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 走りっぱなしだった馬が止まったのは、一つの家の前だった。

 まず、はじめが馬から降り、健をあとに従えて中にはいる。

 表札もないそこをぐるりと見回して、健は黙ってついていった。

 玄関は広いたたきになっていて、はじめがそこで大声を張り上げる。

「ごめんください! お邪魔しますよ!」

 そう言ったあと、外に出る。

 健は、てっきりかれが家に戻ったものと思っていた。

 だから、『ただいま』ではなく『おじゃまします』と言いながらも遠慮もなく裏に回り込もうとする彼に、

「ここ……どこ?」

と尋ねたのも不自然ではなかった。

 はじめが振り返りながらにっこり笑い、耳打ちをする。

「目的のところより、こっちのほうが近いからな」

 思わせ振りだがそれきりだった。

 裏庭に回ると人が一人、箒で落ち葉をはいていた。

「井上さん、こんにちは」

 井上と呼ばれたひとは、その声に驚いて振り返った。

「斎藤さん……あんた、まだ江戸にいたのかい?」

と、箒を放り投げて走りよってくる。

 その後ろの健の姿にさらに驚いたようだ。

「……この方は……?」

「うん、少々事情がありましてね。いますか?」

 健がきょとんとしながらも頭を下げる。

 井上もそれに合わせて挨拶をしながら呆然と言った。

「トシさん以外ならそろっているよ。それよりあんた……」

「……知り合いの家……」

 健の英語の呟きが井上をまた驚かせた。

「異人さんかい? えらいの連れてきたね。大丈夫か?」

「なんとかね。ちょっとお邪魔しますよ」

 はじめは、小声で井上になにやら囁くと、懐に入れていた金の袋をそのまま渡した。

「頼みます」

「そりゃいいが……まあ、こっちは助かるがねぇ」

 小柄で人のよさそうな中年の男という感じの井上の肩を叩いて、はじめは目配せをした。

「こっちだ」

「ちょっと待ってくれよ。ここはどこなんだ」

「いいから」

と、半ば強引に腕を取ると、引っ張るように道場に連れていった。

 板張りの道場のなかは、広くもなく狭くもなく、と言ったところか。

 そこでは、竹刀の音はしていなかった。

 ただ、何人かの話し声が聞こえる。

 健は、場違いなところに来たことに、入り口ではじめの手を振り払った。

「はじめさん、あなたの知り合いならそれでもいいけれど、オレを連れ込むことはないだろう? 単なる遠乗りじゃなかったのか?」

 極力抑えた声が、道場の男たちの注意を引いた。

 一斉に振り返る。

「うおっ! 斎藤! おまえ江戸から逃げたんじゃないのかよ」

「後ろの、誰っ!」

「異人じゃねぇか」

と、ほとんど同時に声がかかった。

 その輪の中心には見たことがある男が、口をあんぐり開けて健を見ている。

「……近藤さん……じゃ、ここは……」

「そうだよ、健さん。君も知っているのだろう? 会わせてやろうと思ってな」

 健は口を抑えて小刻みに震えて俯いたが、いきなり声をあらげた。

「彼に会いたかったわけじゃない! こんなことをされても迷惑なんだよ!」

「迷惑だろうがうさを晴らす方法が二つしか思い付かなかったのでな」

「それならもう一つのほうに行けばいいじゃないか!」

「ほう……」

 意味ありげに口元を緩め、健の耳元に近寄る。

「岡場所で女遊びのほうがよかったか?」

「……!」

 場所が場所だけに照れたのか、それとも怒りのためか、健は顔を赤くして逸らした。

「私はどっちでもよかったがな。こっちのほうが近かったから連れてきたんだ。せっかくだから付き合え」

「冗談じゃない!」

「斎藤、あんたこいつの言葉がわかるのか?」

 どやどやと集まってきた三人のうちの一人がそういう。

 はじめは、きょとんとして彼のほうを見たが、すぐに、

「ああ……うっかりしていた」

と、健に向き直った。

「君の声を聞き流していた。ここでは普通にしゃべってくれないか。いちいち通訳をしていられない」

「強引に連れてきて勝手なことを言うね」

 完全に機嫌を損ねてしまったようだ。

 しかし、はじめは動じなかった。

「怒鳴るくらいの元気が出たじゃないか。なにも馴れ合ってほしくて連れてきたわけじゃないよ。今日は実さんに、なにをしても許すと言われたからね。鍛えてやろうと思っていた」

「だから、それが余計なお世話なんだってば」

 相変わらず英語を話す健の頭を、はじめは軽く抑えた。

「普通に話しなさい。……この人は永倉新八さんだ」

と、さっさと紹介してしまう。

 一番手近にいた、体ががっしりした男だ。

「次が原田佐之助。そっちが藤堂平助で、……向こうにいるのが……」

「もういいってば! 帰る!」

 踵を返した健の腕を、はじめは逃すことなく掴んだ。

「今の君では迷子になるだけだぞ。帰り道を知っているのか?」

「……」

 気が沈んだまま馬を走らせていたから、道のすべてを覚えていたわけではないのは確かだ。

 悔しそうに足を止めた健は、もう彼らのほうを見ようともしなかった。

「近藤さんは知っているとして、もう一人が沖田総司さんと山南啓助さんだ」

 六人もの名前を聞いた途端、健は目を見張ってようやくゆっくり、彼らを見回した。

 新撰組主要メンバーが勢揃いではないか。

 はじめのことを調べたときに、一通りのメンバーの名前を覚えてきたが、まさかそのほとんどがここにいるとは思わなかった。

「それじゃ……トシさんというのは……土方さん……か。……井上さんまで……」

「井上さんまで知っているのか?」

 健は、恨みがましくはじめを睨んだ。

「人が落ち込んでいるときにこんなところに連れてきて……」

「健さん、何度も言わせるな。普通に喋ってくれ」

「嫌だよ。大体、オレのことは秘密にしてくれと頼んだじゃないか」

 はじめが含み笑いを浮かべる。

「そうだったかな?」

ととぼけたが、すぐにまた耳打ちをした。

「この人たちを見てみろ。私たちの会話が成り立っていることが不思議だろうな。なんなら、この耳のことを喋ってもいいんだぞ」

「ず、ずるいよ」

「そう思うのなら普通に話せ。こっちはこれのせいで昨日は振り回されたからな。うまい言い訳をするんだな」

 まるで実のような意地の悪い脅しだ。

 健は頭をかき回しながら一度、大きく叫んだ。

「ああっ、もうっ!」

 やがて、呆然と二人を見ていた連中を一通り見回して、健は意を決したように近藤に向き直って、深く会釈をした。

「失礼いたしました。白木健と申します」

 完全な日本語に、近藤は呆然としたままの表情で、しかし姿勢を正して会釈をした。


 


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