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玄関を開けると、初対面のときが嘘のような笑顔で、夕子がキッチンから顔を覗かせた。
「お帰りなさい。お昼ご飯、できていますよ」
「え……」
直前までの厳しい顔が幻だったように、健は情けなくはじめと顔を見合わせた。
勢いでそばを食べてきたあとなのだ。
戻れば食事があることを完全に忘れていたのである。
「お……昼、か……そうだよね」
困ったような表情がはじめに助けを求めている。
はじめは、酒の入った徳利を夕子に渡しながら言った。
「じつはこれを買うときに団子を食ってきたのだよ。だから軽めにしてくれるか?」
「お団子……ですか? ケンも食べたの?」
意外だという顔つきだ。
はじめは彼の背中を、意味を含めて叩いた。
「そばまで食った。一度くらいはこの時代のものを食べさせてみたくてな。だが、あんたの作ったものも捨てがたい。いいかね?」
「ええ……。それでは量は減らしましょうね。ケンは……もう食べられませんね。はじめさんの分だけでいいですか?」
「ごめん、ユウコ」
男性陣の中で、一番食が細いのは護だ。その次が健なのである。
もっとも彼の場合、絵里が指摘していたとおりアルコールで補っているようなものだが、それでもそばと団子のあとでは、例え夕子の料理でも食欲はわかない。
すまなそうに謝った彼に、夕子は気にしないでくださいと笑い掛けてキッチンに戻っていった。
あとに続こうとした健は、はじめに袖を引かれて振り返った。
「脇差しの手入れをしてから戻るよ」
一人斬りつけているため、最低限の手入れをしておかなければ錆びる。
それほど時間はかからないというので、健は先に席についていると言った。
一人分の料理を温めなおしている間、健は夕子に改めて謝った。
「あまりにもおいしそうだったんでつい、ね」
「いいんですよ。それよりお団子、よく食べましたね」
「それが甘くなかったんだよ。そういうものもあるのかな?」
彼女は記憶を巡らすように天井に目を向けたが、思い当たったのか振り返った。
「もしかしたら……お砂糖が入っていないのかもしれません。この時代ではまだ貴重品だったんではないでしょうか。普通の人が口にできたかどうか……」
「それに、餡も入っていなかったな」
「小豆を砂糖で煮詰めるものですから。中身を入れないお団子は甘くないんですよ。その代わり、私たちにすればデザートとしては物足りないかもしれません。この時代のひとの感覚だと……おやつ……なんでしょうね」
そういう感覚なら頷ける。
食事と食事の間の繋ぎとして軽く口に入れる類いのようだ。
なるほどと呟きながら、ベストの内側に手を差し入れた健に気がついて、夕子が食器棚の引き出しから灰皿を出してテーブルに置く。
「あまり吸わなくなりましたね」
一週間のうちで、はじめを家に招く前も、さほど手をつけなくなったタバコは、ストックもほとんど減っていない。
はじめが滞在してからはこれが二本目なのだ。
治療を行う前と比べたら、吸っていないようなものである。
健は、タバコの煙をしげしげと見ながら懐かしそうに微笑んだ。
「最初はキッシュの真似をしていただけだからね。それほどこだわりがあったわけじゃ、ないんだよ」
「あなたはブラウンさんの影響を、本当に強く受けているんですね」
「仕方がないよ。ずっと、昔の友人の話として聞かされていたんだから」
夕子が、コンロの火を止めて席に座る。
「それが私たちだったなんて、今でもよく理解できません。なんか不思議な話を聞いているような感じです。こうして……この時代に来ているのに、やっぱり他人事のような感覚だわ」
健はクスクス笑った。
「深く考えなくていいんだ。この時代もそうだけれど、ありのままに現実を楽しめばいいんだよ」
「はい」
二人ともごく自然に、上に伸びる煙を見ていたが、少しすると夕子がまた口を開いた。
「町はどうでした? お野菜とか売っていましたか?」
「……いや……見かけなかったな。それほど奥に入らなかったからかもしれないけれど……。もしかして、足りない?」
「今日の分は大丈夫ですけれど……少しずつ葉ものが痛んできているの。そちらを優先的に使うとどうしても足りなくなりそうなんです。あと何日くらいかかりますか?」
「それならば心配はないよ。今回の目的自体は果たしているからね」
とはいえ、健には戻るにあたっての問題を抱えているのだが……。
それを夕子に言っても仕方がない。
「そうだ。それで思い出した。ユウコ、その酒のことなんだけれど」
と、調理台に乗せられたままの徳利を指差す。
「味がよくないんだ。はじめさんに出せるものじゃないんだよ」
「あら……」
彼女は席を立って、食器棚から小皿を取り出すと、少量の酒を注いで一口含んだ。
「……本当だわ……」
「君……飲めるのか?」
今まで、彼女が酒を飲んだところを見たことがなかったのだが……。
全部は飲みきれなかったらしく、残りを捨てながら小さく首を振った。
「味見程度ですよ。料理でも使いますから。……その料理に使うしかなさそうですね。足りなくなったらはじめさんには洋酒で我慢してもらうしかなさそう」
料理用に使うにはあまりにも多い量だったが仕方がない。
徳利をシンク下に納めて顔をあげた途端に動きを止めた。
「……タカヒロ……」




