞き出せないということじゃないか。ケンをあのままにしておくつもり?」

「まさか」

 隆宏は、髪に手を突っ込んでため息をついた。

「君の意地悪はこの際控えてほしいな。何か方法があるのなら教えてくれよ」

「意地悪とは心外だな。簡単なことじゃないか。聞けばいいんだ」

「彼が言うわけないって、君が言ったんだよ?」

「ああ。あいつは言わないさ。知っている奴から聞き出すんだよ」

 実の指が、自分の背後にあるドアを指し示した。

「……はじめさん……? 彼が知っていると?」

「そうみるべきだろうな。はじめに会ってから落ち込み始めたんだ。目的があってここに来てあの状態だとしたら知らないはずがない……と……思わないか?」

「目的って……指輪のテストと好奇心……」

 語尾が弱まり、隆宏は小さく唸った。

「……だけだったら……一人で来ていたか……。……マモルが関係していたわけだ」

 最初、彼だけに話をしていたということから、隆宏は判断した。

 考えてみれば、本部で話し合ったとき、隆宏たちに無理強いはしていなかったのだ。

「それならマモルが知っているんじゃない? 彼なら君に隠さないと思うけれど?」

 しかし実は首を振った。

「マモルも、どうしてケンがここを選んだのかを知らないんだ。……これは憶測なんだが、ケンはマモルに何かを示唆したかったんじゃないか? そのためにはこの時代か、新撰組か、……あるいははじめ個人が必要だった……」

「……ありうるね。そう考える方がケンらしいかな」

「ただ……そういう見当をつけたからといって悩みがわかるわけがない。原因がそれだけかも判断がつかない」

「それではじめさん、か。確かに、彼なら聞き出しやすいだろうね」

 はじめならば悩みの内容を知っている。

 実は、今日まで彼と接してきて会話や仕草、表情で推理し、確信をもったはずだ。

 それならば、こちらは実に任せればいい。

 隆宏は、寄りかかっていた壁から勢いをつけて離れた。

「オレ、玲さんに治療を頼んでおくよ」

「ここにいることは言うなよ」

「わかっているって。じゃ、このまま帰るから。……と……忘れるところだった。車イスを運んでおいたよ。ケンの部屋に入れてあるから使ってよ。じゃあね」

 健が取り敢えず無事に戻ってきたこともあってか、隆宏はあっさり手を振って帰っていった。



 

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