表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/79

50

 二人が目を向けると、驚いたように立ち止まった実が見えた。

「おまえ……今度はここにいたのか?」

「ミノル……なにか?」

「ああ……ミルクを温めようと思ってな」

「座っていてください。私が作りますから」

「いや。いい」

 中腰になった彼女を言葉で止めて、実はさっさと冷蔵庫を開けた。

 ミルクを鍋に移し、火をつける。

 それを見守る夕子の視線を感じながら食器棚を開けたとき、彼はカップを取ろうとする手を止めた。

 手を伸ばしたまま小さく呼び掛ける。

「ユウコ……すまないが……」

「はい?」

 返事をしたものの、こちらを見ない実の様子に、彼女はまた腰をあげた。

「部屋に戻りますね。後片付けは明日やりますからそのままにしておいてください」

と、さっさと出ていってしまった。

 あっけにとられてはじめが見ている中、ようやく実はカップを取り出した。

 白い陶器のマグカップだ。

「色が……決まっているんだ」

 唐突に実が言った。

「は?」

 カップをはじめの目の前にかざす。

「これはケンの色。ユウコには……あいつの姿を見せたくないからな」

「……そんなにひどいのか?」

「おまえ、あいつになにを言ったんだ? 前にも落ち込んだことはあったがそれよりひどい」

 沸騰しかかった鍋の火を止めて、実はテーブルに近づくと問い詰めるように手をついた。

 はじめが苦笑する。

「勝手に責任を押し付けられても迷惑だよ。私ごときがなにか言ったところで影響があるものか」

「……ならばマモルか……」

 それなら仕方がないと言いたげに頭を振ると、温まったミルクをカップに移した。

 ソーサーとスプーンをトレイに乗せて、カップをその上に重ね、実は一度それをテーブルにおいた。

「もう部屋に戻ったらどうだ? 話し相手はいないぞ」

「そうだな。君が戻ってくるのなら待っている価値はあるが……どうだ?」

 実の口元に笑みが浮かんだ。

「今度はオレに興味を持ったか?」

「君だけじゃない。健さんのおかげでな。無理やり興味を持たされたよ。だから、別れるまでに聞けることは聞いておこうと思ってな」

 訝しげに眉を寄せたものの、実はすぐに、

「ケンの目的はそれか」

と言った。

「おまえに興味を植え付けてどうしたいんだか……。まあ、そういうことなら自分の部屋で待っていろ」

 慣れた手つきでトレイを持つと、彼ははじめを促して共に二階に上がっていった。

 健の様子を見せないためか、先にはじめを部屋に戻らせる。

 はじめはライトをつけて、部屋の真ん中に設置してあるソファに腰を下ろした。

 およそ五分ほどだったろう。

 軽いノックと共に実が入ってきた。

 手に、トレイに乗せた水を持っていた。

「待たせたな。いったい何を聞きたいんだ?」

 トレイをテーブルに置いて、ソファに収まるなりに尋ねる。

 はじめは、肘掛けに手をついて寄りかかった。

「なに、大したことじゃない。夕子さんとの話の途中だったからな。君以上に好きになった相手を聞き損なっていたところだ」

「マモルだろう?」

「その前」

 ポカンと口を開いた実は、だがすぐに笑いだした。

「彼女も今さらなんの話をしていたんだか……。そんなことに興味があるのか?」

「だから大したことじゃないと言ったろう。思えば、夕子さんはずっとあそこに篭っているじゃないか。話し相手もなくて気の毒だと思ってな」

 実はひとしきり笑っていたが、急に黙りこむと右の耳に手を当てて顔を伏せた。

「……確かに……。寂しい想いをさせているかもしれないな。おまえにケイゴの話をするとは思わなかった」

「ケイゴ……というのか」

「シノの親友さ。オレたちが殺した……相手だ」

「なっ……」

 言葉を詰まらせたはじめに、実は鼻で笑って背もたれに肘をついた。

「別に驚くことじゃない。たまたまターゲットが……標的がケイゴだっただけのことだ。シノは元々、親友の仇討ちのために近づいてきたんだ」

「……夕子さんは……好いていた相手を君たちに殺されたわけか……」

