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 リビングに入ると、すでに健はテーブルの上に残っていた酒を自分のグラスに注いでいた。

 対面に腰をかけたはじめにも、日本酒の瓶を手渡す。

「どうしたんだ? 君は食事の途中だったじゃないか」

「別に……珍しいことじゃない」

「それに、ずっと元気がないじゃないか」

「……気のせいでしょう?」

と、口元に笑みを浮かべて言ったが、それが嘘であることは、はじめには容易く見抜くことができた。

 が、彼は軽く首をすくめた。

「そうか。気のせいか……」

 そう言って口をつぐむ。

 グラスを片手に、カーテンを開け放してある窓の外を見ていた。

 しかし、しばらくするとフッと忍び笑いを漏らし、言った。

「何があった?」

「なんのことです?」

 はじめの、遠慮のない視線を健は僅かに外していた。

 それがますます気に入らない。

「とぼけないでもらおうか。仮にも客として招いておきながら、そう気落ちされた君の目の前で私が楽しく酒を飲めると思うのか? 何があったなど、本当はどうでもいいことだ。君とて理由をいうつもりはないのだろう? なら、それなりにもてなしてもらいたいものだな」

 一瞬だが、健とはじめの目が合った。

 だが、やはりすぐに健のほうで逸らしてしまったのも確かだ。

 彼は、しばらくしてまるで独り言のように言った。

「オレは……どうしてここにいるのかな……と思ったんだ」

「なぜ? 私に頼みごとをするためではなかったのか?」

「頼みごと……か。そうなんだけれど……」

 はじめが、グラスをテーブルに置いて、身を乗り出した。

「今日……実さんから話を聞かせてもらったよ。護さんのことをね」

「……だろうと思った」

 グラスの半分もの酒を一気に飲み干して、健もまたテーブルに置くと、ソファの背もたれに頭を乗せた。

「彼のほうがマモルを理解しているからね」

「……」

 相槌のない沈黙に、健はまた続けた。

「あなたの言う大将……オレは、そのポストをシノに移したんだ」

「ポスト?」

「大将という地位のこと」

「志乃さんに? あ、あの人に?」

 はじめの視線が、思わずドアに向いた。

 まるでそれは、あの志乃に何ができる? と言いたげだ。

 健たちと比べるとなんと子供っぽい。

 落ち着きがなく、なんにでも興味を示し、図星を刺されれば頬を膨らませる。

 何より、弱すぎるではないか。

 独活の大木、というが、図体は大きくとも精神が伴っていないのがすぐにわかる。

 心に思ったことが表情にも表れていたからだろう、健が寂しげに笑った。

「仕方がなかったんだ」

 ゆっくりと頭を起こし、健はまた自分のグラスに酒を注ぎ込んだ。

「彼には……オレたちの傍にいる理由が必要だったから」

「理由? なぜそのようなものが必要なんだ?」

「……彼に会ったときにはもう、オレの寿命は決まっていたんだよ。……最初はね、ミノルたちも道連れにするつもりだった。……というか……」

 どこかに行くのかと思ったのだが、彼は昨夜同様、窓のほうに足を向けると、そこに寄りかかって首だけを外に向けた。

「ミノルがそのつもりだった、と言ったほうがいいな。オレも彼らと離れたくなかったし。……そんな頃にシノに会ったんだ。彼には彼なりにオレたちに同行する理由があったんだけれど、正直なところ、最初はその理由を利用できると思った。……オレにとって、彼は都合がいい存在だったんだ。でも……」

「……? でも?」

「……仲間を利用するなんて、どうかしているよ」

 返事もできずに、はじめはただ彼を見上げるだけだった。

 独り言のような呟きが続く。

「シノはミノルが好きなんだ。少しずつ、好きになっていった。……最初の理由を忘れるくらいにね。ミノルも同じなんだ」

「そ、そうなのか? 私はてっきり……」

「仲間が初めて顔を合わせてから……二年も経つのに未だに新しいことが起きる。……なのに、オレのために彼らを終わらせるわけにはいかないじゃないか。それなら、シノがオレの代わりになればいい……それが、新しい理由になるから。オレがいなくなっても、シノがいれば……」

