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 窓からの光がオレンジ色に変化しはじめた頃、護は目を覚ました。

 昼食を抜いて、ずっと部屋にいたはじめは、椅子に座っていることが辛かったらしく、ベッド脇の、実の足元に腰を下ろしていたが、頭上の彼が、握っていた護の手を離し、腰を浮かせたのに気がついて、背を伸ばし振り返った。

「聞こえるか?」

 静かな呼び掛けに、少しの間、ぼんやりしていた護が、ゆっくりと首を傾けた。

「……ミノル……」

「まだ苦しいか?」

 彼の頭が、小さく一度、横に動いた。

「傷口を見せてもらうぞ」

 毛布をまくって左腕を引き寄せたとき、はじめが立ち上がった。

 それに気づいて、護が起き上がろうとする。

「動くんじゃない」

 言われて、素直に従う。

 力を抜いた彼の左腕の包帯を外して、傷の様子を見ていた実の、

「薬を取ってくる。起きるなよ」

という言葉にも、頷いただけだった。

 部屋を出た実を目で追っていたはじめは、今度は実が座っていた椅子に移動した。

「邪魔じゃないかな?」

 表情のない瞳が閉じられた。

 首の、小さな横の動きに安堵する。

「夕べ、私に話があったということだったが、なんだったんだ?」

 口元は動かない。

 しかし、再び開いた瞳は、ゆっくりと移動して、右手とともにはじめの腰の辺りに向いた。

「……?」

 静かにドアが開いた。

 入ってきた実に、席を譲ろうと立ち上がりかけたが、

「構わない。座っていてくれ」

と言われてまた、腰をおろした。

「私の腰がどうかしたか?」

 改めて聞き返すが、護は否定の意味で、首を動かしただけだ。

 その合間に、実が薬を塗りながらクスッと笑う。

「腰、じゃなくて刀のことじゃないか?」

「刀?」

「謝罪したいようだぞ」

と代弁した実が、すかさず続ける。

「わかっているよ。そろそろ遮断するから。……怒るな」

 やはり、たやすく入り込んでいるようだ。

 すぐに呆れたため息が洩れた。

「だから、おまえがそうやって向けてくるんだろうが。少しは落ち着け」

 やりきれない、というように、護が腕で顔を覆った。

「いいじゃないか。オレの意思でやったことだ。おまえが気にすることじゃない」

「……」

「迷惑だと思ったらやらないさ」

 覆った腕の隙間から、護が実を見上げた。

「……本当に気にするな。患者に同調できる医者はオレくらいだぞ。能力を無駄にさせるなよ」

 それは、実なりの励ましだったのだろう。

 はじめは、二人を交互に見渡して、小さく息をついた。

 自分では到底想像もつかないし、我慢できないだろう過去を持つ護を、実はあくまでも『患者』として扱ったことが、最大の優しさなのだと思う。

 未だに、護は実に対して、罪悪感を抱えている。

 負い目を持っている。

 他言できない過去を持ちながら、それでも護は今、ここにいる……。

 自分が同じ目にあっていたとしたら、即座に死を選んでいたかもしれない。

 実のために生きてきた……。

 その強さは、確かに健たちの中では最強なのかもしれない。

 だが……その心がよそ見をした。

“健さんが落ち込むのも当然か……”

 黙々と包帯を巻き終えた実は、表情を引き締めて言った。

「いいか。しばらくはこのままだ。熱がぶり返したら今度こそ放っておくからな。起きるなよ」

「……ありがとう」

 弱々しい声に頷いて続けた。

「どうする? こいつと話すか?」

 護が小さく頷く。

「なら待っていろ。飲み物を持ってくるから」

 そういうと、ようやく実ははじめを伴って部屋を出た。

 階段の途中で振り返る。

「さっきも言ったように、オレが何をしたか、おまえに何を話したかもあいつに言うなよ。何も覚えていないものを思い出させるような気配も見せるな」

「承知した」

 キッチンで、夕子に温めの麦茶を用意してもらい、今度は実の付き添いもなく、はじめは護の部屋に戻った。

 その際、志乃に散々、愚痴をこぼされた。

 朝食のときに、稽古をつけてもらいたいと頼まれていた答えを、ずっと保留にしていたためだ。

 結局、はじめは健が頷くままに明日、と答えた。

 健が、いつまで自分をここに引き留めるつもりなのかはわからない。

 あるいは明日だけで別れなければならないかもしれないが……。

 もっとも、そのあとの説得ははじめの役割ではない。

 そう思えば、安請け合いだとわかっても多少は気が楽である。

 トレイをサイドテーブルに置く。

 護は、右腕の力だけで半身を起こそうとした。

「いいのか?」

 起きるなと言われていながら動く護に、口だけで確認しながらも手を貸す。

 ヘッドボードを背もたれにして寄りかかる彼に、グラスを渡した。

「さっき、謝罪と言っていたな」

 僅かな肯定に、はじめは肩をすくめて窓に視線を移した。

「健さんからも謝罪されたが、気にすることはない。私の腕が未熟だっただけだ」

「……違う……」

「そう思わせておいてくれないか。まだ上達できると思わなければ悔しいじゃないか」

「……悔しい……?」

 ケガを負ったのはこちらのほうだというのに?

 それでも負けたと思っているのか?

 どうも、まだ頭がはっきりしない。

 意地になっていたのは自分のほうだ。

 ……あの時、刀を折った勢いで、もう一押しするつもりだった。

 殺意はなかったし、何より健との約束は、はじめの実力を確かめることであった。

 刀を失った彼がどういう出方をするか、確認するつもりだったのだ。

 だが、結局、傷の痛みで動けなかった……。

“約束を……守れたのか?”

 健とのことを自問する。

 現に、はじめはここにいる。

 恐らく、何らかの話を健から聞いているはずだ。

 しかし、その結果が健にとって満足できるものだったのだろうか?

 もし、そうでなかったら?

 あるいは今朝の光景は、健が自らはじめの実力を見るためだったのではないか?

 護は、健がなぜはじめを選んで、なんの目的で接触したのかを知らない。

 興味がないわけではなかったが、話せることならば、こちらから聞かなくても説明していただろう。

 だから、一切事情を聞こうとはしなかった。

 健の目的は果たせたのか?

“……目が回る……”

 上体が揺れた護を、はじめが素早く支えた。

「やはりまだ無理だな。今日はやめておけ」

 護は逆らわなかった。

 横になって、目を閉じる。

 消え入りそうなひっそりとした雰囲気を、はじめは改めて感じた。

 存在していいはずのない命だと思い続けている、儚い雰囲気だ。

「少し寝ていなさい。明日も厄介になりそうだからな。慌てることはない」

 返事はなかった。

 はじめは、静かに部屋を出ると、一度キッチンに足を向けた。

 そろそろ夕食の時間だろうと思ったのだが、そこにいたのは夕子だけだった。


 

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