34
キッチンに一度顔を出して、そこに昨日と同じように夕子だけの姿を見つける。
彼女は洗い物をしていた。
一体、彼女は一日中ここにいて退屈しないのだろうか、と声をかけようとしたが、逆に、みんながリビングにいると教えられて、質問をする機会を失ってしまった。
結局、礼を言っただけでそちらに向かう。
リビングでは、志乃が待ちかねていた。
「はじめ、また頼むよ」
夕べは、護との剣術をただ黙って見ていただけだ。
まるでそれは、二人の打ち合いをすべて吸収するかのような眼差しだった。
覚えているうちに身に付けようとしているのだろう。
はじめは、いいよと声に出そうとしたが、ふと、口を開けたまま目を泳がせた。
が、すぐに、
「あ、いや……ちょっと待ってくれないか」
考えるところがあったらしい。
志乃の対面にいた健を廊下に呼び出す。
「すまないが……買い物をしたい。しばらく待ってもらってもいいか?」
「なにか必要なの?」
大概のものならある、と言った健に、はじめは言いづらそうに頭を掻いた。
「その……刀を、な」
折られてしまったものを復元することは不可能だ。
ダメにしてしまった張本人の大将を目の前に恐縮するのもおかしな話だが、それ以前に、やはり自分の腕の未熟を反省していたのだろう。
健も、今ごろ思い出したかのように苦笑した。
「でも……持ち合わせはあるの?」
「まあ、なんとかするしかないが……」
どうせ、京に行くとはいっても急いでいたわけではなかったから、道中の路銀もその先々で仕送りなりを頼むつもりだった。
健はなにやら思案していたが、ちょっと、と自分の部屋に連れていった。
「ねえ、はじめさん、あなたは刀にこだわりがあるのかな?」
「こだわりとは?」
彼の部屋にあったのは、護たちのところのような足の低いテーブルではなかった。
木でできた、どちらかといえばキッチンテーブルのようなものだ。
その椅子を、昨日護の部屋に二つも持っていってしまったため、座る場所といったら机の椅子しかなく、促されるままにそこに座って、立っていた健を見上げた。
「つまりね、普通は名刀とか、刀匠の名が入ったものを使うんだろう?」
「ああ……そういうことか。それならば拘りはない。強いてあげれば使いやすさか。もっとも、それも使い込んでいけば馴染んでくるものだからな」
「そう。なら、これを見てくれる?」
といって、健はベッドの下からプラスチックでできた箱を引きずり出した。
蓋を開けてはじめの足元に滑らせたのは、無造作に入れられた五本もの刀であった。
「これは……」
一番上にあった一本を取り上げる。
漆に金箔が塗り込められた、少々派手に見える鞘と、鮮やかな紫の柄を見ても、どうも使われた形跡はないようだ。
刀身を抜いてみる。
こちらも一点の曇りもない。
そして……。
「刃が丸いな」
「このままでは使えないんだ。というより、使うつもりで持ってきたわけじゃない。全部、観賞用の刀なんだよ」
「観賞用?」
「オレたちは銃が主流だ。だから、こういう刀を使ったことがないんだよ。刃物はマモルが使っていたようなナイフしか使わない。つまり、なにもわからなくてね。刀鍛冶の人に観賞用と言って作ってもらったんだよ。使わないものを実践用にする必要がなかったから」
「その割にはぞんざいだな」
「まあ……他人を牽制するためのスタイル……格好だけつけようかと」
と言って僅かに肩をすくめる。
「なにしろ、あの道とここの往復しかしていなかったから」
「なるほどな」
刀身を隅まで眺め、それを鞘に収めた。
「それで?」
「これが代わりにならないかな? 研いだら使えない? 刀を買うより安いと思うんだけれど」
はじめはもう一本を取り上げて、最初のものと見比べながら言った。
「ありがたく受けとりたいところなんだが……」
