53
無言で歩く健と平行して、はじめは空を仰いだ。
いわし雲がゆっくりと流れている。
風はさほど強くもなく、肌寒いが心地がいい。
「少しは気分が落ち着いたかね?」
林を抜けるまでは健は早足で、まるで家から早く遠ざかりたいという思いで歩いているようだったが、街道に出てから急に速度が落ちたため、聞いたのだ。
健は彼のほうを見なかった。
口もきかない。
ただ、ますます歩く早さは落ちて、とうとう道の真ん中で止まってしまった。
「健……さん?」
前髪を、引きちぎるかと思うほど掴んだまま、悔しそうに顔を歪めている。
肩が震えていた。
「こんなところで立ち止まるな。こっちに来い」
はじめは、強引に片方の腕を引っ張ると山際の木の陰に連れていった。
肩を押し込んで座らせる。
その脇に立って、はじめは木に腕をついて寄りかかった。
「どうしてそこまで我慢するのか、私には理解ができないよ。護さんに言われたことがそんなに悔しいのなら言い返せばよかったじゃないか。大将だと認めてもらえない原因のひとつは、君のその意気地のなさじゃないのか?」
「……」
「怒ることもできずに大将の威厳があるものか。情けない」
「……そうだよ」
小さな声がやっと耳に入った。
見下ろした先に、健の、遠くを見つめる姿があった。
「情けないよ……。できることなら自分を破壊したいくらいだ」
「自分を? いや、私が言ったのはそうじゃなくて……」
「違わない。あなたの言うとおりだよ。自分に腹を立てても何もできない。……情けないじゃないか」
「は? 護さんに、じゃないのか?」
はじめは、斜めに向かい合うように腰をおろした。
体が小さく震えているのが見えたからまた泣いているのかと思ったが、そうではないようだ。
体が震えるほど自分に腹を立てているということか。
なぜ、メンバーに矛先が向かわないのかが理解できない。
「大将と認められなかったことを自分で甘受しているのか? 実力がないと認めてしまったのか? だとしたら尚更情けないじゃないか。どうせなら……」
「違う……。あなたはマモルの言葉を誤解している……。あれが彼の本心だったからこそ……オレは自分を許せないんだ」
「だから、言われたことを認めたからだろう?」
何が違うのかが、やはりはじめにはわからなかった。
受け取りかたが違っているとは思えないのだ。
健は膝を立てて顔を埋めたが、しばらくすると足を投げ出して、木の幹に頭を寄りかけた。
「……昔の……ことだよ」
と、唐突に話はじめる。
なんのことかと首をかしげたはじめを見ようとせず、健は続けた。
まだ彼がレイラーの元で訓練をしていた頃だという。
その日、彼は知り合いの家に遊びに行っていたそうだ。
その家の近所に強盗が入った。
何時間かの籠城の末に捕まった。
「……でも、そんな事件のことなんて知らなかった。……夕方になって家に帰るときにそこを通りかかって、初めてなにかがあったことに気がついたんだ」
犯人は護送されるところだった。
辺りには野次馬が大勢いたが、健はまったく興味を持つことはなかったという。
騒ぎの元を避けて行きすぎた頃、犯人が抵抗して逃げ出したようだが、それすらも気がつかなかった。
「でも、送ってくれた知り合いは若い頃、刑事だったから……」
「刑事?」
健は、ようやくはじめに目を向けて、息をつきながらまた俯いた。
「ここでいう奉行所の役人……かな」
「ああ。……それで?」
促す彼に、健は続けた。
「年で思うように体が動かなかったくせに……犯人を止めようとしたらしいんだよ。飛びかかって……。でも、昔ほど力があったわけじゃない。必死に抵抗されて……。そのときに他の刑事が……発砲したんだ」
「発砲……」
「……その弾は犯人じゃなくて……」
「もしかして、君の知り合いに当たったのか?」
ぎこちなく健が頷く。
いくら一般市民が加勢した挙げ句の危険な状況だったとはいえ、警察官には容易な発砲はできないはずなのだ。
「肩を掠めただけだったけれど、その発砲で野次馬が逃げ出した。犯人はその隙をついて、逃げ遅れた一人の女性を人質にしてまた、別の家に籠城したんだ。……キッシュが……その知り合いが肩から血を流してうめいているのを見たのが……最後の記憶だった。あとは覚えていないんだ。ただ、はっきりしていたのは、ケガ人が俺にとって大事なひとだったことと……」
言いながら、彼は頭を抑えた。
そうすることで当時のことを思い出そうとしているように。
「まるで……水が引いていくように何も感じなくなったこと、かな」
「……」
「自分がどこにいるのか気がついたのは翌日のことだよ。家でただ座っていた。全身が血だらけだったよ。でも、どこもケガをしていなくて……。何があったのかを思い出そうとしたけれど、ダメだった。レイラーが帰ってくるまで、ずっと一人でいたんだ」
