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 午後になって、志乃ははじめに稽古をつけてもらい始めた。

 隆宏が絵里を連れて帰るまで、彼は護の部屋で、実も交えて夕べの復習をしていたのだという。

 それだけ志乃は真剣だった。

 絵里がいなくなった今、今度は護も庭に出て、座ったまま指示に回る。

 想像以上に護は容赦がなかった。

 声を荒げることはなかったが、志乃の動きの細かいところまで目を光らせ、休むひまも与えない。

 相手であるはじめは竹刀を持っていたから、志乃は打たれて倒れることがあまりにも多かった。

 いい加減、志乃が音をあげたころ、一緒に座っていた実もまた、護に声をかけた。

「おまえも少し休め」

「……」

 僅かに表情を和らげることで護は了解して腰をあげる。

 無言で家に入っていった。

 中では、健がソファに座ったまま稽古の様子を見ていたが、戻ってきた護に、労いながらアイスコーヒーを入れて出す。

「怒られるのでは……ないのか?」

 こういう何気ない気遣いすら、実には気に入らない行為なのだ。

 彼は、庭に目を向けて口元に指を立てた。

「おまえが黙っていればわからないよ」

 実はこちらに背を向けて志乃に話しかけている。

 だからこそできたことなのだ。

 苦笑混じりの健の口調は、まるで親に隠れて悪さをする子供のようだった。

「ありがとう」

 素直に受け取って、護はどういうつもりか健の隣に腰をおろした。

 彼があまり人と接触したがらないことをわかっている健は、意外に思いながら少し距離をあけて座り直したが、

「少し……いいか?」

という呟きとともに肩に頭を乗せられて動きを止めた。

 はじめてのことだった。

「疲れたか? マモル」

 内心戸惑いながらも小声で問いかけた健に、小さな首の動きで返事をする。

 それきりだったが、しばらくすると今度は深いため息が聞こえ、肩が軽くなった。

 コーヒーを飲むためなのか、護が離れたのだ。

 しかし、グラスは口をつけられる前にテーブルに置かれた。

 そのまま、前のめりに右手で顔を覆う。

「大丈夫……か?」

 声だけをかける健に、そのまままた頷く。

 くぐもった声が聞こえた。

「ケン……君は……覚えているか? 初めて……本部に集まったときのことを……」

「え? まあ、一応は……。それがどうかしたか?」

「オレは最近……キャップの言葉をよく……思い出すんだ。今まで考えたこともなかった。……けれど……今、だからこそ……」

「なんのことだ?」

 二年も前の話だが、彼らが本部の司令室で初めて顔を合わせたときのことを、健も忘れたことはなかった。

 あのころの会話や司令の話の一言一句を覚えているわけではなかったが、さほど重要なことだったとも思えない。

 どちらかというと、会ってすぐに仕事を命ぜられ、まだ性格もわからない彼らをどうやってまとめたらいいのかを迷っていた。

 そのときの情けない自分を思い出すばかりだ。

 護はそれ以上、なにも言わなかった。

 待っていればあるいは話したかもしれない。

 けれど、はじめと実が戻ってきてしまって、結局続きを聞くことはできなかった。

「おつかれさま」

 深いため息とともに、今度は背もたれに頭を乗せた護を気にしながらも、健は二人を労う。

 ただし、今度は言葉だけだ。

 実もまた護を一瞥したが、なにも言わずにはじめと自分にお茶を用意した。

「シノは動けないのかな?」

「しばらくあそこで休みたいんだと。やる気だけは充実しているようだな」

「はじめさん、あなたの稽古にならないね。大丈夫?」

 はじめは楽しんでいるように笑った。

「それなりだ。気にするな。それよりも護さんはどうなんだ?」

 聞いていないのか、護の反応がない。

 実が代弁した。

「こいつの場合は喋り疲れているだけだ。適当に手を抜けばいいのに真面目すぎるのさ」

 僅かに、本当にわらないほど護の表情が和らいだ。

 気づいたのは目の前にいたはじめだけだった。

“ほう……”

