30
相変わらず元気がなかったものの、なにかと話しかけるはじめに、健は隠し事なく答えていた。
問いかけの一つ一つは他愛のないことであったが、それではじめは確信をもったようだ。
健は、病気で死ぬことより、護に憎まれてその手にかかることを無意識に望んでいる。
それがわかっただけでも、はじめにとっては約束に意義を見いだしたらしく、頃合いをみて腰をあげた。
「さて、そろそろ戻るか。食事も終わっているだろう。志乃さんが待っているからな」
訝しげに彼を見上げ、健は、
「シノが?」
と、無意識に自分も腰をあげた。
「稽古をつけてほしいとね。やはり明日まで待てないようだ」
キッチンに戻ると、護が実から注射を受けていた。
テーブルの上は片付けられ、乗っていたのは血液を拭き取ったガーゼ数枚と医療器具だ。
包帯も取り替えたらしい。
「無理はするなよ。終わったらまた診るからな」
絵里と志乃は動きやすい服に着替えていた。
特に、スカートを脱いでショートパンツに履き替えていた彼女の足が妙に艶かしく、はじめが思わず背中を向けたほどの変身ぶりだった。
志乃はスエットスーツに着替えていたが、寒さに弱いくせに上半身は半袖だ。
はじめの姿に、実が護の背中を叩く。
「行くぞ」
「な、何をするつもりなんだ? 護さん」
志乃はわかる。
絵里も付き合うつもりだろうというのも理解できる。
しかし、護は左腕をケガしているのだ。
答えのない護の代わりに、実がはじめの横をすり抜けながら言った。
「シノへのアドバイスと、昨日のリベンジだと」
「リ……?」
「復讐戦」
「……」
あんぐりと口をあけて、はじめが健に向き直る。
彼は諦めているように微笑んだ。
「無駄だよ。気が済むまで付き合ってあげてくれないか」
そう。
健が説得をしても恐らく無駄だ。
次々と部屋を出ていく最後に、絵里が廊下ではじめの前に差し出したものがある。
「……竹刀……ではないか。持っていたのか」
それがあるのなら、今朝になって健に組み手を頼むことはなかったのだ。
絵里ははじめに、というより健に言った。
「あたしが持ってきたのよ。ケン、あんたは本当にどこか抜けているのよね。準備は完璧にするものよ」
彼女は、もう一本持っていた。
ただしそちらは……。
「ロングソード? フェアとは言えないんじゃない?」
「刃は潰してあるわ。練習用に決まっているでしょう? あたしたちに竹刀や刀が扱えると思う?」
「だからって……」
「大丈夫。ケガはさせないわ。あんたは見ていればいいの」
そこまで用意周到にしていたとなると、完全に諦めるしかない。
ため息をつきながら、健はだが、ふと聞き咎めた言葉を繰り返した。
「見ていれば? オレに……見学をしろと?」
「マモルのリクエストよ。見ていてほしいんですって」
「どうして?」
絵里が飽きれ気味に彼を見上げた。
「何度も言わせないで。あたしに聞いても仕方がないでしょう? 本人に聞くべきよ」
さっさと出ていってしまった。
はじめは玄関から、そして健は仕方なくリビングに向かい、そこの窓を開けて座った。
絵里が持っていた剣が護の手に渡ると、はじめと距離を置いて対峙する位置に立った。
ケガをしている左手に持ち変える。
竹刀を正面に構えたはじめの力が抜けた。
「お、い……いいのか?」
「マモルは左利きだ。はじめ、気にするな」
気にするなと言われても無理だろう。
改めて構え直しはしたが集中できない。
これが一日前であれば何の迷いもなかっただろう。
いつもの稽古だと思うことも可能だ。
護の、微動もしない瞳が、真っ直ぐにはじめに向いている。
“待っているのか……”
昨日と同じで殺意の欠片すらない自然体の姿に、無表情の顔。
しかし瞳だけはひたすら、目の前の相手だけを捉えている。
はじめは一度、目を閉じた。
集中し、次の瞬間、
「行くよ」
と、竹刀を斜めに振り上げた。
護がやはり前に動く。
ナイフよりは長いとはいえ、竹刀ほどの長さは剣にはない。
護が攻撃するにはどうしても、竹刀の間合いよりも詰めなければならないのだ。
下から、振りおろされる竹刀を弾こうとするより速く、護ははじめに手首を捕まれて捻りあげられた。
傷の痛みに抵抗できず、声をあげてひっくり返る。
「同じ手はくわないよ」
両手で持っていたはずの竹刀ははじめの左手の中だ。
いつ右手を離したのか、周りで見ていた実たちすら気がつかなかった。
いや、実が左腕を抑えてうずくまったのだ。
見ることができなかったと言える。
「ミノル」
と近づいた志乃と、慌てて護の傍に駆け寄った絵里の動きはほとんど同時だった。
彼女は、はじめを振り払って護を抱き起こしながら実を振り返った。
「やっぱり無理よ。ミノルがもたないわ」
痛みを我慢して抑えていたが、護は無言で絵里を押し退けて立ち上がった。
「マモル」
「ミノルが……見なければすむことだ。……もう、一度……」
「あんた……何を言っているの」
まさか、彼がそんなことを言うとは思わなかった。
いつもなら、一番に実を気遣っているはずなのだ。
はじめは、彼女の手を押し止めるように遮った。
「どきなさい。いくらあなたでも許さないよ」
その表情は厳しく、彼女は思わず後ろに下がった。
しかし、護をこのままにするわけにはいかない。
「ケン、何とかして……」
止められるとしたら彼しかいないと呼び掛ける。
健は、腰をあげると二人の間に足を向け、困ったように息をつきながら剣を拾い上げた。
「ほら、マモル」
「ケン」
「エリ、下がって。今になって止める権利はないよ。ケガをして無理だということは最初にわかっていたはずだ」
それから、彼は護に剣を手渡した。
「マモル、次が最後だよ。身に付かないトレーニングはシノに見せても悪影響だ。……第一、オレが見たかったのはそういうものじゃないんだよ」
「……違う……のか?」
「やっぱり今朝のことを勘違いしていたか。あれは、はじめさんのトレーニングに付き合っただけだよ。自分で確かめるつもりなら最初からおまえに頼まなかった。おまえは昨日、充分に見せてくれたじゃないか。もういいんだよ」
痛みで脂汗を浮かべながら、護は受け取った剣を見下ろした。
「どうする? 続ける?」
健が覗き込む。
護は、左手に力を込めて顔をあげた。
「……お願いします」
無事な右腕で汗を拭い、彼がはじめから離れた。
健も家の中に入っていく。
「シノ」
背後で護の呼び掛けが聞こえた。
実を支えていた志乃が顔を上げる。
「こっちはいいよ」
そして一言実に謝るともう、彼を気にすることなく立ち上がる。
健は窓越しに、志乃が護やはじめの動きを見逃すまいとする姿勢を見止め、そこから離れてソファに腰をおろした。
いつも一人で仕事をこなしていた志乃が、護をパートナーに選び、それに応えるように最低限の言葉で護が応じている。
その呼吸は急激に近くなっているようにも見える。
体力面、技術面とも、護ならば志乃を教えていくことにさほど時間はかからないかもしれない。
ただし、それが実のためであってほしい……と、やはり考えてしまう。
“……あ……”
その実を呼び戻したほうがいいか?
ふと思い付いたが、腰を上げかけてやめた。
どうせ、言っても意地を張って残るに決まっている。
残っている酒を一人で飲んでいたが、彼はしばらくするとソファに横になった。