 肘をついたまま、実は窓のほうに顔を向けた。

「オレたちに、だな」

 言葉に想いを含めて呟く。

 直接撃ったのが夕子だったことも、彼女がメンバーに隠れて圭吾と会っていたことも、そして、二人の関係を知らなかったことも言い訳にするつもりはなかった。

 どういう言い方をしても、彼女の愛情を壊したのは事実であり、その間接的な原因が実にあるのもまた、事実だからだ。

「そう、か……。夕子さんも気の毒だな。まだ忘れられないと言っていたぞ。護さんのことは仲間として好いているとな」

 しんみりとした声が、静かな部屋に響いた。

 実もまた同様に感じていたのだろう。

「そうかもしれないな。けれど少なくとも忘れはじめてはいるんじゃないか? 最初の頃は、ケイゴの名を出しただけで泣いていたからな」

 確かに先程の彼女の表情からも、涙は見せなかったもののまだ思いが残っているようにはじめにも感じられた。

 彼女との会話を思い出し、はじめはふいに、クスッと笑った。

「そういえば君たちはどうなんだ? 夕子さんに言わせると理想だということだが?」

 はじめとて普通の男だ。

 いくら剣術に重きを置いてもまるきり女性に興味がないわけではない。

 それが、男同士という違和感もなく聞いた不自然さに気づいていないのは、健や夕子があまりにも当たり前に口にしていたからだろう。

 しかも、聞かれた当の実すら平然としている。

「さあな。そう見えるのなら理想なんじゃないか? オレには自分の気持ちなんてわからない。他人が判断しているとおりなんだろうさ。……けれど……」

 窓に向いたまま、目を閉じる。

 自虐的な笑みを口元に浮かべて続けた。

「自分で認めるのが……未だに怖いのかもな」

「怖い? のか?」

「わからない。どれが自分の本音なのか……。怖いと思うこと自体、他人の感情かもしれないからな」

 小さく息をついて、彼ははじめに向き直った。

「あいつが同じノーセレクトでなければこんな思いはなかったことは確かなんだが……」

という彼の言葉尻に、はじめが目を剥いた。

「ちょっと待て。同じだと? 志乃さんは違うと……」

「あいつには言っていないからな。ケンとマモルと、オレしか知らないことだ。……余計なことは言うなよ」

 はじめは、やりきれないと言ったように顔を押さえてため息をついた。

「つまり……志乃さんも天才、ということじゃないか。……なんてことだ。教えればそれだけ私は追い抜かれるのか?」

「それはない」

「だが……」

「ありえないんだよ。あいつは自分がノーセレクトだと思っていない。それが心理的な枷になっている限り、その辺の奴らと変わらない。あいつも少し考えればわかることなんだが、頭から普通だと決めかかっているからな。それが、心身ともに限界を作っているんだ」

 しばらくの沈黙は、はじめ自身が考えを整理しているからか。

 やがて、

「教えてやるつもりはないのか?」

と、伺うように問いかけた。

 実が、小さく頭を振る。

「ケンのやりかたはな……ギリギリのところまでは誘導するが答えは自分で見つけろ、ということさ。なにもかも他人に教えられたところで身に付くものじゃない。苦労して手に入れてこその実力だとは思わないか?」

 その言葉は、さすがにはじめを呆れさせたようだ。

 首をすくめて言い捨てる。

「君たちが言える立場かね」

 それに対して、実もまた、違いないと笑った。

「けれど、ひとつ言っておく。オレたちにとって、この能力は迷惑なんだよ。……ノーセレクトという一言で、オレたちは世間とは隔離されているんだ」

 言いながら、彼は自分の腰からスティックを抜き出してはじめに見せた。

「どうしてオレたちが武器を携帯していると思う? ……格闘術だって普通は必要がない。どうして身に付けている?」

「……わからんな」

「必要なものや環境は確かに国から援助されているさ。金だって自由に使えるし後ろ楯という権力もある。けれど実情は……自分の身は自分で守れ……なのさ。そのための訓練であって、逆にいえば、そこで死んだらおしまいだ。使い捨ての実験材料でしかない。こんな能力が、他人に羨ましいと見えるんだから……皮肉だよ」