「育て親のことか。その人はどこに行っていたのだ?」
「オレの代わりに事情を聞いていたみたいだよ。取り調べのようなものだね。帰ってきたレイラーは……なんか、オレに怯えていたような感じだった。だから気になって聞いたんだ。キッシュは無事だったのか、オレは何をやったのか……」
はじめはようやく、これが今朝の話の具体的な出来事なんだと気がついた。
あれほど小声で話していてもやはり聞こえていたのだ。
しかし、なぜ唐突に告白するのかがわからずに、黙って促す。
「最初に怒られた。キッシュやレイラーが教えていたことを理解できていないって。でも、そのあとで詳しく教えてくれた」
「何を……した?」
「キッシュは……オレの変化がはっきりわかったんだって。……まるで生き物じゃないように表情が消えて……犯人の立てこもった家に飛び込んで行ったらしい。それから……犯人が脅しをかけるひまもなく……手錠をかけたままの手首を……」
健は、まるでその時の感触が残っているかのように自分の手を握りしめた。
「噛みちぎった……」
「まさか……不可能だ!」
思わず自分の手首を見下ろしながら、はじめが声を張り上げる。
「……女性の悲鳴のあとから刑事たちが突入してきたとき、オレは……腕までももぎ取ろうとしていたらしい。実際、肘の部分の関節が完全に外れていたそうだよ。警官たちに止められて、それでもオレは……キッシュにケガを負わせた警官を殺そうとしていたらしいんだ。首を絞めた指が皮膚を突き抜けていたって。……その警官は亡くなった……と聞いた」
結局、大勢に押さえつけられて警察に連行されるところをキッシュがとりなして、レイラー・楠木哲郎に連絡をとったあと、家に連れていかれたと聞いたと言う。
弱々しい声が続いた。
「オレが本気で怒ると、それだけの力で他人を傷つけてしまうんだ。自分の記憶がなくなるほどの怒りが表にでてしまう……」
信じられない、と呟きながらはじめは思わず顔を逸らした。
素手でそこまでできるのだろうか。
そんな力が人間にあるものなのか?
健は膝を立てて肘をつきながらはじめに顔を向けた。
「レイラーたちが何を教えていたのか、痛感したよ。何があっても他人を怒ってはいけないんだって。……彼らと一緒になったころにね、勝手な彼らに腹を立てることが多かったんだ。そのたびに不安にさせていた。……リーダーが仲間をそんな気持ちにさせていいはずないよ。特にミノルが他人の感情をまともに受けてしまうとわかってから……絶対に彼らに自分の感情を見せてはいけないと思ったんだ」
「だが……」
小さな反論を、健は聞き流すように遮った。
「彼らに腹を立てるのはオレに責任があるんだ。オレが自分を押し付けようとするから、思い通りにならない彼らに怒るんだ。……だから……最終的な原因はオレにある。彼らは……悪くない。そう思わなければ、オレは自分を失くして彼らを壊してしまう……」
「なんて……ことを……」
メンバーに会う前から押さえ込まれた教育をされていては、自分ならとっくの昔に破滅している。
自分に責任を持つのはいい。
しかし、メンバーすべての責任すらその身に閉じ込めて、よく今まで我慢していられたものだ。
「……間違っている……」
はじめは、いいようのない憤りを感じて思わず言い捨てた。
健が僅かに眉を寄せる。
「そんなこと、間違っている。なぜ君だけが我慢しなければならないんだ。どうして抑えなければならない? 大将だからか? そんなことが理由になるか。そうやって一人だけで抱え込むのなら大将など……」
突然、言葉が途切れた。
口を開いたまま動きが止まる。
健が頷いた。
「わかっただろう? あれはマモルの本心なんだ」
「……」
呆然と、はじめは肩をおとした。
自分が今、言おうとしたことと護が言ったことにほとんど違いはなかったではないか。
違うところがあるとしたら……。
“何が違う?”
あのとき、護がどういう言い方をしたのか正確に思い出そうとしたが、はじめには難しかった。
たかが二、三日の内に詰め込みすぎていたのだ。
話が前後してしまっている。
だが、確かに護は言った。
『リーダーだと思っていない』
……いや、リーダーのままでいてはいけないと言い換えた。
護は、健をリーダーとして認めてしまっていたから……。
“今はもう……と言ったのか”
リーダーのままでいてはいけない。
だからやめてしまえ。
「私の言葉と……繋がるが……」
ポツリと呟いて、はじめは頭をかき回しながら仰向けに倒れた。
護が言いたかったのは、もっと深い意味を含んだところではないだろうか。
健が落ち込んでいるのは、リーダーと認めていないと言った護が、実より健のことを考えたから?
そう聞き取ったからか?
その様子を健は何気に見ていたが、また沈んだ瞳を他に向けて黙り込んだ。




