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同じように隣にきた護に、どこか違う雰囲気を感じたのは健だ。
「部屋に戻ったほうがよくないか?」
考えてみれば、午後に志乃の指導から戻ってから疲れていたのだ。
「邪魔に……なるか?」
「まさか。ただおまえも酒を止められただろう? 退屈だよ?」
禁酒は、もちろん志乃と同様で体に影響があるからだ。
熱が籠ってしまい、傷に響く。
しかし、護は、実がいなくなったからとでもいうように、自分のグラスを引き寄せて勝手に酒を注いでしまった。
これもまた、見たことがない行動だ。
「マモル……」
「君に……」
注いだまま手をつけようとはせず、また、一言の後を続けることもなく、彼は昼間と同様に健に寄りかかった。
「参ったな」
グラスを持ったまま動けずに、健は頭だけを背もたれに乗せた。
「こんな状態を見せつけられてもまだ、オレは放っておかなければならないのか?」
返事はなかった。
はじめが腰をあげる。
「私は部屋に戻ったほうがよさそうだな」
「……なぜ?」
やっと聞こえるほどの小さな問いかけだった。
「なぜ? 私は邪魔だろう?」
やはり返事がない。
「いてもいいのか? それともいたほうがいいのか?」
ひたすら見つめる瞳に、はじめがまた座り直す。
「できればはっきり言ってもらいたいものだ。私を実さんと同じように扱ってもらっても困る」
しかし、それにも返事をせず、やがて健から離れるとようやくグラスに口をつけた。
どこか決心したように、それから健に向き直る。
「君の許可がほしい」
「許可? なんだろう?」
「オレを……ミノルから解放してほしい」
「なっ……」
迷いを吹っ切ったような瞳に、健は言葉を詰まらせて顔を逸らした。
まさか、こんなタイミングで言われると思っていなかったのだ。
恐らく、護はそのことを心に留めていたのだろう。
今日の午後からの様子を考えれば、容易に想像できたはずではないか。
いや、それ以前からだ。
実だけを見ていた彼の目が、他に向きはじめていたのを感じていたから、はじめに頼みにきた矢先だったのだから。
「シ……シノが……いるから、もう自分は必要がないと……?」
そう。
健が護の変化を感じ始めたのはその頃からだった。
しかし、護は首を振り、
「違う」
とキッパリ言った。
「君に……あなたに近づきたい。そのためには彼に縛られるわけにはいかない」
「……そんな……」
「オレは彼の傍にいるべきではない。むしろ、彼が邪魔になる」
「ま、待って……くれよ……」
健は、両手で頭を抱えてうずくまった。
「こ……まるよ……それじゃ……。なんのために……オレはなんのために……」
なんのためにこんなところにまで来て、頼みたくもない相手に自分の不本意なことを託さなければならなかったのか……。
はじめには、健の心の声がはっきり聞こえるようだった。
だからだろう。
彼の醜態にも見える姿に思わず笑った。
「は、はじめさん……?」
「あ……すまん。つい……」
ひとしきり笑ったところで、はじめは護に問いかけた。
「君が同席を許したから聞いてしまったが、私には疑問なんだ」
「……」
返事はなかったが小さな首の動きに、はじめは自分の顎をなでて続けた。
「君の目標がどこにあるのか……見えないんだが?」
「……?」
言っている意味がわからなかったらしい。
はじめは居ずまいを正し、改めて護に聞いた。
「つまり、健さんに近づくと言ったが、それが目標だとしたらずいぶん浅いな、と思ってな。どうせなら超えてみせろと言いたくなる。第一、この人の何に近づきたいのかが漠然としている。はっきりしない目標を掲げただけで実さんと離れたいと言ったところで、大将である健さんが許すものかな?」
「今はもう……リーダーだとは思っていない。あなたは……リーダーのままでいてはいけないんだ」
最初ははじめに、後半は健に言った。
「目標が浅いというのは間違いだ。……オレは……いや、オレたち全員があなたに近づかなければならない。超えてはいけないんだ。……それ以前に超えられるはずがない。だが、あなたがリーダーでいる限り、誰もあなたに近づけない」
はっきりと決心したのだろう。
護は迷いのない表情を健に向けていた。
「誰かが手本を見せなければならないならば……オレが最初にミノルから離れる。あなたに最初に近づく。ケン……リーダーではなくあなたから許可を……」
「やめてくれ……頼むから……」
力なく護を遮ると、健は体を震わせて耳を塞いだ。
「もう……やめてくれ……」
あるいは決定的な言葉だったのではないだろうか。
誰とも顔を合わせることなく、弱々しく立ち上がりそのままふらりと外に出ていってしまった。
彼の後ろ姿を見ながら、はじめはため息まじりに思った。
健自身、元からリーダーの器ではないと漏らしていたではないか。
自信を持ったことがないと言っていたのに、それを、こともあろうに護に言われてしまったのだ。
恐らく、護は別の意味を含んで言ったはずだ。
けれど、健がどう捉えたか、あの姿では明らかだ。
タイミングが悪すぎる。
同じように、健が出ていったほうを見ていた護は、だが心配する素振りもなくグラスの酒を飲み干した。
「少々酷な言いようではなかったか?」
はじめはボトルを取り上げ、護のグラスに注ぎ足した。
「……」
「あの人にとっては、君が実さんから離れることは不本意だったはずだ。なぜなのかはわかっているのだろう?」
二杯目を一口含んで、独り言のように呟く。
「ミノルのためでなければ……オレの存在意義がない……」
「ならば、もうひとつの本音は知っているか?」
「?」
はじめは、それを言うことを迷わなかった。
健が秘密にしておきたいのだということは承知している。
しかし、彼が一人で背負っていい問題ではないはずだ。
何より、本音を隠したままでは護に真意が伝わるわけがない。
「健さんは君に憎まれなければならないんだ。かつての実さんの育て親のようにね。あの人の病気の原因は実さんだ。つまり、君があの人を手にかけなければ君たちは救われないそうだ。いや。それ以前に、健さんは病に負けるまえに君の手にかかることを望んでいる」
少しだけ、護の口元が緩んだ。
これは、微笑んでいるのだろうか。
「知って……いた。だが、それは彼の本当の望みではない」
「違う? というのか?」
持っているグラスから、護の視線が流れた。
健が出ていった窓の向こうに。
「……今までも……これからもオレにとって彼は尊敬すべき存在だ。だからこそ……不本意でもミノルから解放してもらいたかった」
「理由がわからなければ、健さんはずっと落ち込んだままだぞ? 実さんから離れることや、君がなぜ大将だと認めないのか説明してやろうとは思わないか?」
「説明……?」
「そうだ。あの人に近づくという具体的な理由はなんだ? なぜ大将でいてはいけない? そのために実さんから解放されることにどんな関連性がある? 君の真意がまるでみえないじゃないか」
はじめに視線が戻る。
「無意味だ。……そんなことは……」
「無意味だと?」