 それから、実ははじめの視線から逃げるように目を伏せてスティックをベルトに納めた。

「シノにはオレたちのような思いをしてほしくないと、……ケンは考えている。シノ自身がノーセレクトと自覚してしまえば、オレたちと運命を共にする以外の選択肢はない。いくら気持ちが萎えたとはいっても、あくまでもオレたちは仇でなければならないんだ。ユウコのためにも、ケイゴのためにもな。だから……」

 寂しそうにはじめを見返す。

 はっきりと自覚していなくとも、志乃への愛情は確かに実に存在しているのだから。

 それでも、先のことを考えたら彼もまた、仇を討たれる立場であることを忘れてはならない。

 そういう複雑な表情だった。

「ギリギリまでは誘導しても、シノには真実は教えない。自分で気づくか、知らないままに過ごすか……それがシノの自由だ。オレたちが押し付けるものじゃない」

「……」

 ソファに深く身を沈め、はじめはしげしげと実を見返していたが、天井に視線を逃がして小さく言った。

「まともだよ。……君は。……こんなにも正直じゃないか。健さんのように言いたいことを回りくどく誘導することがない。護さんのように黙り込むこともない。君はまともだよ」

 言いながら、彼は勢いをつけて上体を起こした。

「さて、そろそろ寝るとするか。付き合わせてしまってすまないな」

「もういいのか?」

「ああ。まだ日はある。私なりに興味を満足させるさ。一度に詰め込む必要もあるまい」

「なんだ……」

 実は、ポケットから小さなプラスチックの箱を取り出して、軽く放りあげてから手の中におさめた。

「必要なかったな」

「? なんだ? それは」

 手の中の箱を、水が乗ったトレイに置いて腰をあげる。

「おまえが下らない話をするようなら手っ取り早く眠らせようと思ったのさ。睡眠薬だよ」

「睡眠薬?」

 よく見ると、箱の中には小さなピンク色の錠剤が一粒入っていた。

「これを飲むと眠くなるのか?」

「飲み慣れていないやつならてきめんに効くぞ。試してみるか?」

 箱を取り上げて、耳元でカラカラと音をたてたはじめは、実の申し出に苦笑混じりに箱を戻した。

「今朝のように起きられなくなりそうだからな。やめておこう」

「なら、オレが飲んでおくか……」

 言いながらも、しかし箱から出すことなく薬はポケットにおさまった。

「寝られないのか?」

 軽く笑って、実は部屋を出る間際に振り返った。

「オレは神経質なんだ。ところ構わず寝られるほど図太くはない」

「……よくもまぁ……そうやって皮肉が言えるものだ」

「皮肉だと思わなければいいじゃないか。おまえが寝ぼけて女と間違えなければオレだって言わないしな」

 途端に顔を赤くして、はじめが頭を抱える。

「あ、あれは……」

「そうか……今朝の女のことを聞くという手もあったな」

「そ、底意地が悪いぞ。元はと言えば君が……」

「一途に考えている女性がいるのか?」

と畳み掛ける。

「いるわけないだろうっ! 剣術だけで手一杯だ!」

「なら欲求不満になっても仕方がないが。だからと言って男に手を出すのは頷けないぞ」

「だっ、だからそれは!」

「別にオレは構わないが、それなりの体制を整えてから誘ってくれ」

「みっ、実さん! いい加減に怒るぞ!」

 完全にからかっている。

 言いたいことをずけずけと言って笑った実は、だがドアを閉める前に、真顔で言った。

「嫌なら明日はちゃんと起きろよ。今度は……」

と、すぐに意地の悪い笑みを浮かべる。

「ベッドから放り投げて起こしてやるからな」

 そして、反論する間も与えずに、実はドアを閉めた。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