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「ユウコ、買い物に行くけれど、なにか必要なものはある?」
「えっ?」
キッチンで編み物をしていた彼女は、驚いて思わず腰をあげた。
「行くんですか? その格好で?」
白いシャツに水色のベスト、それにアイボリーの細身のスラックスは、一応、朝食のときとは違う姿だったが、着物姿が当たり前のこの時代では違和感がありすぎる。
異国の姿では危険なことくらい、夕子も知っていた。
「大丈夫……なんですか?」
「なんとかなるよ。それより、どう?」
「え……っと……そうですねぇ……」
急な申し出に、彼女はキッチンを一通り見回した。
「それでは……お酒を……」
とりあえず思い付いたのはそれだけだった。
「了解」
「気を付けてくださいね」
健が町に行くというのなら実たちも一緒だろう。
そうでなければ彼は買い物をしないし、許可されていないのだ。
それならば多少は安心である。
軽く手を振って出ていった彼の後ろ姿を見送って、夕子はまた編み物をはじめた。
リビングに入り、窓が開いたまま誰もいない空間を一通り見回して、外を覗く。
庭の真ん中で四人が座り込んで話をしていた。
健は一度玄関に回り、彼らの元へ向かった。
「はじめさん、おまたせ」
着替えてはいたが、やはり着物ではない。
健は、当惑しているはじめに、小石ほどの小さなものを渡した。
「それを耳にはめてくれる?」
「なんだ? それは」
初めて見るものを、角度を変えながら眺めているはじめに、装着の仕方を教えながら、実に尋ねられた健は左の袖を軽くめくった。
「ブレスレットを潰した。それは翻訳機だよ」
「翻訳? なにを?」
答えは実にではなく、はじめにむいた。
「はじめさん、オレは英語しか話さないよ。あなたがオレの言葉を日本語に翻訳するんだ」
と、試しに言った言葉が、直接聞こえた英語と、機械的な日本語の二つ同時にはじめの耳に入った。
「うおっ……」
咄嗟に耳を抑える。
「日本語のほうを聞き取るようにして」
と続ける。
自然、はじめの視線が、イヤホンをはめている左に移った。
「英語は無視していいから」
「……なるほど。一応、聞き取れる」
「町に出たら、オレはこれしか話さないから、あなたが人と対応してほしいんだ」
「しかし……そこまでして行く必要があるのか?」
視線をさ迷わせていたはじめは、しばらくして慣れたらしく健を見上げて聞いた。
健が、刀を指し示す。
「それ、あなたが一人で持っていったら盗難品と誤解されるよ」
「あ……」
よく考えてみたら、確実に誤解される。
一人前の武士が、いきなり新品の、しかも刃の入っていないものを研ぎに出せば怪しまれないはずがない。
しかし、と実が言った。
「おまえが行っても事態が変わるとは思えないぞ?」
「でも、少なくとも相手を威圧できるだろう?」
どうかな? と首をすくめる。
「それならオレが行ったほうが効果的だと思うが」
実ならば、睨み付けるだけで有効だろう。
それは確かだ。
けれど、健は髪をかきあげながら目を逸らした。
「ノーマルと話す気もないくせに、人前に出るつもり?」
否定する気もなく、実は腰をあげた。
「勝手にすればいい。どうせなにを言っても無駄なんだ。おまえが英語をしゃべってもはじめが話せなければ会話にならないことも、おまえなら充分わかっているだろうからな」
これも実の嫌みだった。
今さらそれに気づいたはじめや志乃の視線に、だが健は想定済みだと笑った。
やはり、言うだけ無駄だ。
実はリビングに戻りながら後ろ手に手を振った。
「せいぜい頑張れ」
と。




