表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/79

32

『緊張感がないな。それほど疲れていたか?』

“……なんのことだ……?”

『それとも……寝心地がいいのか?』

「そう、だな……」

 小さな呟きが、実の呆れた表情を作った。

 完全に夢の世界だ。

 何度か呼び掛けたが起きる気配がない。

 まさか、志乃のように叩き起こすこともできず、どうしたものかと思案していたが、ともかく呼び掛けるしかないと、屈んだ。

「そんなことで身を守れるのか?」

 今度は、身をよじって無意識に毛布を引きずり上げる。

 その寝顔は、いかにも幸せそうで口元が緩んでいる。

 実は、腰に手を当ててため息をついた。

 怒鳴りつけるのは簡単なのだ。

 ひっぱたいてもいい。

 実が志乃を起こすときはまったく遠慮をしていないのだから。

 諦めるしかなさそうだ。

 彼はインターホンの設定をし直して、キッチンを呼び出した。

「起きないぞ」

 そこでは健も、もう起きて待っているのだ。

 彼は、少しの間を置いて言った。

「無理やり起こしてもいいのならそうするが?」

『乱暴はダメだよ』

「乱暴でなければいいんだな?」

『……何をするつもり? 起きないのなら寝かせておいてもいいけれど』

 実は、はじめの寝顔に視線を落とし、また息をついた。

「なら、構わず食っていてくれ。こいつが起きるまでここにいるから」

『どうして?』

 一瞬、目を見開いた実は、クスッと笑いを漏らしてサイドテーブルに片手をついた。

「おまえ、本当に鈍いな」

『なにか……変か?』

「あのな、少なくとも、客が、まったく知らない場所で、寝坊したとなると、ばつが悪くて顔を出しにくいだろうが」

 ことさら言葉を切りながら説明した実だが、内心は呆れていたわけではない。

 健が、ノーマルに気を使うわけがないことを知っているのだ。

 彼は、はじめの気持ちを代弁したに過ぎない。

 それを健がどう捉えたかはわからない。

 ただ、しばらくの沈黙のあと、声が聞こえた。

『わかった。おまえに任せるから。待っているよ』

 許可が出たとなれば遠慮をすることはない。

 乱暴にさえしなければいいのだ。

「はじめ」

 実は、屈むようにして彼の耳元で呼び掛けた。

 今度は、僅かな身じろぎもしない。

 志乃と同様に、彼も寝起きが悪いのだろうか。

 武士とはいえ、そういう癖は抜けないのか?

