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「エ……エリに頼まれてたんだ……」
打撲や打ち身で湿布薬を身体中に貼っている志乃が、夕食の席についたとき、腰を抑えて誰にともなく言った。
「それ……」
と示したのは、健とはじめの前に置かれた酒だ。
「食後のあとまで……おあずけだよ」
「わ、私もか?」
「食ったあとなら好きなだけいいってさ。見張り役を……イテテ……頼まれたから」
志乃は、夕子に下げちゃってと手振りで示した。
絵里も怒れば怖いのだ。
実のような嫌みや皮肉ではなく、正当な説教が矢継ぎ早に出てきて、反論する隙も与えない。
ここで志乃が見逃せば、ばれたときに健だけではなく、監督していた彼までがターゲットになる。
それが、健やはじめの体を気遣った思いやりなのだ。
多少の未練はあったが、まったくの禁酒ではないと、はじめはグラスを夕子に渡した。
それからすぐに食事になったのだが、志乃にとって全身の痛みなど、自分の口をふさぐ妨げにはならないようだ。
さすがに、絵里がいたときほどしゃべらなかったものの、実を相手に先程の反省会を開いていた。
実は面倒そうに受け答えていたものの、はなから見放すこともなかった。
結局、護がなにもしゃべらなかっただけで、賑やかな食事だったことには違いない。
そのまま今度はリビングに集まって、ようやくテーブルに酒が用意された。
ただ、健と実はあとから入ってきた。
志乃も護もまったく下戸だったわけではないが、筋肉痛とケガ人では当然禁酒だ。
はじめは、酒飲み相手が戻るのをまっていたようなものだった。
二人が席につくなり、健のほうがはじめに頭を下げた。
「ごめん。あと四日だけ付き合ってくれないか」
「それは構わないが、ずいぶん中途半端だな」
どうやら健たちはそのことを話し合っていたらしい。
「戻る準備にそれだけ必要なんだよ。……だからシノ、それまでは稽古をつけてもらってもいいけれど、彼の行為に甘えているだけだということを自覚しておいてくれ。マモルは引き受けたシノのフォローを続けてほしい。ミノルは、はじめさんの迷惑にならない指導をしてくれ」
健がリーダーだと言う証明なのだろう。
引き締まった表情から発せられた言葉に、三人は三様の。だが真剣に受け止めた返事をした。
「はじめさん、本当に迷惑をかけてごめん。シノの稽古なんて、余計なことを押し付けたようなものだよ」
はじめは、冷酒の入ったグラスを取り、首をすくめた。
「これも成り行きだろう。なに、道場では日常だ。そう思えば迷惑なものか。君が気にすることじゃない」
実が健のグラスに酒を注いで渡す。
そのときだ。
軽いノックが聞こえた。
ドアが開いて姿を見せたのは……。
「こんばんは」
隆宏だった。
彼は当然のように入ってきて、やはり自然にソファの手前、実の脇の床に座った。
「おまえ、仕事は?」
「いやだな、ケン。来た早々に催促?」
「飲むか? タカヒロ」
実がボトルを取り上げる。
それを見上げて一杯だけ、と言ったとき、その向こうの姿に気がついた。
「マモル、どうしたんだ? その腕……」
昼にここから戻るとき、護の部屋にいた絵里を呼び出したものの、中には入らずにそのまま二人で本部に帰ってしまったため、まったく気がつかなかった。
どうせ彼自身からの答えがないのはわかっている。
単に話題を振っただけだったが、はじめがなにか言いたそうに口を開いた途端、タカヒロはすべて理解できた。
「なるほどね。やっぱりシミュレーション不足だったか」
「シ……? ミ? ……ヨ?」
ケガの原因を言おうとしたはじめは、難しすぎる単語をうまく言えずに、途切れた質問をした。
すかさず隆宏が補足する。
「模擬体験だよ。……と言ってもそれ自体わからないか。……えっと……どう言えばいいのかな」
実の対面にいた健も言葉を探していたらしく、説明するのに間があった。
「そうだ、ね……。相手を想定した道具があるんだ。それで練習をしていたんだよ。けれど、あなたは想定以上だったということだね」
とりあえず納得したのか、はじめは笑った。
「それは違うだろう。約束事に縛られていたのではなかったか?」
確か、初日の健の説明ではそう言っていたはずだ。
「約束事?」
と隆宏が健を見上げる。
が、すぐに思い当たったらしくはじめに目を移した。
「そういえば、聞いた気がする。でもね、はじめさん。それは要因のひとつでしかないんだよ。それを言ったらオレたちは仕事をする上で約束事だらけだ。条件つきのものが多いからね」
隆宏ははじめと、ケガをした護に言い聞かせるように続けた。
「だから、そういうことじゃなくて根本的に強さを比較できる資料がなかったということなんだ。たとえば、はじめさんは銃を知っている? 鉄砲のこと」
「それくらいはな。見たことはないが」
「うん。じゃ、その威力がどれくらいかなんて想像がつかないよね」
即座に頷く。
「それを自分なりに解釈して練習したところで、実際によけられるかと言えば……難しいんじゃないかな。つまり、オレたちはあなたを過小評価していたということだね。多分、この時代の武士はオレたちの想像以上に強い人が多いんだと思う。ここで生き残れるとしたら……マモルとケンの二人くらいじゃないか? あとはまとめて一刀両断、とかさ」
「ちょっと……待ってくれよ……」
口を挟んだ志乃は、途端に辛そうに腰を抑えた。
「イテ……じゃ……俺はどうなるの……」
「君までどうしたの?」
「はじめから格闘を……教わってた。……無駄なのかよ?」
気の毒そうに笑ったものの、隆宏はあっさり否定した。
「はじめさんに教わっているのならオレたちのところでは充分通用するよ。こっちでの相手は組織だったプロばかりじゃないからね。……あ、そうだ」
ようやくここに来た目的を思い出したらしい。
「シノ、今回オレが手掛けているのは警察からの捜査協力だ。君たちが戻るまでには片付くと思うけれど、一応報告しておくよ」
「な、なんで俺に?」
「君がリーダー代理だろう? 報告書はオレが野々宮さんに作らせるけれど、構わない?」
「それなら……任せるよ。他に不便なことはない?」
「今のところは大丈夫。それじゃ……」
一杯だけの酒を飲み干すと、隆宏はさっさと腰をあげた。
「みんなも欲しいものはない?」
「タカヒロ、医務室から冷感シップと冷却スプレーにアイスパックを持ってきてくれ」
誰のためにと実が言わなくても、使う相手が隆宏にはすぐにわかった。
クスクス笑いながら了解の意味で頷く。
「明日でもいい?」
「ああ」
「じゃ、帰るよ。はじめさん、またね」
昼間と同様、ゆっくりすることなく彼は出ていった。