「やっぱり使えないかな? それとも気に入らない?」
「ああ……いや、そういうことではないんだ」
二本とも元の箱に入れて、彼は無意識に机に頬杖をついた。
「どう言えばいいのか……。私が納得できないんだ」
「なにか?」
「説明しづらいんだが……たとえばこの刀を受け取ったとする。だが、本来はここにあるものじゃないわけだろう? 君たちが未来とやらに帰ったあと、これは消えてしまわないか?」
「……」
「つまり、なんと言うか……」
「言いたいことはわかるよ。過去や未来……つまり、歴史に影響が出るんじゃないかというんだろう?」
ピンとこないらしく、はじめは曖昧に頷いた。
具体的にどうなるという想像が彼にできるはずがないのだ。
未だに、未来だの歴史だのと言う健の話を心底信じているわけではない。
この時代にないものや食べ物などを口にしても、誰かが外国の文化だといえば、そちらを信用してしまうだろう。
現実感が伴わないのは、未来だろうが外国風だろうが同じにしか思えないからだ。
健は、少し考えてにっこり笑った。
「多分、大丈夫だと思うよ」
「根拠はあるのか?」
「根拠と言うより……証拠、かな」
「証拠?」
「実際にあなたに会えた。それが証拠」
首をかしげる。
健はベッドに腰を下ろした。
「もし影響があるなら何らかの邪魔が入るよ」
「邪魔……」
やはりわからない。
健は、ベッドから見える窓の外に顔を向けた。
「オレたちから見れば、あなた方のこの時代は歴然とした事実だ。オレたちの世界も進行形の現実。それを結びつける歴史に影響がなかったから、あなたに会うことができたということ。これで歴史が変わるんだとしたら、ごく自然な理由で会えなかったはずなんだ。たとえば、あなたがあの道を通らなかった。オレたちが見落とした。時間がずれてすれ違った……。そういうこともありえたわけだね」
確かに、そういうこともありうる、と思う。
それでもまだ充分に理解できていないらしく、ぎこちなくはじめは頷いた。
健が続ける。
「そうすると、あの刀は折れることなくあなたは京都に行っていた。けれど、実際はここにいるよね。つまり、あなたがそれを受け取ったところで未来に影響はないということだ。もしかしたら……マモルが折らなくても、あの刀は別の形で使えなくなっていたかもしれないよ。そういう仮定も考えられるんだ」
「だが……」
と、足元の刀を見下ろしながら息をついた。
何がどう納得できないのかすら、理解できないもどかしさがある。
健は、はじめの考えがまとまるまで、黙って待っていた。
「その……」
言いながら、また刀を取り上げる。
「消える……わけがないのか……」
しっかりと手に感触がある鉄の固まり、鞘の滑らかさ。
これが忽然と消えるところを、はじめは理解できずにいる。
窓からはじめに視線を戻し、健は膝に両肘を乗せた。
「物質が消えることはありえないよ。意図的に移動させない限りはね。あなたが受けとれば、それはもうあなたのものだ。オレたちだって消えるわけじゃない。未来に帰る……移動するだけだ。影響はないよ」
鞘から刀身を抜いて目の前にかざす。
研いでいない丸い刃が、波紋とともに目に映った。
刀が必要なのは確かだ。
そして、買えるだけの持ち合わせにも不安がある。
京につく間だけでも必要か……。
無言で床に座り直して、五本の刀を並べる。
すべての刀が観賞用と言ったとおり、鞘や柄巻き、鍔までが派手だ。
その中から選ぶとしたら……。
はじめは、柄の部分が黒い柄巻きでしつらえた一本を取り上げた。
鍔の彫刻が凝っているが、少なくとも柄巻きの派手な色が人目を集めなければなんとかなる。
「これをいただくか」
あくまでも急場しのぎだ。
健は安堵した。
「よかった。ただ……これも言っておかなければならないんだけれど」
「なにかな?」
