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 残った健が、もう一度頭を下げる。

「本当に申し訳ありませんでした。大切なものを折ってしまったことをお詫びします」

と、拾い上げていた刀を差し出した。

 この暗さではもう、切っ先のほうを見つけるのは困難だった。

 受け取ったものの、はじめは苦笑するしかなかっただろう。

 折れた部分を一瞥して鞘に収めた。

「あの男はすごいな。あんな短い刃物でこれを折るとはね。だが、君が気に病むことはない。私もまだまだ……そういうことだ。……それよりも……」

 はじめが辺りを見回した。

 というより、護がいた場所に目を落とす。

 健もまた、その視線を追ってスティックを見つけると、拾い上げてスイッチを切った。

 護の分と、自分が貸したものをベルトにしまう。

「これを見ても……あなたは驚かないんですね」

「あの男の姿に、最初に驚いたからな」

 そのわりに、平然としていたようだが……。

 着物や羽織、袴など、健たちは着るつもりがなかった。

 あくまでも自分たちのスタイルのまま、過去にきたのだ。

 それが特別変わっていたわけではない、というのが隆宏のレクチャーだったからだが、一週間近く、この道を行き交う人を見ていて、誰一人洋装に出会わなかった。

 まして外人ならともかく、日本人の洋装がいるはずがない。

 だから、護が姿を見せるたびに誰もが怯んで、逃げるように立ち去ったのだ。

 この辺りでは、健たちの姿は異国人とイコールだった。

「どこに行かれるつもりでした?」

 健は、空を見上げて尋ねた。

 坂を登ってきたということは、この先は北に向かうしかない。

 彼の家がどこにあるのかまでは確認できていなかったが、僅かな資料が本当ならば、『小石川』はここよりも南だったはずだ。

 だとしたら、隆宏が言っていたとおり、このまま西に行くつもりだったのかもしれない。

 はじめもまた、空を仰いで返した。

「逃げているんですよ」

「……は?」

「江戸にいられなくなった。……さっきの男が言ったとおり、私は人を一人、斬ってしまった。京に知人がいるんでね。そこに逃げる途中でした。……あの男に言われたとき、仇討ちかと思ったよ。それにしては身内が姿を見せない……」

「そうでしたか……」

 京都に行った理由は逃避行、か。

「残念だな」

 時として、健は思ったことを無意識に口にする。

 確かにそれらしいことは隆宏の調査で判明していたことであり、健たちもここに長く滞在するつもりもなかった。

 だが、はじめが逃げているとなると、恐らく手配は回り始めている。

 いつまで引き留めておけるか……。

「残念とは?」

 はじめは、耳に入ってしまった言葉を聞き返した。

「いえ。……多分、時期が悪かったんだと……」

 しかし、今を逃したらまた探すのに時間がかかる。

 時間的、場所的距離は問題はないが、さすがに京都でまたポイントを作るのは手間だ。

「とりあえず、今日はオレたちの家にいらしてください」

 それでも、今でなければならなかったのも確かなのだ。

 気を取り直し、健は微笑んだ。

「……そうですね。話がおありだというのなら邪魔をさせていただこう」

 健の穏やかさや優しい微笑みは、柔らかい物腰とともに、すでにはじめから警戒心を取り去っていた。

 何より、足止めをされた今、もう宿場にははいれない。

 申し出がなければ野宿しかないのだ。

 志乃たちが消えた方向……道を外れ、林に入り込みながら、健は言った。

「オレは白木健といいます」

「白木さん、ですか。私に向かった『まもる』……というのは?」

「藤下護。オレたちの中では、彼以上の腕を持つものはいません。それでも……あなたには敵わなかった……」

 おや、とはじめは首をかしげた。

「君は私を抑えられると言わなかったか?」

 少しの沈黙があった。

 が、すぐに健が口を開く。

「……ええ。抑えられます。けれど、それだけです。本気になることがオレにはできない。できることと言えば、攻撃をかわして、抑えるだけです」

「かわせる、か。大した自信だ」

 もう、人の顔も判別できないほど暗くなっていたから、声で判断するしかなかったが、恐らく健は恐縮していたのだろう。

 それとも、言われた言葉が恥ずかしかったか……。

「一応……彼らをまとめている身ですから。口先だけでもそう言わなければ……見本にならない」

「なるほどな。君は大将か」

 軽い笑いが響いた。

“だが……それにしては弱々しい……。情けない大将、ということか”

 本音はそちらだったろう。

 口先だけ……わかる気がする。

「ミノルの言動を許してください。彼にはあなたに会う目的を話していません。きっと、彼はあなたに敵意をもっている。こちらが仕掛けたということも、あなたにとって正当な反撃だったことも彼には通用しない。どうか、彼の態度を我慢してください」

「姓はなんと?」

「黒沢……実」

「もう一人いたな?」

「万里村志乃といいます。あとは家に女性が一人。極端な人見知りです。あなたに失礼があると思います。オレのほうから先にお詫びを……」

 草を踏む音がピタリと止まった。

 健が、振り返る。

「どうも具合が悪いな。白木さん、だったな?」

「? 私は家を継ぐような身分でも、城勤めができる家に生まれたわけでもない。付き合っていた連中のせいにするつもりはないが、そこまで堅苦しく言われる身分じゃないよ。もう少し砕けてくれなければ、肩がこる」

 暗闇に、クスッという含み笑いが聞こえた。

「そうでしたね。できる限り改めます。あなたもどうか、オレを名で呼んでください」

 それきり、会話は続かなかった。

 尚も奥に進むと、一気に林が開けて、そこには大きな家が建っていた。

「ほう……こんなところに……」

 見たこともない建物の形のはずだ。

 少なくとも、はじめが洋式の建物を見ていなければ。

「仮住まいです。必要がなくなり次第、壊します」

「壊す?」

 家からの光は明るく、蝋燭や油の、儚げな揺らめきが感じられない。

 障子がないどころか、薄い布が、透明なガラスの向こうに見える。

 その明かりに、健の表情が浮かんだ。

 申し訳なさそうな、頼りない笑顔だ。

 そして……どこか哀愁を含む……。

「この辺りはバクフ直轄の場所だと聞いています。オレたちは不法侵入者なんですよ」

 一瞬見えた、寂しげな瞳は、僅かに冗談を込めた光に変わった。

「そういうことか。しかし……もったいない」

「必要があれば他で使いますよ。次は……キョウト、かな」

 京、と聞いて、さすがに冗談だと思ったのだろう。

 はじめが声を上げて笑う。

「その言い方だと、私を追って来そうだな」

 対して、健は当然のように頷いた。

「そのつもりです。さあ、どうぞ」



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