 ともかく、誰が相手でも躊躇うような実ではない。

 彼にしては最大限に優しくキスをした。

 だが、内容はといえば、恐らく誰も目を逸らすだろう。

 そう思えるほど密度が濃い。

 毛布の下で、はじめの手が動いた。

 もぞもぞと上に伸びる。

「起きろよ」

 反応があったことを確かめて実がまた、小さく呼び掛ける。

 だが、直後に首を抱えられ、抱き締められたことで途切れてしまった。

「……いい……匂いだ」

 寝ぼけたまま体制を変えようとしたらしく、実はその力で足を崩されてベッドに仰向けに倒された。

「うわっ!」

 腰が不自然に折れる……。

「や、やめろ! はじめ!」

「……?」

 必死の大声が届いたのか、ようやく目が開く。

 自分が組みしいたのが誰なのか、理解するまでに少し時間がかかった。

「みっ、実さん?」

「い……て……」

 咄嗟にはじめが離れたものだから、実はそのままベッドの下に崩れ落ちた。

「な……?」

 腰を抑えながら実が見上げる。

「一体……どの女と間違えたんだ……」

「……女?」

 しきりに首をかしげている。

「……夢? を、見たのか?」

 その割りにはずいぶんと生々しい。

 感触や香りがぼんやりと残っているのだ。

「らしいな。おまえ、欲求不満じゃないのか? たかがキスで押し倒されるとは思わなかった……」

「キ……ス? 夢?」

 夢を見ていたのは確かなのだろう。

 頭がはっきりするほどに遠ざかる、それでも僅かに残る、温かく包みこまれたような感触と香り……。

 ぼんやりと実を見返しながら記憶を手繰り寄せようとしたが、ようやく何が起きたのか判断ができたのだろう。

 思いきり息を吐いた。

「……やられた……。君は、普通に人を起こすことはできないのか?」

「できるし、やったぞ。それで起きなかったのはおまえのほうだ。シノ並みに寝起きが悪いな」

「そ、そんなことはない。いつもは……」

 後が続かず、はじめはベッドを見回して、原因を突き止めたあとの呟きとともに、毛布を掴んだ。

「……こんな寝床、はじめてだ。気持ちが良すぎたのだな、きっと」

「ふうん」

 実にとっては普通に寝起きしているものだから、さほどの感慨はなかったのだろう。

 気の抜けたような返事をして腰をあげた。

 はじめは、そこではたと気がついた。

「実さん、もしかして、護さんのことで呼びにきたのか?」

 見当違いの問いかけに、実が呆れがちに思いきりカーテンを引く。

「みんな起きているんだよ。マモルの熱は下がっている」

 眩しい光に目を細めて、はじめはそうか、と呟いた。

「もしかして、呼ばれたことにも気がつかなかったのかと……思った」

「そうなのか? オレはてっきり無視しているんだと諦めていたんだが」

「やっぱり呼んでいたのか?」

 心からすまなそうに頭を抱えたはじめを見下ろして、実は笑いだした。

「真に受けていたのか? 一度抵抗力がつけば、そうそうにぶり返したりはしないさ」

「……」

 呆然と実を見上げる。

 つまり、今のは嘘で、更に遡れば、夕べからからかっていた、ということか。

「君は……根性が曲がっているなぁ」

 怒る気にはならないが、つい愚痴が出てしまう。

 途端に睨まれた。

「あ……気にしていたか?」

「別に」

 ふいと顔を逸らし、実はクローゼットを開けた。

「着替えはここ。この時代の素材ではないから着心地は保証できないぞ」

 いつもと変わらない口調での説明は健の受け売りだ。

 素材もそうだが、何が必要なのかも理解していなかったそうだ。

 とりあえず、知っているスタッフから聞いたり、コンピューターで調べて、下着の類いまで一通りのものを揃えたのだという。

 大体、最初に会ったときからおかしいと思っていたのだ。

 あとから、京都に向かう途中だったらしいと健から聞いたが、身に付けていた荷物などなかった。

 まるで、近所に出掛けるような軽装だったのだ。

 そのうえ、おとといと昨日と、同じ着物を着ていて、何とも感じなかったというのか。

 運動のあとに小まめに風呂に入れたものの、服装が同じでは清潔感に欠ける。

 道が舗装されているわけでもない。

 埃だらけの山道を歩いていたというのに。

 正直な話、はじめよりも実自身のほうが我慢できなかった。

 はじめが、クローゼットを覗き込んで、その中から一通りを選ぶ。

 素材のことを聞いて、着物を眺め回したあと、素直に着替えはじめた。

 彼に背を向けて、実は窓の外を見ていたが、純粋な興味からか、疑問を口にした。

「普通、旅行をするのなら着替えくらい持っていかないか?」

「着替え? ……邪魔なだけだろう?」

「ずっと着たきりか? 汚れても構わずに?」

「いや。そういうわけではないさ。宿場につけば洗濯くらいはできるし、古着屋はいくらでもある」

 実が頭を抱えた。

 絶対に、この世界では生きていけない……。

 誰が着たかもわからないものを平気で着ると言うのか、と。

「それがどうかしたか?」

と、逆に聞かれて実は頭を振った。

「なんでもない」

「おかしなことを言ったか?」

「……ここで当たり前ならばおかしなことじゃないさ。ただ、オレならば我慢ができないと思っただけだ」

「そういえば、君たちは日毎に違うな。まあ、家を構えていれば当然だろうが」

 そこで気がついたらしい。

「旅をするにも、君たちは荷物を持って歩くわけか」

 そして、むしろ気の毒そうに呟いた。

「面倒だな」

と。

 しかし、金持ちなのか貧乏なのか判断がつかない。

 普通、身分のあるものはお付きの下っ端がいるし、旅をする際にはそのものに荷物を持たせる。

 武士が移動する際は、身軽でいなければならないため、そういうものを雇えない武士は、自分のように身ひとつで旅をするのだ。

 実の背後で、衣擦れの音が止んだ。

「さて、と。……そういえば……」

「?」

 これもまた、今さら気がついたようだ。

「君はどうしてここにいるんだ? もしかして……私を待っていたのか?」

 実は脱力したように肩を落とし、同情からかはじめの肩を叩いて部屋を出た。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