 健の言ったとおりだ。

 なんとも儚い……。

 今にも消えてしまいそうなほど静かな中に、想いの全てが込められているほど優しい光が瞳に浮いている。

 見られていることに気づいたのか視線が動き、護は再び頭を背もたれに乗せた。

 しかしすぐに健に寄りかかる。

「お、おい、大丈夫なのか?」

 誰かに寄りかかることのない行為だったからこそ実は慌てて腰を浮かせた。

 それを制したのは健だ。

 実に、目を伏せることで座るように指示した。

「喋り疲れたのは確かなようだね」

 言いながら一度、首を横に振る。

 それだけで実には漠然と理解ができたようだ。

 構うな、という健の合図だ。

 彼が事情を知っている。

 それならば任せておけばいい。

「ケン……。ちょっと聞くが……」

 話を変えた実の声が低くなった。

「なに?」

「おまえ、ユウコに酒を買ってくる約束をしたそうだな?」

 途端に、健は気まずく顔を逸らした。

 はじめの食事のあと、ほとんど休みなく志乃が稽古をせがんだため、このままでいけばごまかせると思ったらしい。

 まさか、今になって蒸し返されるとは思わなかった。

 そして、健のいつもの詰めの甘さは、夕子に買い物のことを口止めし忘れたことだ。

 本当に、普段の彼はどこまでも情けなく、どこか抜けている。

 まるでわざと怒られるようにしているのではないかと思うときがあるほどだ。

「ごめん。町に行くついでだからいいかな、と思って。それにほら、はじめさんもいたから……」

 などと下手な言い訳をするところも、うんざりするほど繰り返した行為だ。

 実は、横にいるはじめを盗み見て息をついた。

「なるほど。こいつがノーセレクトだとは思わなかったな」

「……ごめん」

 声も小さくなる。

 これも毎度のことだ。

 ただ、今回違っていたのは、はじめが口を挟んできたことだった。

「ノー、セレクト……とはなんだ?」

 はじめもこの手の質問に慣れてきていた。

 聞きなれない言葉を、ためらいもなく尋ねられるようになっていたのだ。

 実が、背もたれに腕をかけてはじめに向き直った。

「オレたちは未来では異分子なんだよ。わかりやすく言えば……天才だ。本気で覚えようとすれば、一日もたたずにおまえ以上に刀を使えるようになれる。そういう人間は……普通のやつらに疎まれるのが常識なのさ」

 かなり語弊のある説明だが、健は否定をしなかった。

「そうなのか?」

というはじめに頷いたのである。

「何をするにも全く苦労もなく身に付けられる人を見て……あなたは平静でいられる? 運動能力も、知識も記憶力もなにもかもが人並み以上だ。ミノルの言う通りなんだよ。オレはその大将だからね。だからこの時代の殿様みたいになにもやらせてもらえない」

「それは君たちだけなのか?」

「そうだよ。未来でオレたちだけ」

 二人を見比べて、はじめはあんぐりと口を開いた。

 細かく藩に分かれているとはいえ、その一国だけでも人数は数えきれない。

 その小国が集まったのが日本だ。

 その中で彼らだけという割合が、はじめには想像がつかなかった。

 ただ、ひとつだけ理解できたことがある。

 異分子が疎まれるというのは本当だ。

 天才は、凡人の妬みの種になりやすい。

 すべての人間が妬むわけではないだろうが、やはり敬遠されやすいのはわかる。

 あるいは、彼らは圧倒的な少人数と言う立場を、身を寄せ合って守っているのではないかと思う。

 だから絆が深いのではないか。

 健が、メンバーと別れなければならないという運命を受け入れがたく泣いていたのもわかる気がする。

「なるほどな。総大将はなにもさせてもらえない、か」

 含み笑いとともに出た言葉に、実はまた矛先を健に向けた。

「本当にいい加減にしろよ。そう何度もオレが許すと思うなよ」

「わ、わかったよ。もうやらない」

「その言葉、忘れるなよ。今度なにかやらかしたら先の人生のすべての世話をするからな」

 はたで聞けば、これほど滑稽な脅しはなかっただろう。

 はじめが吹き出し、ずっと健の肩に頭を乗せていた護まで表情を和らげた。

 健はすっかりしょげかえっている。

 そんな光景を庭で見ていた志乃が体を起こした。

「お~い!」

 話に加わりたいのかと思って健たちがそちらに顔を向けたが、戻るつもりではなかったらしく、その場にあぐらをかいたまま手招きをしている。

 実は、はじめと顔を見合わせて、諦め顔で腰をあげた。

「本当に……やる気だけは充実しているよ」

 午前中にできなかった分を取り戻そうとしているようだ。

「マモル、どうする?」

と一応聞いてみたものの、実はすぐに手で彼を制した。

「ああ……やめておいたほうが良さそうだな。今日はもうしゃべるな」

 そう言うと、さっさと庭に出ていく。

 護は健から離れ、実を目で追った。

 ただ、実だけを見つめる。

 テーブルに置いてあった自分のコーヒーを取り上げ、健はポツリと言った。

「何を考えているのか……わかってあげられればおまえも楽になれるんだろうな……」

 恐らく聞いていない。

 だから、それは健の、ささやかなぼやきだ。

 しかし、忘れかけた頃、護は疲れたように振り返った。

「あなたの優しさは……残酷だ」

「……マモル?」

「頼む。今は……なにも言わないでくれ」

 そして、彼はまた庭に目を向けた。




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