「本当は弁償すべきなんだよね。だから、それを研ぐお金も出さなければいけないんだけれど……」
申し訳なさそうに視線を逸らした健に、はじめが微笑んだ。
「持っていないのだろう?」
この家には、健たちが必要なものがすべて揃っているように、はじめは感じた。
それなら買い物をすることはないはずだ。
しかし、健は机の引き出しを流し見て首を振った。
「持っているんだよ、一応ね。ただ、あなたを犯罪者にしてしまうから出せないんだ」
「犯罪者?」
「向こうで偽物を作って持ってきた」
「に、にせものっ?」
健は、腰をあげて引き出しの二番目を開けた。
そこから取り出したのは小さな金庫だった。
とはいえ、鍵のようなものはついていない。
同じ引き出しからカードを一枚取り出す。
それを、蓋の部分についた溝に滑らせると、軽い音がして鍵が開いた。
中から取り出したのは、なん十枚もの小判だった。
「これくらい可能なんだよ」
と、一枚をはじめに渡す。
「……贋物……なのか?」
信じられない。
頻繁に目にするものではなかったが、一目で偽物とわかる人間は恐らくないだろう。
「悪用するために作ったわけじゃないよ。今回は一度戻らなければならないけれど、こっちで生活することもあると思って。……そうなったら少しは必要になるから」
言い訳だけれどね、と恥ずかしげに笑った。
はじめも、ひきつった笑顔を向けるしかなかったようだ。
しかし、考えてみれば人目を憚らず日本人が西洋の服を着ていれば、町に出ることも容易ではないだろう。
生活費を稼ぐことなど不可能だ。
健に小判を返すと、彼は金庫に納めて蓋を閉じ、膝に乗せた。
「贋物と見破る人はいないだろうけれど、オレが後ろめたいからあなたに渡すわけにはいかないんだ」
贋金を作ることも使うことも犯罪だ。
にも関わらず、はじめに使わせる方がよほど犯罪だとでも言いたげな口調に、本人はフッと息をついて、手に持っていた刀を抜いて、改めて刀身を確かめた。
「これなら私の手持ちでなんとかなるよ」
「けれど……どうして急に刀なんて……?」
「そろそろ暇をしなければならないだろうからな。明日だろう?」
強制収容の期限のことだ。
健自身、忘れていたわけではないのだが、途端に困惑したように目を伏せた。
「それなんだけれど……困っているんだよ」
「帰れないとか?」
「まさか……。違うよ」
慌てて否定したものの、その先を言えずに視線をまた、窓に向けた。
しばらく考えていたものの、やがて改めて向き直る。
「はじめさん、京都には急いで行かなければならないの?」
「そういうわけではないが?」
「悪いんだけれど出発をぎりぎりまで待ってくれないかな?」
「……構わないが……」
どうしてそこまで引き留めようとするのかはわからないが、急いで別れなければならない理由もない。
そう言った。
「ありがとう。助かるよ」
「だが、これは早いところ研ぎに出さなければならないからな。志乃さんには申し訳ないが、やはり今日は出掛けさせてもらうよ」
立ち上がって、まるで自分の一部のように刀を腰に差す仕草は、やはり堂にいっている。
健も立ち上がりかけて、また、考え込むように座り込んだ。
「健さん?」
腰の刀を見上げていた。
なぜか、表情が硬い。
「……はじめさん、付き合うよ」
ややあって、健は言った。
「はあ?」
「やっぱりオレが金を出すから」
やがて、ようやく腰をあげると、自分がはめていたブレスレットを外した。
「出掛けるのをしばらく待っていてくれ」
「無茶だろうが。そのような格好では……」
「だから待っていてほしいんだ」
「着替えるのか?」
健は、首を振るとはじめを部屋から出した。
「シノに出掛けることを伝えておいて」
という強引な行動に、はじめは困惑しながらリビングに戻った。




