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相変わらず、周囲の視線が目立つ。
「酒を買って帰りたいんだけれど」
「酒? か?」
「見たところ、酒屋さんがないね」
「ああ……それなら」
と言いながらはじめが指差したのは、一軒の店だった。
「私も、どこにあるのかわからんからな。あそこでもいいだろう」
「なんのお店?」
「茶屋だ。なんなら少し休んでいってもいい」
「ふうん」
とりあえず通訳にも慣れたからと、さっさと店に入っていく。
健があとからついていくと、やはり声を途切らせて着物姿の女性が奥に引っ込んだ。
中の客も、申し合わせたように静まり返る。
そのうち、ヒソヒソと声を潜めたざわめきが聞こえはじめた。
奥から、店の主人が出てくる。
「ああ、こっち」
健は、店内を一通り眺めている。
その間に、主人が腰を低くして近づいてきた。
「いらっしゃいませ」
「ねえ、はじめさん、メニューがないんだけれど……」
「注文? それなら任せてくれ」
主人や客の雰囲気をまったく意にかえさないどころか、健は無邪気に、他の席にいた町人に手を振ってみせた。
「なにをやっているんだ。まったく……」
「いや……なんか、自分が珍獣になったような気分だなぁと思って。……ところで、なにを頼んだの?」
「団子」
「えっ……」
聞いていなかった。
団子といえば、一度夕子が作ってくれたヨモギ団子を思い出す。
あれも一口だけでギブアップしたのだ。
実たちは美味しそうに食べていたが、中の餡が健には甘すぎた。
「ダンゴ、か。……まいったな」
「嫌いか?」
聞くまでもない。充分に顔に出ていた。
「苦手。甘いものは胸焼けをおこすんだ」
「甘い? ……甘いか? 団子が?」
「? 違うのかな?」
確か、ヨモギ団子と夕子は言っていたが、料理やデザートの名前すら覚えていない健は、あるいは違う食べ物だったのかもしれないと思った。
まあ、出てくればわかる、と改めて店内を見回す。
「なんか、あっちでは食事をしているね。ここでも酒を売っているのか?」
「そうだよ。昼間は飯屋のようなものだ」
「そう……」
まだ昼には早いような気がするが、と無意識に左手首に目を落として、ブレスレットのないそこに苦笑する。
会話もそこそこに待っていると、主人が茶と団子を二人分運んできた。
座卓の上にそれを並べる。
「やっぱり団子だ……」
という諦めの呟きすら英語になっている。
徹底した芝居だ。
「だから団子だって。これが甘いとなるとなにも食えんぞ」
「う~……」
まさか、出されたものをまったく手をつけずに残すわけにもいかない。
ひとつだけ食べてあとははじめに任せようと、団子の下に並べられた箸を取り上げようとして……。
「あれ……これ……」
はじめを見ると、四つ繋がった団子を頬張っていた。
「これ……串か」
「そうだが?」
こんな形で出てくるとは思わなかった。
健は団子を皿に戻し、頬杖をついた。
「箸は……ないかな?」
「箸ぃ?」
なにを突拍子のないことを言っているのだと、はじめは身を乗り出して小声で聞き返した。
「団子を箸で食べるなど、聞いたこともないぞ」
「けれど……」
まさか、頬張るとは……。
北海道でバーベキューは何度もあったが、そのときすら、串から外したものを出されていた健だ。
上品に育てられた意識はないものの、できることならあまり見映えのよくない食べ方はしたくなかった。
「なんだ、食ったことがないのか?」
「こういう形では……抵抗があるかな。それに……全部食べなければダメ?」
はじめは首をすくめて微笑んだ。
「食えないなら無理に勧めない。ただ、話の種にひとつくらいは食っておいてもいいんじゃないか?」
そう言いながら、彼は自分の串で器用に健のものを一つずつ外した。
「そのひとつを摘まめばいいだろう」
チラッと周囲に目を走らせると、何人かが笑いをこらえている。
団子を目の前に、覚悟を決めているらしい健は気がつかなかったようだが、誰もがやはり、この光景が滑稽に見えているようだ。
「ありがとう……」
小さな呟きが聞こえた。
諦めが混じっている。
「それにしても、そこまで苦手なものがあるとはな」
健は、ようやくひとつを手にとって、恥ずかしそうに笑った。
「甘いものはどうしても、ね」
と、ひとつをためらいながら口に入れる。
「……? あれ?」
「どうした?」
味覚を確かめているのか、健が視線を泳がせる。
「……甘く……ないな……」
無意識にもうひとつ。
はじめが黙って見ている中、いつの間にか彼は串をひとつ分、四つの団子を食べてしまった。
「なんだ。食えるんじゃないか」
「そ、そうだね」
今一つ納得がいかない表情だった。
それも当然だ。
食に関して、健は時代によって違うということも認識していないのだから。
大体、未来においても、夕子や芝が出す料理すら、名前も知らずに食べているのである。
レイラーと暮らしていた頃から、外食をする際にもすべて相手任せだった。
つらつらと料理名を言われても、何がどれだか理解しようともしないで口にしていた。
ひとつだけ覚えていたのが『フレンチトースト』であり、レイラーが作ったものの中で最低のものだったからにすぎない。
ヨモギ団子とはまったく違うものらしいと判断した健は、残りの一串を、持っていた串で突っついた。
「えっと……はじめさん……」
「遊ぶな。わかっているそれも片付けてしまえ」
と、彼はその串を健から取り上げて、最初のようにひとつずつ外した。
皿を健の方に押しやるついでに、また身を乗り出して小声で話しかける。
「周りが君を見ているのがわかっているのか?」
「え?」
初めて気がついたように見回すと、その視線に合わせるように客たちが目を逸らし、肩を震わせて笑いをこらえていた。
はじめが肘をついて息を漏らす。
「もっとも、私も奇異な目で見られているんだろうがな。ここは幕府直轄だからまだいいが、これよりもっと田舎に行けば、君などは化け物扱いだろうよ」
「格好だけで中身は同じなんだけれどね。でも……これはこれで面白いよ」
異国人の扱いがどういうものなのか、ある程度の予想はできていたから、それなりの雰囲気を楽しむ余裕が出てきた。
今朝の落ち込みようはもう微塵もない。
それどころか、実のようないたずら気味の表情が見え隠れしている。
いつもならば、はしゃいだりしない彼だが、長居をする気もない時代で、僅かに箍が外れたのかもしれない。
はじめが気にしていることを承知で、先程のように目が合った男に手を振ってみせた。
「お、おい……」
「どうして? オレは人と話すのは好きだよ。向こうだって珍しいから見ているんだろう? 近づいてこないかな?」
「まったく……」
放っておくしかなさそうだ。
しかし、健はまた一通り客の顔を見回したあと、何事もなかったように団子を取り上げた。
「そうだ。お酒を頼まないと……」
「あ? ……そうか。忘れていた」
はじめは当初の目的のために席を立とうと中腰になりながら、なにか思い出したのか、また座り直した。
「いい忘れていた。ここの酒の程度のことだが……もしかしたら君の口に合わないかもしれないぞ」
「? でも日本酒、だろう?」
「そう言うのか? いや、多分そうなのだろうが、こんなところの酒じゃ、君のところにあるほど味はよくないぞ。それでもいいか?」
健は、団子を口元に持っていったまま、また周囲を見渡した。
誰か酒を飲んでいないか確認したのだが、それらしい器がない。
仕方なく団子を皿に戻すと、何食わぬ顔で席を立った。
そのまま、縄のれんのさがった奥へ足を運んだ。