 顔が歪む。

 今にも泣き出しそうなほど、だが、健は、それほどに寂しそうな微笑みに変えると、また席に戻って、注いでいた酒をあおった。

「あなた、言いましたよね。自分のために生きろって。……それなら、オレの望みってなんだろう? ……今となっては、それを叶えることは多分、不可能なんだと思うよ。もし……叶えられるとしたら、あなたがマモルを元に戻してくれたときなんじゃないかな」

「君の願いとは、なんだ?」

 健は、諦めた表情で首を振ると、またはじめから視線を逸らした。

「今さら叶えようとは思っていないよ。言っても仕方がない」

「だが、私次第では可能かもしれないのだろう?」

「……どうかな……」

「言うだけなら構わないだろう?」

 少しの間、健は口を閉ざした。

 はじめも、しつこく促すこともない。

 やがて、健のほうが微笑んだ。

「オレの病気の原因はミノルなんだよ。でも、それはどうでもいいことだ。……問題は、オレが生きられないという事実が、ミノルを傷つけたということ……」

「は? どうしてそうなるんだ?」

「ミノルは、自分のとった行動がオレを病気にしたことを後悔しているんだ。だから、結果的にはオレが彼を傷つけた原因になる。マモルにとって、本来はそうでなければならないんだよ」

 はじめは腕を組んで、首をかしげた。

 が、

「……つまり、病の原因などあの人には関係がないこと、か。現実の問題として、君が実さんを傷つけたことのほうが重要だ、と?」

「そう。……言ったよね。マモルは、ミノルを傷つけるものはたとえ仲間であっても排除するって。オレに願いがあるとしたらその一点かもね」

 そう言って、健はまるで遠い過去を見るようにまた、窓を寂しげに見つめた。

「昔、オレはマモルとの約束を破ってしまったことがあるんだ。オレのわがままで、彼の命を繋ぎ止めてしまった。死ぬことを望んでいた彼を、今まで生かしてきたのはオレが望んだからなんだよ。彼のためには、本当ならあのとき、楽にさせたほうがよかったんだ」

「本当にそうだったと思っているのか?」

 健は、これにも首を振った。

「わからない。……でも、やっぱり突き詰めればオレのわがままで二人を辛い立場に追い込んだようなものだ」

 思い詰めた表情で言った、護の言葉が浮かぶ。

 実が傷つくのを見る前に殺してくれ……と。

「今さらながら思うよ。自分本意の考えは叶えてはならないんだ、って。これ以上、望むわけにはいかないよ」

 はじめの手にあったグラスは、静かにテーブルに置かれた。

 と同時に腰をあげると、部屋の片隅に立て掛けてあった刀を二本とも腰に差し、窓を開けた。

 一歩、外に出て腰を屈める。

 ソファに座ったまま健が見ている中、はじめは脇差しのほうを抜いた。

 微動すらしない刀が、部屋のライトに反射する。

 はじめはそのまま考えた。

“なにかが……おかしい”

と。

 確かに、健の呟きは自分の疑問と一致している。

 なぜ、彼はここに来たのだ?

 護に、はじめの生きざまを見せる……。

 それが、以前の彼に戻す方法だと健は言った。

 護の意思が健ではなく実に戻ったとき、健の望みが叶うというのなら……。

 音もなく刀を鞘に戻し、彼はひとつ、大きな呼吸をした。

 空を見上げる。

“やはり、安請け合いをするんじゃなかったな”

 今さら遅いのだが。

 気を取り直して、彼は部屋に戻った。

 元の場所に刀を戻し、何事もなかったかのようにソファに落ち着き、グラスを取り上げる。

「健さん、改めて約束しよう。私の生きざまだったな。君がここに来た意味を無駄にさせない努力をしようじゃないか」

 健は、一瞬あっけにとられたが、すぐに弱く微笑んだ。

「ありがとう」

と。

 ただ、はじめの決心の真意を読み取ることはできなかったようだ。

 護のことだけを引き受けても意味がない。

 はじめは、健たちのすべてを引き受けるつもりだった。




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