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体が揺すられる……。
「健さん」
揺り起こされていると感じたのは、はじめの声が聞こえたからだ。
「……は……」
どうやら、いつの間にか寝ていたようだ。
「ご、ごめん」
慌てて起き上がる。
はじめは竹刀を床に置き、健の向かいに座った。
「終わったの?」
「ついさっきね」
稽古をはじめた時間を見ていなかったから無駄なのだが、ブレスレットに目を落とすと、時間は夜中を過ぎていた。
「マモルは役にたった?」
はじめの表情はひたすら苦笑だった。
「見事に負けた。まるで人が変わったようだったよ。結局、一度も勝てなかった。まさか……剣術で負けるとはね」
「一度だけではなかったの?」
はじめは、勝手に注いだ酒をあおり、音を立ててグラスをおいた。
「護さんは一度だけのつもりだったが……私のほうがむきになった。……ケガ人に無理をさせてしまったが……一体、あの変わりようはなんだったのだろうなぁ」
「きっとリラックス……えっと……緊張が解けたんじゃないかな。オレは彼に、あなたの腕を確かめてくれと頼んでいたんだよ。そうなると、どうしても約束で縛り付けてしまうからね。自分の動きに制限ができてしまう。……それで、マモルは?」
「自分の部屋だ」
実の治療を受けているのだという。
はじめは健を起こすためにここに来たようで、すぐに彼の部屋にいくらしい。
「そのまま今日は休ませてもらいたいのだが、構わないかね?」
「もちろん」
部屋に案内すると言った健に、実が治療後に連れていってくれるからと辞退した。
どうも、実から伝言があったらしい。
健にも、もう休むようにということだ。
キッチンにいた夕子には絵里が声をかけたというし、彼女も志乃も、それぞれ自分の部屋に戻ったとなれば、健もまた休まないわけにはいかない。
二人連れだって、はじめは護の部屋に、そして健はその隣に入っていった。
先程眠っていたときは、窓の方を頭にしていた護が、今度は逆に横になっていた。
ドアが開く音に、実が僅かに顔を上げる。
「どうかね?」
「縫い直しだよ。おまえ、本当に傷が残るぞ。いいのか?」
護は平然と頷いた。
はじめが近づきながら首をかしげる。
覗き込むと、彼は目を開けているどころか、はじめの存在に顔を逸らす仕草さえした。
「痛く……ないのか?」
実が手を動かすたびに、傷口から糸が引き抜かれているのだ。
「局部麻酔だよ。薬でこの部分だけ麻痺しているからなにも感じない」
「そういうものも……あるのか」
これは、医術の発達というのだろう。
未来においては、刀傷など、命に関わるものではないのかもしれない。
念のために輸血をしながらの治療だが、それからさほど時間をかけずに終わった。
消毒と縫合だけだから、実には大した手間ではなかったのだ。
最後に注射をほどこして、実はゴム手袋を抜いた。
「それは?」
と、サイドテーブルに放った手袋に手を伸ばそうとしたはじめを、実が叩いた。
「触るな。雑菌が移るぞ」
慌てて手を引っ込める。
「熱がぶり返すかもしれないからな。完全に動けるようになるまで、今度こそ見張っているぞ」
護が僅かに表情を変えた。
途端に、ムッとした実に額を軽く叩かれる。
「おまえが悪いんだろう? 一晩くらい寝なくても大丈夫だ。……待っていろ」
使い終わった医療器具を消毒して、廃棄するものも片付けなければならない。
実はそれらを持って、はじめと共に部屋を出た。
「私は休ませてもらうが……君がいてはまた、護さんがうなされはしないか? 人がいては熟睡できないのだろう?」
「仕方がないさ。誰かがついていなければならないんだ。どのみち、看病は必要だからな」
実は最初に、用意していたはじめの部屋に案内した。
一応、護や実の部屋を見ていたから知っているだろうが、と前置きをしながら、細かく家具や設備の使い方を説明する。
その際、サイドテーブルに乗っていたインターホンを操作したが、使い方を説明するときに付け加えた。
「もしかしたらおまえを呼ぶことがあるかもしれない。マモルの部屋に繋げておいたから、なにかあったら来てくれ」
「なぜ、私に?」
「別に。シノは一度寝たら起きないからな。ケンには頼みごとをしないし、エリやユウコはマモルの過去を知らない。となると、今はおまえしかいないだろう?」
はじめは腕組みをして息をついた。
「昨日会ったばかりの私を信じるとは……」
「寝ぼけたことを言うな。誰が信じるか。使える奴ならば、例え敵でも使うさ。それだけのことだ」
クスッと、控えた笑い声がはじめの口から洩れた。
「やはり私を許さないと……」
実が、不意に背中を向ける。
「そこまで関心を持たれていると思っていたのか? うぬぼれるな。嫌ならば無視をすればいいじゃないか」
それでも構わないということらしい。
さっさと出ていってしまった。
はじめは、袴をとってベッドに入る前に、窓辺に寄った。
二階から家の裏が見える。
結構広い空間があって、その向こうは林になっていた。
“約束事という束縛……か……”
それがなくなったから護の動きが速くなった……。
しかし、束縛されていたときと、開放されたときの表情にも気迫にも、まったく変化が見られなかったというのはどういうことか。
護にはそれが可能だということだ。
あれでは敵うわけがない。
“むきになった私が勝てるはずが……ないか”
そして……。
あの強さが実のためでないとしたら、健が落ち込むのも理解できる。
━━ミノルに見せなければいい。
健にとって、決定的な言葉ではなかったか。
まだしばらくは窓辺に佇んでいたはじめだが、やがて興味もなさそうにそこから離れると、生まれて初めて、ベッドというものに潜り込んだ。




