23
健は、庭に追いやられてしまっていた。
というのも、何もすることがないと志乃が愚痴を言ったのがきっかけになり、絵里と彼、それに夕子が一階の掃除を始めてしまったからだ。
毎日掃除をしていながら、今以上にどこを掃除するというのだろう。
だが……。
恐らく志乃たちは、体を動かすことで、護を心配している気持ちを落ち着かせようとしている。
命自体に危険はないとわかっているが、やはりまったく気にしていないわけではないのだ。
木の根本に寄りかかり、健は中の様子を眺めている。
静かだ。
僅かな風に、枯れはじめた木々の葉が、乾いた音をさせているくらいだった。
しばらくして、庭に降りてきたのは志乃だった。
両手で、不器用そうにトレイを持って近づいてくる。
「ヒマそうだねぇ」
持ってきたのはコーヒーだった。
ミルクが入っている。
それを健の右脇に置いて、志乃は座ることなく言った。
「座ったら?」
「い~や。まだ力仕事があるからな」
健が、軽く首をすくめてカップを取り上げる。
だが、口にすることなく空を見上げた。
彼が寄りかかっている木に片肘をついた志乃もまた、それに合わせて振り仰いだ。
やはり、微かな風の音がするだけだ。
「静かだなぁ。……あっちじゃ、こんなところは望めないからな」
「オレのいたところはこんな感じだったよ」
北海道のことだ。
志乃が笑った。
「知ってるよ。ミノルを追ってそこまで行ったからな」
「そうなんだ……」
と言いかけて、健は眉を寄せると、空から志乃に視線を移した。
「……いつ?」
その問いかけに、やはり志乃も不審そうに健を見下ろす。
「いつ? ……そりゃ、あいつがホッカイドウに行ったときしかないじゃないか。単独行動かと思ったんだけどな。行き先が、あんたの育ったところだって聞いたから追っかけてった」
「聞いた? 誰に?」
志乃は、あからさまに息をついて、その場に腰を下ろした。
「鈍いねぇ。うちの組織に決まってるでしょ。あんたが混乱させた情報網を使えば、それくらいは簡単だったの」
健は目を丸くして、それから恥ずかしそうに俯きながら、
「ごめん、シノ。知らなかったよ。ミノルの目のケガは君だったわけか」
「それも知らなかったわけ? ミノルはあんたに言ってなかったの?」
と問いかけたものの、志乃はすぐに首を振った。
「……言うわけないか。言ってりゃ、あんたが放っておくわけないもんな。躍起になって犯人探ししたんじゃない?」
「……しないよ。聞いていたとしてもね」
横顔がどこか寂しげに健は言った。
そんな彼の姿に、志乃は思い出したことがあった。
かつて、隆宏が言っていたことがある。
メンバーの命は、恨みを持つもののためにあるのだ、と。
ただ、軽はずみな仇討ちには応じるつもりはないのだ。
本気で挑んでくるものならば健は逃げないし、手を貸すだろう。
だから、メンバーは志乃を受け入れた。
もう、跡形もなく恨みが消えてしまったというのに、変わらず接してくれる。
本気だった憎しみが、本気の実への愛情に変わったことを、健は優しく見守ってくれているから。
フッと、志乃は二階を見上げた。
「なんではじめは降りてこないのかな?」
健が、カップに口をつけて笑った。
「マモルが心配なんだよ」
「そりゃ俺だって同じだよ。あんたもじゃないのか? なのに俺たちは邪魔で、あいつならいいのかよ?」
ますます、健が面白そうに笑う。
「忘れた? ミノルの気まぐれは今始まったことじゃないよ」
その言葉に、妙に納得して志乃は立ち上がった。
何度か腕を回して、気合いを入れる。
「よっしゃ。もう一頑張りだ」
「そんなに汚れているものかな?」
「食器棚の裏まで磨くつもりみたいだぜ」
「どうしてそこまで……」
「ヒマだからさ」
「……オレも同じなんだけれど……」
志乃は、腰に手を当てて、彼を見下ろした。
「あんたがいると、かえって手間がかかるって聞いたぞ。あんた、ハウスクリーニング部で結構有名なんだ」
「ゆ、有名? どうして?」
「あんたが本部に来たときの部屋の様子は今でも語り草なんだと」
それを聞いた途端、健は顔を赤くして頭を抱えた。
本部に来た初日の自室に届いていた、大きな三つの段ボールに入っていた私物を、彼は片付けられずに適当なところに置いていたのだ。
後日、ハウスクリーニングのチーフである石原から、勝手に片付けたと伝えられたときも大層恥ずかしい思いをした。
「あ、あれは……」
「ま、別にいいんじゃない? そんなことを吹聴してまわる連中じゃないし、バカにしてるわけでもないんだし。むしろ親しみやすいって言ってた」
「……ふ、吹聴しないっていうけれど、君は聞いたんだろう?」
「まあな。結構遊びに行ってるからいろいろ聞いてるよ。でも、あいつらも俺にしか言ってないはずさ」
「どうして君に?」
「そりゃ、あんたらと一緒にいるからじゃない。あんたが整理整頓できないのも知ってるから、話を聞いたときも驚かなかったぜ」
「そ……そう……」
「とにかく、あんたはそこで休んでろよ」
強要された『休み』に、健は諦めたらしく頷いた。
家の中に入っていく志乃の後ろ姿が、リビングの奥に消えるまで見送っていた健は、苦笑混じりにコーヒーに口をつけて、また空を見上げた。
本当に静かだ。
青空の中の、いくつかの雲がゆっくりと流れていく。
時おり、なにか鳥の声が遠くに響くが、それ以外は、風が揺する葉音だけが彼の耳を掠めるだけだった。




